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確認の為にお出かけ

 次の日。

 夏休みというのはいいものだ。朝早くに目覚ましに叩き起こされる事がない。もっとも、家の場合は茉莉花姉に起こされる運命だが。それでも通常時より一時間増しの惰眠から目覚めた俺は、目をこすりながら階下の洗面所を目指していた。


 俺と美咲は二階に、茉莉花姉は一階にそれぞれ自分の部屋を持っている。

 古い家だが、大きくて部屋数が多いのはいい点だ。ダチからもよく羨ましがられる。もっとも、住んでる者からしたら悪い点もいっぱい目に付くんだけどな。


 階段を降り、板の間を通り抜けて洗面所へと向かう。

 あくびをしながら引き戸を開けようとした時、俺が触ってもいないのにがらがらと木戸がスライドした。

 俺の隠された力が発揮された! 訳ではもちろんなく、ただ単に中から開けた奴がいるだけの話だ。


「おや、おはようございますだにゃん。結構早起きだにゃん?」


 中にいたのは、ネコ耳少女のラナだった。


「なんだ、お前か……学校がある時はもっと早いぜ? まあいいや、お早う、ラナ」

「はいですにゃん。すぐにどきますのでちょっと待ってほしいにゃん」


 ラナはそういうと、後ろ手に風呂のドアを閉める。


「? ひょっとして朝からシャワーでも浴びてたのか?」

「そうですにゃん。ちゃんと茉莉花さんの許可はいただいてますにゃん」


 にこりと微笑むラナの顔は、朝風呂の効果かすごく瑞々しい。何だか気恥ずかしくなって、俺はラナから目を逸らした。


「別に責めてるわけじゃねえさ。俺は外で待ってるから、もう少しゆっくりと洗面台を使ってくれてかまわねえよ」


 言い終わるかどうかのところで俺は踵を返し、台所の方に向かった。まったく、風呂上りの女なんて、茉莉花姉と美咲で慣れてるんだから、こんなにドギマギしなくてもよさそうなもんだ……。


 自分に呆れながらも板の間の棚からコップを取り出し、一段下にある台所に降りた。そして蛇口を捻って水を注ぐ。俺は軽くうがいをして用済みになったそれを吐き出した。


 ふう、すっきりしたぜ。もういっそここで顔を洗おうか、と思いつき、実行しようとした矢先。


「お待たせしましたにゃん。洗面所空きましたにゃん」

「おっ、そうかい? わざわざありがとな」


 くるりと振り向いた俺の目の前に、水を得た魚のように上機嫌なラナが立っていた。その頭に揺れる二つの耳も、その気持ちを表現するかのようにぴこぴこと揺れていた。


「……その耳、自在に動くんだな」

「? 当たり前だにゃん。自分の耳なんだから動いて当然だにゃん」

「い、いや、まあそうなんだけどよ」


 お前のはつけ耳なんだから動くのはおかしいだろ!?

 という突っ込みを危うく口に出すところだった。本気で猫少女を演じてる子にそんなぶしつけな事を直球で聞けるほど、俺はアグレッシブな人間じゃない。もちろん猫が化けているとは欠片も信じちゃいないが。


