09:妹がおかしな占いにはまっているかもしれません
「もちろん説明してくれるんだよね、アーシャ」
ラフな格好に着替え、寝椅子に転がって眠たげな様子でページをめくっていたアストリッドは、ベルトルドの声に顔を上げた。
「あれ、髪の毛はどうしたの?」
「殿下にとられたよ。返してほしかったら自分でとりに来いって」
「いやいやいやいや進呈するよ、うん、モチロン」
向けられた恨みがましい目に、つくり笑いでアストリッドは目を泳がせた。
ここはシーデーン公爵家が持つ別邸の一つで、トゥーラがまだ首都であった頃に使用していた邸宅を、今も維持している。貴族の中には同じようにトゥーラにタウンハウスを残しているところも少なくなく、また子供の兵役期間中だけ借家など、入寮を選択する貴族家の訓練生は多くない。ベルトルドが寮暮らしなのは、与えられた役職上その方が都合がいいことを言い訳にして、アストリッドと距離を置くためだ。
シグヴァルドとアストリッドに関わるなと、祖父に厳命されていたこともあって少し離れてみた。だが、こうなってしまっては、良かったのか悪かったのか悩むところだ。祖父だってまさか、孫娘が婚約者に断罪されることになると思いこんで、それ故に拒絶しているとは思ってはいないだろう。
とにかくそのあたりの話だけはちゃんと聞かなきゃと、ベルトルドは妹の顔をのぞきこむ。
「それより説明だよ。僕、今日生まれて初めて本気で死ぬかと思ったんだよ。怒った殿下が怖すぎて」
「なに? あの人が怒ったの? あの、【暖簾に腕押し糠に釘】を体現したみたいな王子が? うわ、すごいね、ベル。尊敬する」
「嬉しくないよ」
「なにに怒ってた?」
「そりゃ、会いたくないからって替え玉送りこんできたら、怒ると思うけど」
シグヴァルドに追い詰められたときの恐怖を思いだし、ベルトルドは震え上がる。そんな兄の様子を興味深く見つめ、アストリッドはむくりと体を起こした。
寝椅子に本を伏せると身軽く立ちあがり、丸テーブルの方へと移動する。反対側へとベルトルドが着席すると、侍女のラウラが入ってきてテーブルの上にこれでもかとばかりにスイーツを並べていく。数は多いが、サイズは小ぶりのものばかりで、種類を豊富に集めてくれたらしい。お抱えシェフが作ったものやら、有名店で買ってきたものやら、寮に入ってからは甘味に飢え気味のベルトルドは目を輝かせた。早速手を伸ばして頬張る。
「それくらいで怒るかなぁ、あの人。いや、うん、しかし怒ったかぁ。普段私がなにを言ったところで、聞き流してまともに会話が成立しないあの人が」
「お嬢さまのお声に聞き惚れていらっしゃるのですよ」
ふふと微笑んだのは、テーブルに所狭しとスイーツを並べていたラウラだ。浮かべた笑みはとてもとても自慢気なものだった。彼女のお嬢さま至上主義はいつものことなので、双子はチラリと白い眼を向けただけで会話を続ける。
「普段いったいどんなやり取りしてるの? 心配だよ兄さまは」
「事務的な話しかしてないよ」
「話しをさせてないじゃなくて?」
「前に私にこだわる理由がわかならないって言ってみたこともあるけど、あの人基本、私がなにを考えてるかとかあんまり気にしてないっていうか、聞く気もないっていうか……う~ん、それもちょっと違うかな? なんか難しいんだけど」
「好きな人のことだよ。気にしてないとかある?」
「気に入られてるのは認める。執着されてるのも認める。でも、どうかな。好意――なのか?」
本部での一連の様子は、確かに思っていたものとはたいぶん違っていた。でもそこに好意は存在していたと思う。扱いはとても丁寧だったし、アストリッドのことを気遣っていた。
焼き菓子一個、口の中でほろほろとほどけいていく感覚を楽しむ分だけ間を置いて、ベルトルドは切り口を変えてみる。
「……他に好きな人がいるわけじゃないんだよね?」
「好きな人? ナニそれオイシイの?」
「うん……君は縁遠そうだよね」
「お嬢さまは恋愛に縁遠いのではございませんわ。お嬢さまに見合うだけ殿方がいらっしゃらないだけで」
子供のころから自分より弱い男は男と認めないとか言っていたアストリッドである。ベルトルドがしみじみしていると、まあ! と突っ込みが入った。紅茶を注いでいるラウラをまた、双子は冷ややかに見やる。
「でも君より強い男って言うなら、殿下はぴったりだよ」
「そういう意味じゃないんだよ。昔、うっかり木の上から落としちゃっただけなのに、泣いてパパに言いつけてやるとか言ってたヤツがいたの覚えてる? オオゲサなんだよ。そういうのはヤだってこと」
