77:露払いは混乱を極めています4
エンゲルズレクト・オーバリ(第一連隊長)
ウルリカ・ラウリ(第二連隊長)
ヘンリク・アベニウス(聖女殿付官吏長官)
突風に襲われて、とっさに腕で顔をかばう。近くで被弾した魔法の爆風をまともに被って、ベルトルドは目を細めた。
ウルリカやユスティーナと別れ、はじめにいた広場にまで戻ってきたのはいいものの、ゆっくりと見て回れるような状況ではなかった。
崖の縁から魔鳥に向けて次々と魔法が放たれ、時折数人がかりの巨大魔法も発動する。耳がばかになりそうな大きな音と、魔法の余波、魔鳥が放つ鋭い風の刃に、瘴気のブレスが襲ってくる。その合間を縫って飛ぶ烏に騎乗した兵士たちが、剣や槍で確実に魔鳥を屠っていく。
にゃーがいてくれるからなんとか進めているが、そうでなければ早い段階で諦めたか、この世にさようならしてたかのどちらかだと思う。
あてどなくヘンリクや騎士たちを探すより、シグヴァルドと一緒に前線にいるだろうニーナを探す方が確実かと思ったのだ。けれどそもそもその考えが、間違っていたのたかもしれない。
崖を離れて息をつける場所へと戻りながら、どうしたものかと頭を抱える。誰かを捕まえて話を聞ければいいが、我ながら戦闘はからきし向いていないのは自覚している。これ以上戦場を歩き回るのは無謀だろう。
「にゃーちゃん、殿下がどこにいるかとか、わかったりしない?」
うしろをついてきてくれている猫に、振り返って聞いてみる。思えばシグヴァルドが傍にいると、ベルトルドより早くに気づいて喉を鳴らしていた。だから、たぶん近くにいればわかるはずなのだ。
「あれ? ってことはこの辺りにはいないってこと?」
にゃーのきょとんとした金目を見ながら、ベルトルドは首をひねる。だって前線をうろうろしているとき、一度も喉を鳴らさなかった。だが、そもそも緊迫した状況下で喉を鳴らすわけないかと、自分の考えを否定した。
「やっぱムリがあるかなぁ」
穴だらけの作戦を早々に放棄したとき、黒猫がピクンと耳をそばだてた。にゃーは背後を振り返り、じっと耳を澄ます。そして急に走りだした。
「にゃーちゃん?」
振り返ってついてこいと訴える猫に、ベルトルドは従った。街へと戻る道の入り口を突っ切り、大猫は林の中へと入っていってしまう。ベルトルドは覚えず、顔を引きつらせる。まさか林の中にニーナやシグヴァルドがいるのだろうか。
考えている間にも猫はどんどん進んでしまい、ベルトルドはしぶしぶあとを追いかけた。
木は瘴気を集める習性を持っていて、木が密集している場所を嫌う人は多い。こんな聖木の間近では、瘴気はすべて吸われてしまうので、瘴気だまりなどない。わかっていてもやっぱり躊躇してしまうのだ。
だが木々の向こうから悲鳴と、甲高い鳥の鳴き声が聞こえてきて、ベルトルドは足を速めた。
歩くのだけでも難儀する場所を、猫は軽々と駆け抜けていく。落ち葉や埋もれた木の根に足を取られながら、ベルトルドは必死について行く。
少し進むと、木々の向こうの青い空が見えた。覚えず足が竦む。木々が途切れた崖っ縁に、二羽の白い巨鳥がいた。黒い猫は躊躇せず、巨鳥に向かって跳びかかる。
「にゃーちゃん……!」
にゃーが鳥の首筋を狙って跳びつく。だがそもそものサイズが違いすぎる。まるで鷲に子猫が立ち向かうかのようだ。振り払われたにゃーが、魔鳥を蹴って離れる。着地したその傍らには、逃げた騎士が三人、腰を抜かしたかのように座り込んでいた。
にゃーは全身の毛を逆立てて威嚇する。
ベルトルドは竦む足を叱咤し、猫の元へと急ぐ。あのままでは騎士が邪魔になって、にゃーが思う存分に動けない。
「逃げて!」
騎士たちに向かって叫ぶが、相手は恐怖で放心状態だ。声が届いている感じがしない。だがベルトルドが駆けつけるより先に、一羽が急降下してきた。一瞬身を低くして、再度にゃーは鳥の首筋に食らいついた。ギャアギャアと叫んだ鳥が、闇雲に翼を羽ばたかせ、生まれた風の刃に、木々がバキバキと音を立てて倒れる。
