06
依睦の手から袋が下へと落ちると、中に入った物が散らばる。
依睦は走り出していた。
早く、早く、一秒でも早くあの場所へ。
依睦の目にぼやけて映っていた人影は、近付くにつれてハッキリと映し出される。
依睦の頭の中が真っ白になる。
「光輝……?」
街灯に照らされる赤い海の上で苦しそうに横たわる光輝と、その隣で怯えた表情で立ち尽くす男。
依睦は無我夢中で走った。
苦しむ光輝の隣に座り込み、光輝を抱き抱える。
「光輝、光輝!しっかりしろ!」
ぬるぬるとした生暖かいものが依睦の手に付着する。
「…ろ、よ……か……。」
光輝の途切れ途切れの言葉が依睦に聞こえたと同時に、施設内から悲鳴が聞こえた。
驚いた依睦が顔を上げ施設の方を見ると、廊下を走る数人の人影が見えた。
「なんだ…?」
依睦が固まっていると、隣に立つ男の腰が抜ける。
「どうして僕がこんな目に?どうして?どうして?」
男が一人でボソボソと話す内容を、依睦は理解が出来ないでいた。
すぐに救急車を呼ばないと光輝の命が危ない。
早く施設に戻ってあげないと。
「おじさん、救急車を呼んで!」
依睦が男に向かって話しかけるが、男はボソボソと呟き依睦の方を見ようともしない。
「おい!急いでるんだ!!早く呼んで!!」
依睦が大きな声で怒鳴ると、男は体をビクリとさせ慌てて携帯電話を取り出す。
「光輝、少しだけ待ってて。中の様子を見てくる。すぐに戻るから。」
依睦が光輝にそう言うと、光輝は首を横に振る。
「……だ……に………ろ。」
「光輝、大丈夫だから。もう喋らないで。」
依睦は光輝をそっと寝かせると「早く呼べよ!」と男に怒鳴りつけ施設内へと向かい走り出す。
光輝が依睦を掴もうと伸ばした手は届かなかった。
外にまで聞こえる悲鳴。
虫が出た時もよく叫んでいるが、それとは比にならない程の大きな悲鳴。
「不審者でも入り込んだか……?」
依睦は玄関に置かれていたバットを手に取ると靴を脱いで中へと入る。
早くしないと光輝が……みんなどこにいるんだ?
依睦は人影が走り去った方へと向かう。
物音一つしない。
まるで誰もいないかのような静けさに息を飲む。
「おーい?誰かいないか?」
依睦は目に付いた扉を開けながら声をかける。
誰からも返事がない。
依睦は一つ一つ扉を開き中を覗く。
暗い部屋、静かな空間。
依睦は外で待たせている光輝の事も気になり、気持ちが焦る。
「次の部屋を見たら一度外に出るか?」
ボソリと呟き扉に手をかけ開き、中を覗いた依睦の視界は赤く染る。
「な…んだ……?」
鼻がひん曲がりそうな程の異臭と、月明かりに薄らと照らされる部屋一面に広がる赤い海が依睦の思考を停止させる。
依睦が一歩部屋の中へと足を踏み込むと、グニュリとした感触がして依睦は不快感に襲われた。
ゆっくり足元を見た依睦はその場に嘔吐する。
赤黒く染った見慣れないモノが散乱している。
その傍に、恐怖に怯えた見慣れた人の表情が転がっている。
見慣れた人と目が合った依睦は身体を震わせた。
首は皮一枚で繋がっている。
胴体はズタズタに裂かれ腹の部分から飛び出したモノは依睦の足元のモノへと繋がる。
その子の傍に転がる幾つもの見慣れた顔に、依睦は叫んだ。
喉が切れ血が滲む程に叫んだ。
「他の……他のみんなは…?」
震えた声。
震える足。
依睦は、先程廊下を走っていたのはこの子達だろう。ならば他の子達は?と、探しに行くことにした。
思い出しては吐き気を催しその場に嘔吐する。
出すものが無くなり液体だけがその場に飛び散る。
ゆっくり、ゆっくりと、廊下を進むと明かりが見える。
「あの部屋に誰かがいる。」
依睦は無事を願いその明かりをめざして歩いた。
部屋の前に立ち扉に手を伸ばした時、中から聞こえた不快な音。
依睦の手が止まる。
「グチュ…ッチャ…クチャ……ジュルル」
依睦の額には汗が滲む。
「ジュル…オ…イシ………クチャ…」
依睦の手が震えバットが落ちる。
カラーンと廊下に鳴り響く音。
中から聞こえていた音が鳴り止む。
「…ニオ…イ……イイ…ニ、オイ」
中から此方へと向かってくるのが分かる。
ペタペタと近付く不快な足音。
依睦の心は恐怖一色に染まり上がる。
もう扉のすぐ側に奴がいる。
ガララと音を立て開く扉。
ヨダレをポタリポタリと垂らしながら赤く染った手を扉の先へと伸ばす。
「オ、イシ…?」
赤い手は廊下に落ちたぬるぬるとしたモノを手に取ると、口へと運ぶ。
「オ、イシ、オイシ」
グチャグチャと音を立てながら口から溢れ出させながら噛み続ける。
ゴクリと飲み込むと再び部屋の中へと姿を消した。
「俺は……逃げることしか出来ない。」
涙を流しながら玄関へと向かい走る依睦。
一人でどうにか出来る相手では無い、そう悟ったのだ。
玄関から外へと出ると、あまりの静けさに不安が募る。
「救急車はまだなのか?」
依睦が足に力を入れて走り門へと辿り着くと、依睦はその場で泣き崩れた。
「どうして……どうしてだ!?」
門へと向かい手を伸ばしたまま赤い海の上で横たわり、冷たくなった光輝。
救急車を呼ぶように頼んだ男の姿は見当たらない。
救急車が来る気配も無い。
「どうして…?」
依睦は光輝の手を取り握り締める。
「冷たい……寒いよね……ごめん……。」
依睦の涙が止まることはなかった。
「中の人たちも助けられそうにない……遅かったんだ……俺がコンビニになんて行かなければ……ごめん……ごめん……ごめんなさい……俺だけが生き残ってしまってごめんなさい……。」
依睦は返事を返してくれない光輝を見つめたまま、その場から動けずにいた。
どうして俺はこんな時間に外へ出ようとした?
どうして俺は誰も助けられない?
どうして俺はあの男に任せた?
どうして?どうして?どうして?
中にいたアレはいったいなんだ?人間なのか?
施設の人達は俺にとって大切な家族。
俺は家族を守りたいのに。
俺はこの先もずっとこうして暮らしていたかった。
みんなと楽しく、ずっとずっと。
なのにどうして俺とあの男だけが生き残る?
どうして……俺とあの男だけが……?
施設に携帯を取りに戻る気力も勇気もない。
少し離れた場所にある住宅街へ助けを求めに行く事も、コンビニへ助けを求めに行く事も、今の依睦には出来なかった。
光を無くした目に映る光輝の顔は、心配そうな表情で。
光輝の手を握る依睦の手は冷え、体も冷えきった。
どれほどの時が過ぎたのだろう。
施設からナニカが出てきて襲われるかもしれない。
でも自分一人が生きているくらいなら、襲われて殺されても構わない。
依睦は早くこの苦しみと悲しみから解放されたかった。




