ラナの作戦
昨日とはうって変わって、何だかきまずい夕餉が始まった。
……別に俺が料理を失敗したからとかじゃないぞ? 出来栄えは及第点といったところだ。
ちなみに、今回はお茶の間で食事をしている。
この状況で板の間を夕餉の場所に使ったら、おそらく暗い沈黙があたりを包むだろうという憶測の元に、テレビをつけて雰囲気を紛らわそうという俺の涙ぐましい作戦だ。
とはいえ、流れているバラエティー番組を見ている奴なんて、今この場所には一人もいないけどな……。
普段は明るい美咲も、ただ何も言わずにオムレツの皿とご飯の器へ交互に箸を伸ばすだけだし、俺は俺でどうしたもんかと悩んでいるし、ラナも礼儀正しくお茶碗をしっかりと持ち、箸でつまんだ米粒をゆっくりと口元へ……ちょっと待て。
「ラナ、お前、箸普通に使えるじゃねーか!?」
というか、時々ばってん持ちになる美咲はともかく、俺よりも綺麗な持ち方だ。そういう作法にうるさい茉莉花姉とどっこいかもしれない。
俺の指摘にラナは小さく首を傾げ、咀嚼していたものをこくんと飲み込んだあと、口を開く。
「? ……日本人たるもの、箸が上手く使えて当然でしょう」
「どっから突っ込みゃいいんだよ!?」
そもそもお前人間じゃないだろ!?
「ああ、今までの事ですか……あんなもの、信憑性を持たせるための演技に決まっているじゃないですか」
「ほんとに全然悪びれてないな! お前!」
「そうだよ! ほんとにひどいよ! あたし、ラナちゃんの事信じてたのに!」
俺の勢いに助力を借りてか、さっきまで黙って食事をしていた美咲も、今まで溜め込んでいたであろう感情を一気に吐き出した。またつまらない冗談を口にしようとしたらしきラナも、美咲の目の縁に浮かぶ雫に気付いたのか、珍しく少々困った顔になる。
「ほんとに……信じてたんだよ……? あの可愛い子猫が、きっと恩返しに来てくれたんだって……」
「美咲……」
「現実とは、非情なものです」
「お前も少しは申し訳なさそうにしろよ!」
「私もこうなる展開を予想して、それを避ける為にあんな恥ずかしい格好でこの家を訪れたのですよ? むしろ、私の努力を賞賛していただきたいものです」
「俺の目には嬉々として演技をやっていたように見えたんだけどな!?」
その時、板の間から通じる扉が音を立てて開いた。そして少しおぼつかない足取りで、この数時間でかなりやつれたように見える茉莉花姉が入ってきた。
「おねーちゃん! 大丈夫なの!?」
茉莉花姉はラナがいる場所を極力見ないようにしつつ、人生に疲れてしまった世捨て人のようにあきらめの苦笑いを返す。
「……こんなに大声で騒いでちゃ、大人しく寝ている事なんて出来ないでしょう?」
「あう……」
「面目ねえ……」
恥ずかしさのあまり、顔を伏せる美咲と俺。
もう一人のこの騒ぎの元凶はどんな表情をしているのかと、俺は面を上げてラナの座席に目をやり……いない。
慌てて首を巡らす俺。
そこには茉莉花姉の視界に入ろうと、ぴょんぴょんジャンプしているカエル娘がいた。茉莉花姉はラナが視界に入ってこないよう、必死に顔をあちこち動かしている。
「何やってんだお前は!?」
「いえ、茉莉花さんの瞳に私の姿を焼き付けてもらおうと」
「明らかに嫌がってるだろーが!?」
「好きな相手にこそ、意地悪をしたくなるものなのです……あ、もちろん性的な意味で好きなのは樹さんだけですから、安心してください」
「そんな事は聞いてねえぇ!!」
「そうね……と、とりあえず、樹……私からこの子を引き離してくれる?」
視線を天井に固定したまま、恐怖のあまりか一歩も動けなさそうな茉莉花姉。俺は慌ててラナの腕をつかみ、茉莉花姉から引き離した。
「ふふふ、出会ってから二日目にしてスキンシップとは大胆ですね。樹さん」
「何でも自分に都合良く解釈すんな!」
ラナを元の場所に押し込み、一応作っておいた余りのオムレツを美咲に持ってきてもらい、茉莉花姉にも席についてもらった。これで、ようやく家族の食卓という体裁は整ったわけだ。
もっともそれはあくまで外観だけだ。見えない亀裂の入った陶器のように、少し外から突付いただけであっさりと壊れてしまうだろう。
「やはり、家族団らんというのは良いものですね」
「お前が言うな! お前が!」
陶器にひびを入れた張本人のお前が!