再び鳥の体を蹴ってにゃーが離れたとき、一羽の烏が陽光を遮った。
「伏せろ!」
バチバチッとスパーク音がして、ベルトルドは騎士たちに向かって飛び込んで押し倒す。にゃーが遮るようにベルトルドの前に立ち塞がった。
騎鳥から飛び降りた兵士が、閃光を放つ槍を鳥の背中に突き立てた。勢いのまま鳥ごと地面へと激突する。ぶつかったと同時に、同心円状に衝撃波が広がって、ベルトルドは顔を背けた。
魔鳥が甲高い絶叫が響く。
「あー、一羽逃がしちまった」
のんきそうな声がして、ベルトルは顔をあげる。倒れ伏した魔鳥の輪郭が、ふわりとぶれた。瘴気で塊である魔鳥の体が、光に溶けるように魔素に戻っていく。
「よぉ、大丈夫だったか?」
差し伸べられた褐色の手をつかむと、ぐいっと体を引っ張りあげられる。立ちあがったベルトルドに、片手に大槍を携えてニッカと笑った大男は、第一連隊長エンゲルズレクトだ。
「エンジー連隊長、助けてくれてありがとうございます」
「なんだよ? また罰ゲームしてんのか?」
長い黒髪のウィッグをつけているベルトルドに、エンゲルズレクトは首をひねる。だがすぐ、空気が抜けたように彼はしょぼんとした。
「なあ、なんか食い物持ってね? 腹減ってさー。途中で一回帰って、交代で飯食うはずだったんだけど、状況変わっちまって……」
楽しすぎて帰れねぇんだわとエンゲルズレクトが続ける。複雑な気持ちで見あげ、ベルトルドはポケットから小袋を取りだした。
「さっき、ウル連隊長からもらった飴しか持ってないんですけど」
「また飴かよぉ。もっと食いでのあるもんにしろって、アイツに言っとけって」
「貰いものにそんなこといえません。飴、おいしいですよ」
「腹膨れねえんだって」
そう言いながらも出してきた大きな手に、飴をのせてやる。
「それにしてもなんでこんなとこにいるんだ? ウロウロしてっと危ねぇぞ」
「ニーナさんを探してるんです」
エンゲルズレクトはにゃーの方を興味津々に見ながら、早速もらった飴を口の中に放りこむ。
「あー新しい聖女かあ? 見てねぇなぁ」
「閣下も見てませんか? もしかしたら閣下と一緒かもしれないんですけど」
「最初の方こそ氷魔法を見たけど、途中からやんでたぞ。上から探してやろうか?」
「ええっと、大丈夫です。もう少し探してみます」
降りてきた騎鳥を示したエンゲルズレクトに、ベルトルドは首を振った。さすがにまだ戦闘が行われてる中で、エンゲルズレクトを私用で使うわけにはいかない。騎士たちは誰かに回収させるから、そのままにしとけと言うエンゲルズレクトとは、そこで別れた。
さてこれからどうしようと、ベルトルドは気を失っている騎士たちを見下ろす。騎士がここにいるということは、もしかしたらヘンリクも近くにいるだろうか。一緒に行動してた保証もないが、別々だったという確証もない。
「にゃーちゃん、この辺にシグヴァルド殿下はいると思う?」
んなぁとにゃーが答えたが、それではわからない。う~んとベルトルドは首をひねった。
「一回道まで戻ろう」
とりあえず反対もしてこないので、騎士たちは置いたまま道まで戻る。申し訳ないとか考えてないで、やはりエンゲルズレクトに探してもらうべきだっただろうか。そう後悔しかけたとき、バサバサッと鳥の羽ばたきが聞こえた。
「ぅえ……え?」
もう騎士たちを回収しに来たのだろうかと空を見あげたベルトルドは、一気に血の気が引いた。
視界をいっぱいを白が占めていた。五羽の魔鳥が、頭上でじっとこちらを見下ろす。
「……っひ」
間近に迫った魔鳥の姿に、吸い込んだ息が喉で引きつった音を立てる。
恐怖で竦んだベルトルドの背中を、どんと黒猫が頭突いた。押されてベルトルドは転がるように林へと戻った。にゃーにまた背中を押され、ベルトルドはもつれそうになる足を動かした。
先行する猫を追って木立の中を走る。だが、歩くだけでも難儀する場所ではスピードがあがるわけもない。そのうえ、木の上を飛ぶ魔鳥が羽ばたくと、風の刃が木をなぎ倒す。そちらにも気を取られて、まともに走ることもできなかった。