アストリッドは頬杖を突いて、アーモンドがのったチョコレートをつまみ、目元に掲げる。それを当時の男の子に見立てているのか、見つめる半眼が物騒だ。口の中に放り込むと、奥歯で思い切り噛み砕いた。食べ物に八つ当たりしている妹から目を逸らし、ハハ……とベルトルドは引きつった笑いをこぼす。
あの頃はまだ十に満たない頃で、強引にアストリッドに木の上に引っ張り上げられたあげく、枝から落とされたのである。彼は確かに本気で死んじゃうと思ったに違いない。わざとじゃなかったとしても、相当お気の毒なことである。なのにこのいわれよう、今はもう顔も思い出せない彼に心から同情した。
「もしかして、ベルにはいるの? 好きな子」
「僕の結婚はお祖父さまが考えるよ。アーシャは殿下のところにお嫁に行くから、僕、跡継ぎだし」
「行かないから」
アストリッドは食い気味に言い捨てる。それから椅子の背に背中を投げだすと、アストリッドは腕を組んで目を逸らした。
「そっか、よかった、うん。いや、私のことはよくないんだけれどッ。うん、でも君、恋愛はダメだ。間違ってもピンク頭の女にだけは引っかからないでくれ」
「なあにそれ? ピンクって今日の子? ――まあ、僕のことはいいんだよ。じゃあやっぱり本部で言ってたアレが……理由?」
「トゥーラに来るまで片手の指でも余るぐらいしか会ったことないんだよ。どこで好きになるんだよ? なんで好きなんだよ? どう考えたっておかしいって」
「いやでもアーシャ、世の中には一目惚れっていうのがあってね。君、美人だし」
「まあベルさま、お嬢さまは国一番の器量好しでございます」
給仕が終わっても退室しないで傍らに控えていたラウラが、三度口を挟む。だが双子はもう反応しなかった。
「顔が好みってこともあるんじゃないかな?」
「顔でいいならベルでもいいと思うんだ」
「もうどこから突っ込んでいいのかわからないけど……いいわけないよね」
ふうと大きくため息をこぼすと、アストリッドは立ち上がった。ちょいちょいと指先で呼んで、ベルトルドが立ち上がるのを待たず部屋を出て行く。ベルトルドはラウラに礼を言って、慌てて階段を上がっていく妹の後を追いかけた。
「君さ、僕はいいけど、ラウラを巻き込むのはよくないよ」
多少の無茶をやらかしたところで、アストリッドは許されるかもしれない。ベルトルドだってそうだ。だがシーデーン公爵家で働く侍女にすぎないラウラは違う。
公邸にいたラウラを思い出し咎めたベルを、振り返ってアストリッドは目を細めた。
「ちゃんとアイナ姉さまの許可をとったよ。大丈夫」
「アイナ姉さまだって、殿下の侍女に過ぎないんだよ」
「違うって。アイナ姉さまは王子にちゃんと報告してるよ。姉さま、その辺公私混同しないから。連れてっていいか訊いた時、返事待たされたし」
それってシグヴァルドは、アストリッドがなにかするかもとわかっていたということなのだろうか。だとすればあの探るような視線は、婚約者がなにを仕出かすのかと見極めようとしていただけとも考えられる。だったら自分は、後ろめたい部分があったゆえに自滅しただけってことかと、ベルトルドは頭を抱えた。
「言ってくれればよかったのに」
「言ったら替わってくれなかったでしょ」
「――……入れ替わったところで、状況が悪くなるだけだよ」
「今の段階でさ、私がどれだけ言葉を尽くそうと、王子が解放してくれることはないと思うんだ。私が避けてるのは、王子だってわかってる。そこから私の気持ちが察せられないほど愚鈍な人でもない。なのにあの人、全然引かないんだ」
「理由があるってこと?」
「そう決まってるから」
階段を上りきった正面にある掃き出し窓を開け、テラスの柵に手をついてアストリッドが振り返る。彼女の背後では、街中どこからでも臨める聖木が夕日に黒々とした影を浮かびあがらせていた。
「運命にそう定められてる。定められたその瞬間まで、私は王子の婚約者でないと、運命が成立しないから、だから彼は私を手放せない。そして運命の時が来たら、彼は私を断罪する――らしい」
アストリッドはいつもと変わらない調子で話しているが、話している内容の方はまったくいつものアストリッドらしくない。妹の横に並び、ベルトルドは手すりに頬杖をついた。
「らしい――って、今日はずっと世界とか、運命とか、もしかしておかしな占い師かなんかにはまったなんて……」
「占いなんて、朝の【今日の占い】だけで十分――なんだけど……話、聞いてくれる?」
そう言ってアストリッドが話しだした内容は、にわかには信じがたかった。
「信じてるの? この世界がその……前世の物語の世界と同じで、物語と同じ筋道を通るんだって」
「どうだろ? 私はどっちかというと現実主義だけど、いろんな符号が一致して気持ち悪い感じはあって、だからできるなら王子は避けときたいな……くらいのカンジではあったんだけど」
