異世界転移したけどチートなし!?前職活かして異世界観光ガイド始めます
ここはどこだ……?
薄暗い森の中で目が覚めた。
湿った土の匂いが鼻をくすぐり、足元の革靴はぬかるみに半分埋まっている。
スーツのズボンは泥まみれで、まるで昨日の激務をすべて引きずったかのようだ。
空を見上げると、知らない色の月がひっそりと浮かんでいた。こんな光景、地球にはなかったはずだ。
スマホは当然圏外。
そんな状況なのに、森の奥からかすかに聞こえるのは、どこかの日常の断片のような声。
『最近、村の子どもがドラゴン見たって噂が広まってるんだ』
噂話の合間に、普通に『魔法』や『ドラゴン』が語られている。
半信半疑だったけど、これが現実らしい。
俺はユウト。元・旅行代理店の営業。パンフレット片手に「この夏おすすめの海外ツアーはですね~」なんてやってた社会人三年目。気づいたら会社の会議室から、よくわからん世界に飛ばされてた。
……で、目が覚めたのがこの森ってわけだ。
状況はお世辞にも良いとは言えない。スマホは沈黙、スーツは泥だらけ、靴の中はぐっしょり。聞き慣れない虫の鳴き声が、背中をじっとりと這っていくような感覚をくれる。正直、心細さと不安で胸がいっぱいだった。
そんなとき――ふと、目に入った。
木々の隙間にぽつんと立つ、風化した木製の看板。
朽ちかけたそれは、苔まみれで半分以上文字が読めなかったが、かろうじて見える一行に、俺は思わず声を漏らした。
「……観光案内、か?」
『→ 歴史の丘 “泣き壁の遺跡”まで あと200m』
間違いない。これは観光スポットへの案内だ。
それに、なんでだろう――異世界語のはずなのに、意味がすっと頭に入ってくる。翻訳機でも起動してるのかってレベルで、自然に理解できた。
「……これが“転移”ってやつかよ……」
現実味がない。けど、じゃあこれは夢かって言われると、足元の冷たさと、服についた泥の重みがそれを否定する。
目の前には、観光案内。
たった200メートル先に“遺跡”とやらがあるらしい。どんな世界なのか、まだ何もわからない。けど、
――観光地があるなら、誰かがそこを“見せよう”とした証拠だ。
少しだけ、胸が落ち着いた。いや、正確には“仕事のスイッチ”が入ったのかもしれない。
「遺跡案内か……まさか異世界でもパンフなしで現地視察する日が来るとはな」
戦う力も、魔法もない。チートスキルなんて当然ついてない。
でも、“観光地を案内する言葉”なら、俺は知ってる。
“誰かに景色を残すための喋り方”なら、たぶん、染みついてる。
「……やってみるか。一人くらい、異世界ガイドがいてもいいよな」
俺は、看板の矢印に向かって歩き出した。
ー・ー・ー
あれから、怒涛の半年が過ぎた。
異世界のちょっとスパイシーな空気を吸い、日本では見たこともないデザインの服を着て、俺は持ち前の適応能力と、まあ、ある種の図太さで、なんとか元気にやっていた。
「さあさあ皆さん、こちらが今日の最後の名所“泣き壁の遺跡”でございます~。壁から水が流れるような音がすると言われております、神秘の観光スポットでございますよ~」
今の俺は、異世界の観光ガイドだ。戦う力はない。魔法も使えない。
でも、どんな場所でも“面白く見せる”自信ならある。
『ほんとに泣くの?』
『魔物とか出ないよね?』
『お兄さん、なんか詳しそう!』
「ええ、安心・安全・ほんのりスリル付きのツアーでございます。お任せくださいませ」
大げさに胸を張ると、観光客たちがくすくす笑う。今日の客は貴族っぽい奥様に、吟遊詩人風の青年、陽気な商人など、バラエティ豊か。
俺が前職で鍛えた“盛り上げ力”と“ちょっとした雑学”は、異世界でも意外と通用している。
「ユウト、調子に乗るなよ。話が盛ってるってバレるぞ」
背後から小声で刺してきたのは、案内助手のリーネ。宿屋の娘で、最近よくガイドに同行している。口は悪いが仕事はできる。あと、地味に怖い。
「盛ってないよ。事実8割、ロマン2割。サービス精神ってやつ」
「その“ロマン”で国に怒られたらどうすんだよ」
「そうなったら……土下座かな?」
「……バカ」
毎度行うリーナとの軽いノリのトークはもう当たり前になっている。
「ふぅ、今日も大盛況だったな」
「そうね。観光ガイドなんてお仕事、今まで聞いたこともなかったけれど、お客さんの喜ぶ顔を見ると、やりがいのある仕事だわって思う」