「まあ、お二方もおそらく私に言いたい事がいろいろあると思いますが、今は食事中ですし、あとでこちらからお部屋に伺いますよ」
「むー……」
「……」
言葉と態度で不満を表明する美咲。そして不安そうにこちらを向き、視線で俺に助けを求める茉莉花姉。二人の気持ちも良く分かるが、確かに一度冷静になって話し合う必要があるかもしれないな。美咲も茉莉花姉もラナと二人っきりになるのは不安だろうし、俺も同席したほうがいいかな?
「ちなみに樹さんはもうすでに私の味方です」
「嘘を吐くな!! まだ俺もお前の事を認めたわけじゃねえ!!」
姉妹の疑惑と恐怖に満ちたまなざしが向けられ、俺は速攻で否定した。
コイツは何を吹き込むか分かったもんじゃない。話し合いとやらに、俺もきちんと顔を出す事にしよう。
俺は自作のオムレツを胃の中に流し込みながら、こっそりと決意を固めた。
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食後の後片付けも終わり、満杯だった胃袋にも多少のスペースが出来上がったころ、お茶の間でテレビを見ながら寛いでいたラナがおもむろに立ち上がった。
そして、何も言わずに板の間に面する戸を開け、そのまま出て行く。遅れてあいつの魂胆に気付いた俺も慌てて追いかけた。
早足で追いついた俺を振り返り、ラナはため息を吐く。
「やはり貴方も付いてくるのですか? 樹さん」
予想通り、俺に何も言わずにあの二人との会合を開始するつもりだったらしい。ちゃんと見てないと何を吹き込むか分からんなコイツは。
「当然だろ? お前と二人っきりにさせると、何が起きるか分かったもんじゃない」
「仕方ないですね……せっかくあの二人に無い事無い事吹き込もうと思ってたのに」
「嘘吐く気満々じゃねーか!?」
て言うか百パーセント嘘で固める気かよ!? 追いかけてきて正解だったわ!
「さて、それではまず美咲さんのお部屋に行くことにしましょうか。二階でしたね」
「さらっと流すなよ……」
「小学生が夜更かしをするのはあまり褒められた事ではありませんし、なるべく早くすませましょう」
「ああ。しかし、良く考えると明日でもよかったんじゃねえか? どうせまだ夏休みなんだからさ」
「いえいえ、善は急げといいますからね。お二人をさっさと説得し、早くこの家での地位を確立したいのですよ、私は」
「……一応念の為に聞いとくが、ちゃんとあの二人と上手くやって行きたいと思ってるんだよな?」
「大丈夫ですよ。樹さんは黙って見ていてください。大船に乗ったつもりでね」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「美咲さんは『ごんぎつね』をご存知でしょうか?」
「……知ってるけど……それがどうかしたの?」
「ではあの結末も知っていますね? 改心してせっせと食べ物を届けにきていた狐が最後に撃たれてしまう、涙無しには語れないラストを」
「う、うん……」
「とても悲しくて、つらい事だと思いませんか?」
「うん……思う……」
「ならば美咲さんは私を許すべきです」
「意味わかんないよ!?」
「今のままでは美咲さんは、あの狐を撃ち殺した男と同じ事になってしまいます。ですから、そうならない内に早く私を許さないといけません」
「まだ食べ物も持ってきてない内から何言ってるの!?」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「……」
「……(ブルブルブル)」
「…………」
「…………(ガタガタガタ)」
べろんっ!
