78:過去の事情と僕の望んだ未来1
トピアス・ユーホルト(双子たちの代の訓練兵の副主席)
ヘンリク・アベニウス(聖女殿付官吏長官)
エンゲルズレクト・オーバリ(第一連隊長)
ウルリカ・ラウリ(第二連隊長)
グスタフ・アールステット(宰相/ユスの父イェルの祖父)
休憩所に戻ってきてベルトルドは、甘みのある飲み物をもらい、置かれたベンチの一つに腰をかける。
影がそろそろ長くなろうかという時間、早々に広場には火が焚かれ、酒や食事が振る舞われ、兵士たちの明るい笑い声がそこかしこで起こっている。戻って部屋のベッドに潜り込んだ方が疲れはとれそうなものだが、今夜はここで騒いで興奮を発散してから戻るのだそうだ。
ベルトルドもさっきまで、けが人の手当と、重症者の搬出の手伝いに走り回っていたが、ようやく一段落がついた。
姿が見えないと思っていたトピアスは、ディンケラ子爵に捕まってここ数日監禁されていたのだそうだ。憔悴したトピアスも、ヘンリクに酷く扱われたらしいニーナも、すでに搬送されていった。
木のカップに入った飲み物を口に運び、ふうと息をつく。優しい風が吹いて長い黒髪の端を揺らしていく。カップを横に置くと、ラウラご自慢のウィッグの一房を手に取った。あちこちにゴミが絡まっていたり、砂埃のせいか手触りも悪い。
外すとなくしそうで被っていたのだが、あとで怒られそうで気が重かった。
でもそう思うのも、一連の出来事をなんとか乗り越えられたからだと思うと、それも悪くないかもしれない。
「……アストリッド」
ふふっと一人で笑っているところに急に声をかけられて、びくっと体が竦んだ。ベルトルドが慌てて振り返ると、隅の方にはぽつんとフレデリクが座っていた。
「おまえ、殿下のこと……」
背中を丸め、うつむいてじっと地面を見つめたまま、フレデリクがぼそぼそと話す。
たらりと汗が流れた。ウルリカだって、エンゲルズレクトだって、ニーナでさえも、みんなベルトルドとして接してくれていたから、まさかまだバレてなかったなんてと、逆にびっくりする。
「ベルー!」
聞き慣れた声がして、ベルトルドは目を戻す。声の主は、髪をアップにし、侍女のお仕着せを着たアストリッドである。非常に気まずかったが、今さらどうしようもない。ベルトルドは駆けてくる妹に手を振った。
横目で見たフレデリクは、アストリッドを見つめ、限界まで目を見開いていた。
「にゃーが大活躍だったってそこで聞いたよ」
「やめて。僕もう誰にもあわせる顔がないんだから」
「あはは、んで、にゃーは?」
あっちと近くの天幕の一つを示す。シグヴァルドを気に入っているのは知っていたが、ずっと彼のうしろをついて回っているのだ。今も、ウルリカと話しているシグヴァルドの横で丸くなっている。
「えらく王子に懐いたもんだ」
「僕が呼んでも、不満たらたらの顔してるよ」
溜息をついて、ベルトルドはアストリッドに目を戻した。
「お友だちは大丈夫だった?」
「おかげさまで。アロルドおじさまが聖女殿に査察に入るって言うから、便乗したんだ」
「査察?」
「ここんとこ聖女殿に詰めてたのって、そのためだったみたい。おじさまが面倒見てくれるって言うから、預けてきたんだ」
アストリッドに気がついたらしいシグヴァルドが、にゃーを従えてやってくる。向き直ったアストリッドは敬礼した。
「アストリッド、街の方はどうだった?」
「は、通常に戻りつつあります。セーデルルンド副司令官閣下とクロンバリー司令官補の伝言を承ってまいりました。クロンバリー司令官補からは、逃げた貴族家出身訓練兵の捜索に移行しますとのことで、副司令官閣下からは、地下にあったはずの聖晶石は持ちだされたあとだったのことです」
「わかった、報告ご苦労。アストリッド、おまえ、これからどうするつもりだ?」
二人の会話を横で聞きいてると、にゃーが肩口に頭を擦りつけてくる。機嫌をとるようなその態度に、ベルトルドはじとっとした目を向けた。
「うちの侍女を探しに戻ったんですが」
「あ、ラウラは二妃さまと一緒に、第二連隊駐屯地に行かせたんだ」
アストリッドの疑問に答えると、にゃーがどすっと背中を頭突いてくる。そのちょっとヤキモチ焼いたみたいに甘えた態度は、さすがに調子がよすぎるのではないのだろうか。でもゴロゴロいいながらすり寄ってこられると、かわいいと思ってしまうんだから猫はズルい。
「わかった。じゃ、迎えに行ってくる」
「だったらついでに、街までのユスティーナさまの護衛に加わってくれ」
「かしこまりました」
「……ああ、エクヴァル」