「俺からしたら、今まで観光ガイドがなかった方が驚きだけどな。……でも観光ガイドってもっと思い出を伝えるっていうか…」
「うん?何か言った?」
「いや、なんでもない。そろそろ休憩にしようか」
客たちが散らばり始めたのを見て、俺は手を叩いて声を上げた。
「ではこの先の広場で十五分ほどの休憩を取ります。写真撮影、自由にどうぞ! ただし奥の通路には入らないようお願いしまーす!」
「はーい」
「通路の奥、気になる~!」
「いや行くなよそれ!」
ツッコミつつ、俺はリーネの方をちらりと見た。
「なあ、ちょっとだけ。あの通路、覗いてきてもいい?」
「……は? あんた今“入るな”って言ったよね?」
「だからこそ、何かあると思うんだよ。呼ばれてるっていうか」
「観光ガイドのセリフじゃない」
「でも、観光ガイドの血が騒ぐんだって。こういう“ツアーに載ってない場所”が一番面白いって、経験が教えてくれてる」
「……戻ってこなかったら客引率はあたし一人でやるからな」
「いや、そこは助けに来てほしい」
「ムリ」
軽口を交わしながら、俺はランタン片手に遺跡の奥へと足を踏み入れた。
通路はひんやりと冷たく、足音がしんと響く。壁には古びた浮き彫りがあって、案内パネルなんて当然ないけど、どこかで“これは展示物だ”っていう空気を感じるのは職業病だろうか。
そう――たとえ誰も来なくても、こういう場所にも”物語”が眠ってる。
「……ん?」
突き当たり、行き止まりかと思ったその奥側の壁の一部が、ほんのわずかにズレていた。近づいてみると、なにかの拍子で開いたっぽい。
「うお、マジかよ……観光パンフレットに載せたい……」
奥の空間は小さな石室だった。中心には台座がある。だけど何かが置かれていた跡だけがぽつんと残っている。周囲の壁には古代文字。よく見ると図案っぽい絵もあった。
古代語らしいけど、なぜか日本語のように問題なく読むことができた。異世界に来てからこの世界の言葉が読めるおかげで随分助けてもらっている。
(えーと……『この地にて、記憶を封じしは声なき者なり』『語られぬ歴史は、訪れし者にささやく』……か)
……どういうことだ。これ、観光名所っていうより――
「……うわっ!?」
いきなり、壁の一枚が“息を吐くように”開いた。ランタンの灯りが吸い込まれ、俺の影が長く伸びる。
「やば……やばいって……!」
心臓がバクバク鳴る。けどこういうとき、なぜか頭の中の“ガイド脳”が冷静にこう囁く。
(お客様に見せるなら、ここで一度溜めてから明かりで照らす……)
って何考えてんだ、俺。
思わずガイド脳を働かせていると、気づけば俺の足はもう台座のそばに来ていた。そして台座のふちには、奇妙な手形のくぼみがある。
「……語られぬ歴史、か」
好奇心半分、職業病半分。
そっと手を重ねたその瞬間――
視界が白くはじけた。
まぶたを閉じても、光の波は消えなかった。
耳の奥で誰かが話している――けれど言葉ではなく、“感覚”として流れ込んでくる。
光。崩れる塔。裂ける空。黒い“門”。
祈る人々。手を伸ばす影。
そして、“語られなかった声”。
(……これは、過去? それとも……)
映像でも記録でもない、“記憶そのもの”に触れているようだった。
説明不能なのに、どこか納得してしまうリアリティ。
観光ガイドとして培ってきた感覚が、微かに警鐘を鳴らす。
これはお客さんに“見せてはいけない景色”かもしれない。でも同時に、どこかで囁く声もある。
――語られなければ、忘れられる。
――忘れられれば、二度と知ることはできない。
息を呑んで目を開けたとき、俺は台座の前で膝をついていた。
空気はまだ静かで、遺跡の奥は変わらず薄暗いのに、どこか“深さ”が変わった気がする。
肩で大きく息をして額をぬぐう。
さっきまで冷えていたはずの手が、じんわりと熱を帯びていた。
「……なんなんだよ……これ……」
呟いて、台座の周囲を見渡す。
“手形”の刻印のひとつが、ほんのわずかに光っていた。
それは“誰かが確かに見た”という証のようにも思える。
この場所は、ただの観光スポットなんかじゃない。歴史の中できっと忘れられた地だったんだろう。
でも――
(観光ってのは、“今ある現実”を解説するだけじゃないんだよな……)