「ひぃっ!?」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「話し合いは決裂しました」
「あれのどこが話し合いだよ!? お前ほんっとうにあの二人に認めてもらうつもりあんのか!?」
成果もなく戻ってきたお茶の間で俺の叫び声が上がる。正直、怒り半分、疲労半分といったところだが。
美咲はどう考えても悪感情を増加させただけだろうし、茉莉花姉はおぞましい光景を再度見せられて、またもや寝込んでしまった。俺もはっきりいって可能ならダウンしたいところだ。
ていうか、何で俺こんなやつの為に骨を折ってるんだろうな?
「それはきっと愛ですよ」
「んな訳ねーだろ!? 人の気持ちを嘘代弁するんじゃねえ!」
俺の怒声もどこ吹く風。ラナはのんびりと頬杖をついて嘆息する。
「しかし困りましたね。私も心の内をさらけだしてお二方に接しているというのに、中々心を開いてくれない」
「あれがお前の本心なら、はっきりいって当然の反応だと思うぞ?」
「ほう、ではお聞きしますが、心にも無いことを並べ立て、その場しのぎの関係を結べば良いというのですか、樹さん」
「うっ……」
「私としてはそんな冷めた関係ではなく、心の底から家族のようになりたい。そう思っての言動なのですよ。外から見ると、多少おかしく見えるかもしれませんが」
「わ、悪かったよ。お前も本気で考えてくれてるんだな……」
「当然ですよ」
意外と真面目に考えているらしいコイツの事を少しだけ見直し……そうになった時に俺はある事を思い出して低い声で問いかける。
「……なあおい、じゃああの最初の出会いの演技は何だったんだよ?」
「まあそれはそれとして」
「誤魔化すなよ!? お前の言動の方がよっぽどその場しのぎじゃねーか!!」
「あれくらいはお茶目だったという事で見逃してください」
「見逃せる訳ねえだろ!? まずはお前から誠意を見せるべきだろーが!!」
「難しい事を言いますね……ただ、茉莉花さんと美咲さん、両人と仲良くしたいとは本気で思っているのですよ? 将来、義理の姉妹になるのですから」
「俺の意思は無視かよ!? 別に俺はお前とくっつきたいとか思ってねーぞ!」
「……やはり、樹さんは人を容姿で差別するのですね。残念です」
「今までの自分の行いを振り返ってみろよ! お前に惹かれる要素なんてこれっぽっちもねーだろ!?」
「顔だけは可愛く擬態したつもりなのですが」
「結局お前も容姿で釣ってんじゃねーか!」
「人間の男なんて単純なものだと聞いておりましたので」
俺の拳が怒りのあまりにぶるぶると震える。
このままだと頭の血管が切れちまうかもしれねえ。話題を変化させる為にも、コイツの話を聞いてて気がついた事を聞いてみる事にした。
「一応念の為に聞いとくが、お前は俺のどこが気に入ったんだ?」
「顔です」
「おいコラ」
「冗談です」
本気で血管が切れそうだ。
「お前、何か喋る毎にどんどん信用を無くしてるぞ?」
「じゃあ子宮で何かを感じたんですよ、きっと」
「カエルに子宮はねーだろーが!!」
「恋は理屈じゃないんです」
こ・い・つ・はぁぁぁぁぁぁぁ!!