 そう、欠片も信じてはいないのだが……。

 ぴこぴこ。

 いないのだが……。

 ぴこぴこ。ぴこぴこぴこ。


 耳に合わせて、尻尾もまた機嫌よさそうに動く。

 昨日あのダンボールの中で鳴いていた子猫と全く同じ色合いのアクセサリー。

 そう、作り物のはずなんだ。それは分かっちゃいるのだ。こんな物を本物だと思うだなんて、造花に水をやるくらい愚かな事だ。


「……その耳、ちょっと触ってもいいか?」


 それなのに、俺の口からはこんな言葉が漏れていた。

 ラナはさっと頬を朱に染め、軽くネコ耳を押さえた。


「樹さんってば大胆だにゃん♪ でも……樹さんならOKだにゃん♪」


 何だか一人でエキサイトしているが、俺はそんな彼女の反応も頭に入らず、何かに憑かれたかのように、ぼんやりとその耳に手を伸ばす……。


「……おほん」

「っ!? おわあぁぁっ!?」

「にゃん!?」

「うふふ……樹。朝から何をやってるのかなあ?」

「ま、ま、茉莉花姉!?」


 驚きから立ち直ったラナが口を開こうとするのを、茉莉花姉は素早く制した。


「うふふふ……大丈夫よ。ラナさん。何も言わなくても。樹にまた特殊なプレイを強要されたんでしょう? 分かってるから」

「ちょっと待て茉莉花姉! その誤解は昨日解けたはずだろ!?」

「いいの。樹をこんな風に育ててしまった私が悪いんだわ。さあ、ラナさん、今の内に行きなさい。樹にはよく言い聞かせておくから」

「……はいだにゃん♪ それではよろしくお願いしますにゃん♪」

「っておい! あっさり見捨てんな!」


 この家でだれが一番偉いかを熟知しているラナは、あっさりと茉莉花姉の言葉に従い、そそくさと去っていた。足音も立てずに素早く離れていくその姿は本物の猫のよう。くそう、なんて奴だ!


「さて、どんな言い訳を聞かせてくれるのかしら?」


 そして俺の前に立ち塞がるのは、この家の主代行、茉莉花姉。

 あいつが猫なら、俺はいわゆる袋の鼠ってやつですね?