「……うん」
「王子が気持ち悪くてさ」
「……うん?」
微妙な顔したベルトルドを見返し、アストリッドは肩を竦める。
「だって会ったこともないのに執着されてるって、普通に気持ち悪いでしょ」
「会ったことはあるはずなんだ。僕も覚えてるわけじゃないけど、昔ルド兄さまだったかな、そんなこと言ってたから。父さまと母さまに連れられて会ってるって……」
「それって、幼児とか下手したら乳児のときの話じゃないか。そんな時に見初められたとか、余計ドン引きだし」
昔の記憶を探りながら話したベルトルドに、アストリッドが嫌そうな顔を向ける。その顔にはあからさまに、ヘ ン タ イ お断りと書いてあって、ベルトルドはため息を吐く。
「それは単に会ったことがあるよって話しで、婚約話が来た時期を考えると殿下が成人を迎えた頃だったでしょ。婚約者が必要になって、アーシャに白羽の矢が立ったんだと思うけど」
シグヴァルドから婚約が申し込まれたのは、アストリッドが10歳になったかならなかったかの時期だ。8歳違いのシグヴァルドは兵役から戻ってきて、成人の儀を迎えた頃の話になる。年は少し離れているが、シグヴァルドを取り巻く環境を考えると、候補はほとんどアストリッド一択だったはずだ。
それで会ってみたら、顔が好みだったとか性格的に良さげだったとかは、大いに考えられる。ものすごく前評判が悪いというわけでもなければ、アストリッドのように会う前から、ピンポイントでシグヴァルドだけはお断りなんてタイプの方が稀だろう。
「いや、あの人は最初から私を知ってたし、そんな、たまたま婚約者候補が好みで良かったねとか、そうゆう雰囲気じゃなかったから」
「ぅえ、なんで?」
「だから気持ち悪い。まるで最初っからそう決められてた――みたいじゃない?」
だから物語の中の世界なのかと、ベルトルドはようやく合点がいった。
「今日会ったピンクの子がさ……」
「殿下のところで会ったよ。道に迷ったって」
「あの子が主人公でさ、今日が物語の始まりの日だったんだ。ヒロインがヒーローに出会って、物語が始まる。真実の愛を見つけた二人は、これから様々な困難を乗り越えて、愛を育んで……」
あのときのシグヴァルドの様子を思いだし、んーとベルトルドは内心で首をひねる。到底、運命に定められた恋人たちの出会いには見えなかった。
「私はさ、彼女をいじめる役どころで、王子を取らないでっていろいろ意地悪して、最終的にはそれが罪に問われて断罪される」
「……ごめん。本当にもう、どこからつっこんでいいか、全くわかんないんだけど」
柵にもたれたアストリッドの長い髪の端を、風がふわりと揺らす。いつもよりゆっくりと、考えながら話す彼女を見つめて、ベルトルドは頭を抱えた。
頭が痛い。今日はもういろいろあって脳が痺れるくらいに疲れているからか、アストリッドがなにを言っているのかまったくついて行けなかった。
アストリッドが女の子をいじめるの? それも王子をとられたくないって? っていうか、言ってしまえば恋愛ごとで、断頭台まで引っ張り出すの? そして周りもそんなことを平然と許すの? そんなことで秩序って保たれるの? このいつにも増して世情が不安な時に? いやでも、シグヴァルドの怒りは相当激しかった。急に起こり始めたときのことを思うと、まったくないとも言えないのかとか、ベルトルドの頭の中に疑問がぐるぐると渦を巻く。
「他にも、第二王子とか君とかもでてきて」
「僕?」
「そう。あともう少しいたはずなんだけどさ、残念ながら覚えてない」
んー、と目をつぶり眉間にしわを寄せたアストリッドは、パッケージにはあと何人か描かれてたんだけどとか呟いている。
「でも、わかってるならいじめなきゃいいでしょ?」
「まあ……そうだね。だけどいざとなったら、どうなってしまうかわからない。運命の強制力っていうのがあるらしくて、本人の意思とは関係なく行動してしまうんだって」
「誰がなにを考えようと一切関係なく、その物語の通りになってしまうってこと? それってものすごく……」
ぞっとして鳥肌が立った。それってものすごく怖いことだ。自分の意思とか気持ちとか一切関係なく動かされてしまうって、そんなことが本当にあり得るのだろうか? そう考えてようやく、ベルトルドは腑に落ちる。
「シグヴァルド殿下が自分の意思に関係なく、物語の通りにアーシャを好きだって言ってるかもしれないってこと?」
「そうでないと納得いかないんだ。ろくに会ったこともない私に、どうしてあの人は執着してる?」
王子気持ち悪い……
とアスタに共感できたら☆やブクマなど応援していただけたらうれしいです




