おせんべい
あれは小さいころ、お盆休みで田舎に帰省していたときのことだったはずだ。
わたしは両親と祖母に連れられ、大型ショッピングモールに来ていた。帰省もあと残り二日くらいだったので、両親の同僚のためにお土産を買いに行くことになったのだ。
しかし、私は案の定お土産売り場に着く以前に両親とはぐれてしまい、生活用品売り場をさまよっていた。
子供の目には陳列棚が何倍にも大きく映り、出口のない迷路のなかにいるようでとても心細かったのを覚えている。
「お譲ちゃん、迷子かい?」
いきなり頭上から声が降ってきたので急いで見上げると、そこには若い男の人が立っていた。わたしの顔を心配そうに覗き込んでいる。
「・・・うん・・。」
男の人は実に不思議な服を着ていた。この暑いさなかだというのに茶色っぽいような長袖長ズボンに、坊主頭の上にはぺしゃんと潰れたような変な帽子。
その服の色がカーキ色ということ、その服が軍服というものであることを知ったのは、それから大分後のことだ。
「困ったねえ・・・実は僕もここに来るのは初めてで、よくわかんないんだよ。久しぶりに帰ってきたもんでね」
「お父さんもお母さんも、おばあちゃんも見つかんないの」
「そっか・・・・・・・ああ、そういえばお譲ちゃんのお父さんお母さんたちは何を買いにここに来たかわかるかい?」
「うーん、お土産買うんだって言ってた」
「じゃあ食品売り場のほうかなあ、まあ行ってみようか」
もちろん私は親に『知らない人にはついて行っちゃいけません』と言われていなかったわけではないが、この人には一切怪しい雰囲気を感じなかった。とても優しそうだった。
「うん!」
というわけで、私はその人に手を引かれて地下のほうに向かった。
しかしまあその男の人もさっき言っていたとおり、ここに来るのは初めてだったもので、しばらくお土産とは全く関係がないような売り場を一緒にさまようこととなった。
「お兄さん方向オンチ?」
「前によく言われたよ」
しばらく二人で歩いていると、ふいに向こうの方からお母さんの声が聞こえた。私の名前を呼んでいる。
「あっ、おかあさんだ」
「おー、よかったね見つかって。」
「お兄さん、ありがとう!」
「どういたしまして。・・・あっ、そうだ、おせんべいあげる」
そういうとその人はポケットの中から紙包みを一つ取り出し、そこから煎餅を一枚取り出して、私にくれた。
こんがり焼けた大きめのしょうゆせんべい。
「もう迷子にはなるなよっ」
「ありがとうございましたっ!」
そして私はお辞儀をすると、母の声がするほうへと駆け出した。
「あっ、名前聞いてなかった・・・・お兄さぁん!お名前教えて!」
「大きくなったら、おばあさん家のお隣の佐藤さんに『じゅんぺいさんっていう人知らない?』って聞いてみな!」
「もう、どこに行ってたのよ、心配したんだから!」
「おかあさん、あのね、じゅんぺいさんっていうお兄さんがいっしょにお父さんお母さんたちのこと探してくれたの」
「あらー、何かお礼しなきゃねぇ」
「あのね、お兄さんおせんべいくれたんだよ、ほら」
「よかったな、家に帰ったら食べよう」
そう言うと父はポリ袋にお煎餅を大事に包んで私に手渡した。
しかし、結局のところ母は『じゅんぺいさん』にお礼をすることができなかった。
さっきまで確かにそこにいたはずなのに、もういなくなってしまっていたのだ。
家に帰り、私は大事におせんべいを食べた。しょっぱくて香ばしくてなかなかおいしかったのを今でもちゃんと覚えている。
私はじゅんぺいさんの「大きくなったら」という言葉をちゃんと守り、今年まで待っていた。
「こんにちは、佐藤さん!」
「ああ、お隣の由宇ちゃんだね?まあ、大きくなったねえ」
ほら、私は大きくなったよ。
「まあお上がりなさい」
「おじゃましまーす」
座布団に腰を下ろすと、仏壇が目に入った。お盆だけあって花がわんさか供えられている。
「佐藤さん、今日は一つ聞きたいことがあって来たの」
「あら、困ったわね。私なんかじゃ夏休みの宿題手伝えないわよ」
「ううん、違うの」
私は緑茶を一口すすってから聞いてみた。
「佐藤さん、じゅんぺいさんっていう人知らない?」
佐藤さんはびっくりした顔をした。
「淳平かね?」
佐藤さんはよっこらしょと急いで立ち上がり、鴨居の上から額縁を一枚下ろした。ほこりを軽く払い、私に手渡す。
私は目を見開いた。
拡大された白黒写真、そこに写っていたのは間違いなくあのお兄さんだった。
「この人です!」
「淳平はねぇ、私のお兄さんなんですよ。」
それから私は小さいころの体験を佐藤さんに話した。話が進むにつれ、佐藤さんはさびしいようなうれしいような顔になっていった。
私がお煎餅をもらったくだりにさしかかった時だ。突然佐藤さんの目から涙がこぼれた。
「私のお兄さん、淳平さんは昔戦争に行って、結局生きて帰っては来なかったんです。終戦の後、代わりに届いたのが骨箱でした。
けれど、故郷に葬ってあげようとお父さんが蓋を開けると、中にはお煎餅が一包み入っていただけだったんです。
泣きながら、家族全員で食べました」
きっとお兄さんはお盆だからこっちに戻ってきていたんでしょうねえ、と佐藤さんは涙をぬぐいながら言った。
翌日。私はおじいさんの墓参りをするついでに、佐藤さんの家の墓にも行ってきた。
おいしいお煎餅を持って。
花を供え、手を合わせた。
帰り際、ふとふりかえると、さっきまで開いていなかったお煎餅の袋が開いていて、お煎餅は約二口分くらいなくなっていた。
「食べたらちゃんとゴミは捨ててねーっ!!」
墓場に向かって叫ぶと、
一瞬、『わかったってば、お譲ちゃん』という声が聞こえた気がした。
しかし。
「やばい、寺の中で迷った!」
私は今でもやっぱり方向音痴である。
骨箱の中にお煎餅が入っていたという話は、祖母が聞いた実際の話です。