一事が万事この調子だ。
だんだん頭が痛くなってきた。
「とにかく私は本気ですよ? 樹さんの子を産むのが私の望みです」
「うっ……ぐ……」
正直、今まで彼女がいた事が無い俺にとって、いきなり子供が欲しいだとかあまりにもヘビーな話である。しかも、子作りしようと迫ってきている相手は人間ですらない。俺が言葉に詰まるのも当然と言えよう。
……というかちょっと待て。肝心な事を忘れていた。
「そもそもお前カエルだろ? 子供とかどうやって作るんだよ!?」
「そうですね……」
ラナは軽く首を傾げ、しばし黙考したあと口を開いた。
「まず、水槽か何かに水を貯めてもらいます」
「ああ。それから?」
「そこに私が卵をたくさん産みます。黄色っぽくて丸っこいやつです。ご存知ですよね?」
「あ、ああ……」
俺の脳裏に、子供の頃に図鑑でみたカエルの卵のグラフィックが浮かぶ。
「ふふ……どうしたんですか? 少し口元が引きつっているようですが」
「い、いや!? べ、別に何でもねえぞ!?」
「あとはそこに樹さんが欲望をぶちまけてくれればOKです」
「だからそのいかがわしい言い方は止めろ!」
「なんでしたら、その場でセクシーポーズくらいは取ってあげてもいいですよ?」
「いらんわそんなもん!!」
俺は顔を真っ赤にして吐き捨てた。
ラナの発言はコイツが人間じゃないことを俺に再認識させた。いろいろと無理があるだろ! 出来るかそんな事!!
「ちなみに卵は五百個くらい産むつもりです。元気に育つといいですね」
「決定事項として進めるな! 俺はやらんぞ!」
「仕方ないですね……ではお楽しみは取っておいて、あの御二方を懐柔する手段を考えましょうか」
「表現が悪すぎだろ!? せめて仲直りって言えよ!!」
ラナは腕を組み、思考の海をさまよい始めたようだ。俺もコイツを更正させるのは一旦あきらめて頭を切り替える。と言っても、永遠に更正させられそうにないけどな!
しばし、時計の針が時を刻む音だけが響く。だが、お互いに何もいい方案は浮かんでこず、空しく時間だけが過ぎていく。
ギブアップしたらしいラナが沈黙を破って言葉を発した。
「何かいいアイディアはありませんか樹さん。こういう時に知恵を出せないなら学校に通っている意味なんてありませんよ」
「だから何でそんなに偉そうなんだよお前は!? そりゃ俺だっていろいろ考えてはいるけどな、こんな事態初めてなんだから仕方ねーだろ?」
「ふう……使えない人ですね」
「本当に追い出すぞお前……とにかく、ちょっと一晩考えさせてくれ」
「わかりました。ただ、なるべく急いでくださいね。今のままでは茉莉花さんのご飯にありつけませんから」
「お前も考えろよ! 自分自身の事だろーが!」
「善処はしますよ」
「当てにならねえ答えだなオイ」
実入りの無いやりとりを繰り返している間に、お茶の間の時計が二桁の音を鳴らす。俺はわざわざ座敷に布団を敷いてやり、ラナが床に入る準備を整えてやった。
この疫病神のような両生類娘にここまでしてやるとは、俺ってひょっとして聖人か何かなんじゃないのか?
「ではまた明日。あ、でも夜這いはいつでも大歓迎です」
「するか馬鹿! さっさと寝ろ!」
相変わらずのラナに対し、俺もいつものようにやり返す。まだ出会って二日だというのに、まるでガキの頃からの悪友に対して接しているかのような気安さで、コイツとやりとりしている自分に気付いてびっくりする。
「さっきも言ったけどちゃんと考えてくれよな。お前自身の事なんだぜ?」
「ああ、どうやら水分が不足してきたようです。何だか意識が……」
「本気でやる気ないなお前!?」
俺は毒吐きながらも、こういう馬鹿な会話を楽しんでいる自分を自覚してしまう。何だかんだ言って、俺はコイツの事が気に入り始めているのかもしれない。
……もちろん、好きとかいう感情は全く無いぞ!?
ただ、ラナがうちの姉妹と上手くやっていってくれると、この騒がしい日常が続いていく。そして、その事を考えると口元にかすかな笑みが浮かぶのは確かだった。