 などというつまらないジョークを言う勇気は、俺にはなかった。



      ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



「おにーちゃん、昨日話したあのダンボール……って、まだ泣いてるの?」

「……うるさい。朝からブロッコリー尽くしを食わされた俺の気持ちが、お前に分かるのか?」


 今日の朝食は、手羽先とゆで卵をしょうゆベースに煮込んだものがメインデッシュをつとめ、周りを囲むのはきんぴらゴボウと玉子焼き、そしてとろろ昆布のお吸いもの。

 いつも通りに茉莉花姉が手間暇かけた、とても美味しそうな品々だった。


 もっとも、それらのメニューが並んでいたのは、俺を除く三人の女性陣の前だけだった。俺の前? ははっ……緑の大草原が広がっていたよ……。


 美咲は手をびしっと垂直にあげ、我が家の家訓を口にする。


「あたし、知ってるよ。おねーちゃんに逆らっちゃだめって事だけは!」

「ああそうだ、それさえ守っていればお前は不幸にならずにすむ! で、なんだ? ダンボールがなんだって?」

「むー! もう忘れちゃったの? あのラナちゃんがいたダンボール箱を見に行く約束をしてたじゃない」


 ラナに聞こえる事を恐れてか、途中から声量を下げる美咲。といっても、その言葉はラナがあの猫であると信じていない限り、出てこない内容だったが。


「そうだなあ……じゃあ、昼飯を食った後に行くか? 正直、このブロッコリーの後味を消さない事には動く気にもなれん……うぅ」

「うん! わかった! じゃあ、お昼過ぎに行こうね。おにーちゃん! あ、でも……」

「? でも、何だ?」

「うん……えっとね、お昼ご飯もブロッコリーだったらどうするのかなーって」

「ははは、何言ってるんだ。そんなことあるわけがないじゃないか」


 結論から言うと。

 昼飯も緑一色でした。



      ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



「おにーちゃん……大丈夫?」

「ううっ、すまんが話しかけないでくれ……お兄ちゃんは今、緑色の悪魔と戦っているんだ……」

「う、うん……わかった。頑張っておにーちゃん。後であたしがアイスを買ってあげるから!」


 昼飯を一言でいうと。

 機体良好オールグリーンって感じだった。

 そしてそれを食べた俺は機体損傷オールイエローってところだ。

 いやほんとに冗談抜きできついぜ、うう……。


「でも何だか緊張するね。絶対にそんな事は無いと思うんだけど……」


 だがそんなふらふらの俺に対し、愚妹が大して気遣う様子もなく普段通りに話しかけてきた。


 お前は昨日猫に向けたあの優しさを、もう少し俺に向けてくれてもいいんじゃないか? ま、アイスは喜んでおごってもらうつもりだが。


「……お前の言う絶対に無いってのはどっちの意味でだ?」


 話している方が気が紛れる事に気付いた俺は、からかうような口調で美咲に答えた。


「それはもちろん、あの猫がラナちゃんじゃないって事が無いってことだよ!」

「へっ。俺はあの猫がラナじゃないって事が無いってが無いって事だと思うけどな!」

「むむむーっ! そんな事ないもん! あの猫がラナちゃんじゃないって事が無いってことが無いって事が無いって事だもん!」

「常識で考えろよ。あの猫がラナじゃないって事が無いって事が無いって事が無いに決まってるぜ!」


 そんな低レベルなやりとりをしながら俺と美咲は、あのみかん箱を見つけた路地へのんびりと向かっていた。


 昨日まで雨で打たれていたアスファルトも、夏の熱気によってその形跡をすでに残していない。だけどその大自然の水打ちのせいか、今日はいくぶん過ごしやすい陽気と言えた。ときおり吹く風が水田の緑の穂先を揺らしている。いつもと同じ、のどかな田舎の風景があたりに広がっていた。


「それにな、あの猫がいてくれなきゃ、俺が買った食いもんが無駄になっちまうだろ? 結構高かったんだぞ? これ」


 俺はあの時マーケットで買った袋を、美咲の前でぶらぶら揺らしながら言ってやる。中にはまだまだ猫用の食べ物が残っていた。今だから分かるが、正直ちょっと買いすぎた。買い物をした時はとにかく子猫が食べれる物を! としか考えてなかったから、仕方ないといえば仕方ないんだが。

 ……でもなんか数が少し足りない気がするんだよな。あの時はもう少し大量に買った気がするんだが……。


 俺の心にかすかな疑念が浮かぶ。そんな心中を知ってか知らずか、美咲は手で太陽光に庇を作りながら事も無げに答えた。


「その時はラナちゃんに食べてもらえばいいんじゃないかなあ?」

「……それもそうか……って、いやいや、やっぱりそれはまずいだろ?」


 そんな事をして喜んで食べられたりしたら、今まで俺が信じてきた世界が崩れさってしまうわ!


「だってラナちゃん、あの時の缶詰が美味しかったって言ってたもん!」

「いや、確かにそうなんだけどな……」


 ちなみに件のラナは、俺達が出かける少し前にちょっと用があるとか行って出て行っちまった。もっとも、夕飯の世話になる気満々で、夕方前には戻ってくるとほざいていたが。


 茉莉花姉は頬に手を当てて苦笑していたが、さすがに図々しすぎんだろあの女!?


 その頃の俺は緑の野菜のせいでダウンしていたため、文句を言う事もできず……恨むぜ、茉莉花姉。


 そういえば、ラナは出て行く前にまたシャワーを浴びていたようだ。猫は水浴びとかはあまりしないらしいし、あいつも猫の生態にそこまでは詳しくないのかもな。帰ったら問い詰めてやる。


「さてと、次の曲がり角が決着の時だな」

「そうだね、おにーちゃん!」


 俺と美咲はついに昨日のあの場所へと、あと一歩の所に辿り着いた。がぜん、踏み出す足にも力が入る。


 曲がり角から顔を出すと、あの時と同じ、くたびれたみかんのダンボールが視界に入った。まだ中にいるはずの――少なくとも俺はそう信じている――子猫はまだここからは角度的に見えない。