にゃーが急に立ち止まると、ベルトルドに背中を向けてお座りする。ベルトルドはすぐにその背中にしがみついた。黒猫は背中に飼い主を乗せ、木立の中を駆け抜ける。
「あれってまさか、さっき逃げていった魔鳥なの?」
ベルトルドはにゃーの被毛を握りしめ、まだ木々の上を低空飛翔でついてくる魔鳥を振り仰ぐ。鳥たちは、次々に風の刃で木々をなぎ倒し、時々瘴気のブレスを放ち、木を立ち枯れるさせる。にゃーは左右にステップを踏み、ギリギリのところで避けていく。
だが左右に振られるたびに、体が投げ出されそうだ。ベルトルドは必死に猫の体にしがみつく。にゃーの方もベルトルドを気遣って、本来の運動能力が出せないまま、林の中をでたらめに逃げ回った。
「……!」
ふと人の声が聞こえてきて、ベルトルドはつかんだ被毛を引っ張った。
「にゃーちゃん、人がいる。広場の方に戻ろう――にゃーちゃん?」
ダメだと言っても猫はお構いなしに人の声がする方に向かい、一目散に駆けていく。
「ちょ、にゃーちゃん……ダメ!」
林の中から道へと、黒猫が躍りでた。相手もこちらに気づいていたのか、目があう。お互いに目を瞠った。
「殿……わぁ!」
にゃーが横滑りするようにして急に立ち止まる。ベルトルドは腕にかかる力に耐えられず、猫の上から放りだされた。
「ベルトルド……っち!」
甲高い魔鳥の声が追いかけてきて、シグヴァルドが舌打ちする。
ベルトルドの方はといえば、なにかとぶつかってもろとも地面に倒れこんだ。ぶつかったものがやわらかかったおかげで、打ち身程度で済んだようだ。イタタ……とつぶやきながら起き上がったベルトルドは、周りに目をやる。
やけにボロボロになったニーナが呆然と座り込んでいて、ベルトルドは驚く。
「ぅえ……ニーナさん?」
服はあちこち引っかけたり擦ったりしたのか薄汚れ、髪は乱れ、頬には殴られたらしいアザまでできていた。ニーナの変わり果てた姿に驚いていると、下敷きにしているものがうめき声をあげる。見下ろしたベルトルドはまたまた驚いて飛びあがった。
「へへへへヘンリク長官!? 大丈夫ですか?」
下敷きにしてしまっていたヘンリクの様子をうかがうが、どうやら気を失っているだけのようだ。殺してなくてよかったとほっとしたのも束の間、うぇっと、ニーナがしゃくりあげた。ぼろぼろっと大粒の涙があふれたかと思うと、ぅわぁーんと大きな声をあげてニーナが泣きだした。
「ニ……ニーナさん? え? どうしたの? 大丈夫?」
ニーナが子どものようにしゃくりをあげながら泣きだして、ベルトルドはうろたえる。
「もう、やだ、なんなのマジで。みんな死んだりしないでうまくいけばいいのにって思ってただけなのに……!」
泣きながら訴えるニーナに、そういえばと昨日のことを思い返す。
別れ際、今日は頑張るから応援してくれるかと訊ねられたのだ。そういうことだったのかと合点がいって、ベルトルドはニーナを見つめた。
「ニーナさん、ありがとう」
泣いているニーナの頭に、ベルトルドはそっと手を伸ばす。アストリッドのことにしてもそうだ。人より知っていることが多い分、最悪の状況にはならないようにと、一人で頑張っていたのだろう。
赤毛をなでると、ニーナは泣き濡れた顔を上げた。
「わたし、全然役に立てなくて……」
「ニーナさんのおかげで、アーシャは断罪回避できたよ」
笑って頷いてみせる。じっとベルトルドを見つめ、シーナは小首を傾げた。
「……わたし、少しは役に立てましたか?」
「もちろんだよ。アーシャのために頑張ってくれてありがとう」
「違う……」
目元を拭い、何度か鼻をすすって、ニーナは改めてベルトルドを見た。
「ベルくんのためだもん」
「僕?」
「ゲームでのわたしの【推し】、ベルくんだったんだから」
「? 僕がなに?」
異国の響きを持つ言葉の意味がわからず、ベルトルドは首を傾げる。だがニーナは晴れやかに笑って、そして内緒と口の前に人差し指を立てた。