そこにある風景を、誰かの記憶として、どう届けるか。
すべてを語らなくても、“忘れられない一瞬”を残すことはできる。それが、ガイドという仕事の本質だと、俺は知ってる。
「……よし。とりあえず戻るか。話すかどうかは、そのあと考えよう」
軽く手を叩いて立ち上がると、微かに揺れるランタンの灯が、静かに通路を照らし出した。
背中に、さっきまでとは違う“何か”を感じながら、俺は遺跡の奥からそっと引き返す。
遺跡の通路を抜け、外の広場に出た瞬間、目に飛び込んできたのは──
「……おっそ。馬車、出発するとこだったんだけど?」
──腕を組んで仁王立ちするリーネの、心底うんざりした顔だった。
「いや、ちょっとした探検を……」
「ほんとに死んだのかと思ったわ。ガイドが行方不明とか、こっちの胃にダイレクトダメージなんだけど?」
「でもちゃんと戻ってきたじゃん? ほら、俺、しぶとさだけはチート級って言われてたし」
「誰に? 社畜同期に?」
「……やめて、傷えぐるの」
苦笑しながら、額の汗をぬぐう。
目は笑っていても、リーネの指先は、俺の袖を一瞬ぎゅっと掴んでいた。
「……本当に、無事?」
「うん。ちょっとした……昔話を聞いてきただけ。たぶん、観光パンフには載らないやつ」
「はあ。じゃあ今日のツアーに影響ないように、観光パンフうまく“編集”しておいてよ。営業マン得意でしょ、そういうの」
「任せて。“8割事実、2割ロマン”の黄金比でお送りします」
「……その2割で怒られたら、今度こそあたし知らないからな」
そう言いながら、リーネはふっと笑った。
俺も、それに釣られて肩の力が抜けた気がした。
ふと、広場の向こうに目をやると、観光客たちが馬車に乗り込んでいるところだった。
笑いながら写真を見せ合う貴族の奥様。
木の笛で小さな曲を奏でる吟遊詩人。
「土産話にするから!」と、陽気に叫ぶ商人。
──ああ、いい景色だ。
戦いも魔法もないけど、誰かの旅に、ひとつの“思い出”を渡すことができる。
それだけで、俺はここにいる意味があるんだって、そう思える。
「観光ってさ」
俺はぽつりと口にした。
「そこにあるものを“見て知る”ことだと思ってたんだ、昔は。でもこっちに来てわかった。たぶんそれだけじゃ足りない。人は“忘れる”生き物だから、思い出に残るものしか持ち帰れないんだ」
「ふーん。詩人みたいなこと言うじゃん」
「前職、旅行代理店だから。言葉選びは武器だったんだよ」
「今は?」
「今は……誰かの記憶に、そっと残る景色を演出するのが、仕事かな」
リーネが目を細めて、しばらく黙ったあと──小さく肩をすくめる。
「……じゃああたしも記憶しとく。“遺跡の奥で無断侵入して戻ってきた観光ガイド”。語り継ぐよ、宿のネタに」
「勘弁してくれ。せめて“勇敢な冒険者”って修正して」
「無理。盛って2割まで」
笑いながら、俺は背伸びをした。空の青さはまだ戻らない。でもそれでいい。
全部の景色が完璧じゃなくても、誰かの旅の中に意味を残せるならそれで十分だ。思い出に残れば、その場所はきっと誰かにとっての特別な場所だから。
そう言って笑うと、リーネが一瞬だけ目をそらした。
その横顔に、ほんの少しだけ安心の色が滲んでいた気がした。
馬車が出発の合図を鳴らし、俺たちも乗り込む。
車輪が石畳を軋ませながら回り出し、遠くの空に、次の目的地がかすんで見えた。
「で、次はどこ行くの?」
「“空飛ぶ巨樹のふもと”。ちょっとマイナーだけど、景色は最高らしいよ」
「ふーん。で、“ロマン”はどのくらい盛る気?」
「3割。……いや、4割?」
「増えてんじゃん!」
馬車が揺れ、笑い声が風に流れる。
旅はまだまだ続く。
語るべき景色は、この異世界にいくつも眠っている。
でも今日、ひとつだけ強く思った。
俺が伝えたいのは、ありのままの“真実”じゃない。
その場所に立った誰かの“記憶”に、少しだけ光を足すような、そんな物語だ。
だから、今日も俺は胸を張って言うんだ。
「ようこそ、異世界の旅へ──今日は、ちょっと特別な景色をご案内します」
ここまでお読みいただきありがとうございます!
評価していただけると励みになりますので、どうぞよろしくお願いいたします。
この世界では異世界人は結構当たり前にいるという設定なので、リーネのノリが現代人ぽい感じです!