ニャーの首筋をかいてやっていたベルトルドは、不意にぐいっと二の腕を引かれ、シグヴァルドを見上げる。逆側の手でアストリッドも引き寄せたシグヴァルドは、自分の前に双子を並べた。
「おまえがご執心のアストリッドはこっちだ」
シグヴァルドと、こっちを見て呆然としていたフレデリクとに、あははとアストリッドは軽やかに笑う。そしてベルトルドと腕を組んで顔を寄せると、双子の兄を指さした。
「違いますって。先輩の初恋の相手はこっち」
「……なんだと?」
シグヴァルドの声が急に不穏になる。
「詳しく話せ」
「だから昔、先輩がシーデーン公爵家に来たことがあるんですよね。珍しく家に同じ年頃の男の子がいたもんだから、スカートじゃ遊べないし、ベルと服を取っかえて、一緒に木登りなんかしたりして」
「違うよ、君がむりやり先輩を木の上に引っ張りあげたんだよ」
「えー、そうだったっけ?」
んん? と首をひねり、だがすぐにそんなことは些細なことだとでも思ったのか、アストリッドは話を続けた。
「それで、登ってる途中でこう……うっかり遊びの方に夢中になっちゃって」
「落としたんだな」
さすがにシグヴァルドは正確にアストリッドの性格を把握していて、冷たい目で見下ろした。アストリッドは心外だと肩を竦める。
「違います。不 注 意 で! 手を離しちゃっただけですって。んで、落ちたときにこめかみに枝を引っかけて、出血した先輩の傷口を押さえながら、ベルが大泣きしたっていう」
「誰か! エクヴァルも一緒に牢屋にいれておけ」
フレデリクは白目を剥いていて、もう半分魂が抜けているかのような状態で連行されていく。手なんて振ってにこやかに見送っているアストリッドに、ベルトルドは胡乱な目を向ける。やけにフレデリクにだけ優しいような気がしていたが、ちっともそんなことはなかった。やっぱりアストリッドはアストリッドである。
呆れていたベルトルドは、気掛かりを思いだし、アストリッドに向きなおった。
「ね、お祖父さま……もう到着してた?」
「……忘れてた。そう、街に出るときにお祖父さまからの早馬が入ってきて、なんか来る途中に死体があったから、そっちの検証で到着が遅れるとか」
こんなタイミングで死体なんてと、ベルトルドは眉をひそめる。シグヴァルドは声を潜めてアストリッドに問いかけた。
「特徴を言ってたか?」
「いい服着てるから、どこかの貴族とお供の騎士だろうって話でした」
ベルトルドは驚いてシグヴァルドを見あげた。無表情に話を聞いているシグヴァルトに、もしかするとなんですが……とベルトルドは声をかける。
「ディンケラ子爵がしていた指輪の一つが、首輪と同じものかもしれません」
「首輪って……」
アストリッドが自分の襟に指を引っかけて、首を傾げる。
「うん。はっきり見れたわけじゃないから、断言はできないんだけど。でもディンケラ子爵の苦しみ方とか見ても、たぶん……」
「子どもたちに首輪つけて支配して、蓋を開けたら自分も支配されてたってこと?」
「本人が知ってたかどうかはわからないけど……」
双子のやりとりを聞いていたシグヴァルドは、染めた髪をくしゃりと握りこむようにかきあげた。
「いかにも古ギツネの考えそうなことだ。でもまあ納得はいった。今回の件、杜撰過ぎて古ギツネが関わっていると言われてもピンとこなかった。だが、ディンケラ子爵は見せ球で、目的は指輪の方の実証実験だったんだろう」
「首輪もでしょうか?」
「だろうな。あんな目立つもの見せておけば、そちらに気がとられて指輪なんて小さなものは見過ごす。あとはまあ、イングに対する嫌がらせか」
双子を見おろして、シグヴァルドはため息をついた。
「指輪に気づいていることを相手に知られたくない。この話はここだけだ。いいな?」
頷いた双子に、シグヴァルドは灰青の目を細める。その顔に複雑な感情が浮かんで、ベルトルドは口を開きかける。
だがベルトルドが声を発する前に、アストリッドが敬礼して見せた。
「じゃ、二妃さま護衛の任務に入ります――ベル、またね」
「おまえたちの保護者の苦労が偲ばれるな」
去って行くアストリッドの背中を見送りながら、シグヴァルドが溜息をついた。呆れているのかぼそりとつぶやかれた言葉に、ベルトルドは小さくなる。
「それにおまえは、あっちでもこっちでも、誰彼構わず人をたらしてきすぎだろう」
「ぅえ?」
「さっきも自分で連れてきた魔鳥をほったらかして、ニーナ嬢といい雰囲気だったし、アロルドやら連隊長どもに、エクヴァルにそれからトピアスか?」
「ぅえぇええ……」