 俺はもちろん美咲も早足になり、どちらの主張が正しかったのか答えを得ようとした。そして、同時に雨ざらしとなっていたその箱の中を覗きこむ。


「ほら、いないよ! やっぱりラナちゃんがあの子猫だったんだ!」


 美咲の喜びの声が、人気のない路地に響いた。これには、さすがの俺もぐうの音も出ない。


「む……ぐぐ……」


 いや、もちろん俺だって、やっぱりラナは猫の化身なんだすげー! などという短絡的な考えになった訳ではない。しかし、こうも偶然が重なると、どうも……なあ。


 少なくとも、美咲の奴はこれで完全に信じてしまったらしい。それこそ猫のように目を輝かせて俺の事を見上げている。どうだ! と言わんばかりだ。


 だが待ってくれ美咲よ。まだ、たまたま通りがかった誰かが拾っていったという事だって考えられるではないか。


 俺もその可能性にすがりたくて、ダンボールの中を吟味する。そこに、誰かの痕跡を探すかのように。


「もう……おにーちゃんは疑り深いなあ……サンタさんだっているんだから、猫が人間になったっておかしくないじゃない」

「美咲、普通は逆だぞ。猫が人間になるなら、サンタがいてもおかしくないって思うもんだ」

「むー、おにーちゃんはサンタさんも信じてないから、いつもプレゼントが貰えないんだよ」


 うるさいやい。俺だって親父にひいきすんなと言いたいわ!


 我が家のサンタの正体は実は俺である。海外の両親が送ってくるプレゼントを俺が気付かれないように美咲の枕元に置いてやっているので、正確に言うと俺と親父の共同作業といったところだが。


 その結果もあって、美咲はまだサンタの存在を信じている。いや、俺ももちろん、サンタが実在している事は知っているのだが、俺の知るサンタと美咲の信じているサンタは全く別物だ。


 おっと、話がそれちまった。今はサンタの事よりも重大な事があった。


「残ってるのは空いた缶詰と、猫の毛ばかり……か」


 昨日、あの猫と一緒に居たカエルの姿ももはやない。空はすっかり晴れ渡ってるし、その辺の田んぼにでも避難したのだろう。


 結局、探偵でもない俺の力では、あの猫が誰かに拾われたのか、それとも自力で別の場所に行ったのか、はたまた、俺が信じたくない事が起きたのかは分からなかった。ただ、俺があの時あの猫にくれてやった黒い傘だけが、忽然と姿を消していた。美咲はラナが持ってきた傘が俺のものだと言っていたが、ビニールの傘なんてどこにでもある。色だってポピュラーだ。


 つまり、何の手がかりもなし。


「とりあえず、空き缶を回収して帰るか。しっかし、どうしたもんかな、この残りの猫飯は……」


 俺はダンボールから空き缶を回収し、あらかじめ用意していた別のビニール袋に放り込む。そして、もう片方の手にぶら下げている買い物袋を見下ろして嘆息した。


 俺の小遣いは決して高いものではない。そこから捻出したこれらのアイテムが、一夜で全て無駄な物となってしまったのだから、ため息の一つや二つ吐いたってバチは当たらねえだろうさ。


 おっと、ラナにやるっていうのは無しだぜ?

 俺は美咲みたいに単純明快じゃねえんだからな。


「おにーちゃん、元気だしなよ。約束どおり、アイスをおごってあげるから!」

「はあ……ありがとな、美咲」


 俺は可愛い妹の頭をぽんぽんと叩き、謝意を示した。

 小学生の妹にアイスをたかる高校生の兄貴。いささか情けない構図ではあったが、今の俺は甘んじてこの状況を受け入れるぜ!


「で、だ。美咲さん。予算はいかほどかね? おにいちゃん、たまにはセレブな気持ちを味わいたいのだが」

「えっとねー、五十円」

「お前ふざけてんのか!? それじゃあ今日日、当たりつきのバーアイスだって買えねーだろおぉっ!?」

「お、おにーちゃん、まじで怒ってる……怖いよ……」


 ――結局。

 俺がおごってもらえたのは、駄菓子屋のタマゴ型アイスでしたとさ。


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