76:露払いは混乱を極めています3
ウルリカ・ラウリ(第二連隊長/辺境領出身)
ヘンリク・アベニウス(聖女殿付官吏長官)
アグネータ(聖女)
グスタフ・アールステット(宰相/ユスの父イェルの祖父)
イェルハルド(第二王子)
白花の魔鳥が大挙して向かってくる光景を呆然と見つめて、もういっそ卒倒したかった。
今日は絶対に厄日かなにかに違いない。それも生涯で確実に一、二を争うくらいのひどさである。
「ぅえぇえぇぇえぇえ……」
「まさか、銃やら魔法やらをぶっ放す、迷惑訓練兵の心境になれる日がくるとはな」
ぐんぐんと迫りくる魔鳥に、ただただ呆然としているベルトルドの横に並び、シグヴァルドがぼそりとつぶやいた。
「ご……ごめんな……」
青くなって震えるしかないベルトルドの頭を、シグヴァルドがくくっと笑いながらなだめるように叩く。
「閣下、子爵とアルーン副隊長が逃げました。追いますか?」
気がつけば二人の姿はどこにもなく、フレデリクだけがぽつんと取り残されていた。
「放っておけ。誰かに、下の演習場に連絡に行かせろ」
「下には既に行かせました」
「魔鳥を食いとめるぞ。準備急げ」
敬礼すると、兵士は踵を返す。それからシグヴァルドはフレデリクに目をやった。
「エクヴァル、アストリッドに取りなしてやるから、おまえはトピアスを捕まえてこい」
フレデリクはなにごとかを言いかけて、結局は俯いた。だけどすぐに立ちあがると、シグヴァルドに向かって敬礼する。未だシグヴァルドの腕の中にいるベルトルドへと視線を寄越し、馬車の方へと向かって駆けていった。
その背を見送ることなく、シグヴァルドはベルトルドへと目を戻す。
「おまえは二妃さまと侍女を連れて、安全圏まで下がれ。だが見える範囲にはいろ。なるべく早くに兵を向かわせるが、今はあれらまで面倒を見る余裕がない」
シグヴァルドが顎で示したのは、捕まえた騎士たちだ。彼らは驚く元気もないのか、魔鳥の大群を見て放心していた。
「この状況で下手なことは考えないと思うが、気をつけろ。あと、戻ってはこないとは思うがアルーンにもだ」
わかったなと確認するシグヴァルドに頷くと、腕から解放される。
「なら行け――ニーナ嬢、魔鳥の数を減らせるか?」
見れば元いたところにユスティーナもニーナもいなかった。キョロキョロと辺りを見回すと、少し離れたところで二人はしゃがみ込んでいる。傍らには兵士が立っていて、見たところケガもないようだ。
ベルトルドはほっとしたと同時に落ちこむ。にゃーのことに気をとられていたとはいえ、二人のことなどすっかり頭から抜け落ちてしまっていた。
「やってみます」
すれ違ったニーナがベルトルドの顔を見て、なにか言いたげな顔をした。だがなにも言わないままシグヴァルドの方へと駆けていってしまう。ベルトルドもまたユスティーナのもとへと急いだ。
「二妃さま、いかがなさいましたか?」
ユスティーナの前に跪くと、少し顔色が悪いようにも見える。彼女は顔をあげると、少し困ったように微笑んだ。
「驚いたときに少し足をひねってしまったみたい」
「大丈夫ですか? 痛みがひどいなら……」
「いいえ、騒ぐほどのことではないわ。歩くのに手を貸してもらえるかしら?」
もちろんですと快諾して、ベルトルドは振り返ると黒猫に声をかけた。
「にゃーちゃん、どこへ行くつもり?」
巨猫はご機嫌に尻尾をゆらしながら、シグヴァルドの後ろをついて行こうとしていた。そこを止められて、飼い主を振り返る。不満たらたらの顔で戻ってくると、視線を合わせないようにしてベルトルドの前にお座りした。
仕方ないなとベルトルドは溜息をつく。
「いつもガマンさせててごめんね。にゃーちゃんだけ領地に帰ってもいいんだよ?」
肩口に頭をすり寄せてきた猫の頭をなでてやり、ユスティーナを乗せてあげてくれるように頼む。黒猫は素直にユスティーナの横で伏せをした。ベルトルドは再びユスティーナの前に跪く。
「二妃さま、歩くよりは足の負担が少ないと思いますが……」
「ありがとう。にゃーちゃん、よろしくお願いするわね」
「高いのでお気をつけください」
兵士に手伝ってもらって猫に乗せると、しがみついたのを確認してゆっくりと歩き始める。侍女たちがいる幕屋はすぐそこだ。不安そうにしている侍女たちの中から、ラウラが飛んできた。
「べ……お嬢さま」
「ラウラ、酷いことはされなかった?」
「はい、他の方たちも大丈夫でした」
よかったと頷いて、ベルトルドは侍女たちに声をかける。
「二妃さまが負傷された。薬箱を持って移動します、急いで」
魔獣に近づいてもラウラが平気そうにしているのに安心したのか、侍女たちが一斉に動きだした。魔鳥討伐に合流するという兵士と別れ、荷物を手分けして持ってうしろへと下がる。
離れすぎないように、でも戦闘に巻き込まれないように、灌木の傍に座り込む。敷物がひかれ、運んできた椅子にユスティーナが落ち着いた。
濡らした布で足を冷やしているユスティーナの傍らで、ベルは敷物に座ってぬるいお茶をすすった。
なんだかまるでピクニックのようだ。差しだされたお茶を断ることもできなくて、流されるがままにしていると、非常に場違いな気がする現状ができあがって、なんだかいたたまれなかった。
にゃーも入れてもらった水をなめたあと、今はベルトルドの横で丸くなっている。
時折耳がひくりと動くのは、戦闘の音を拾っているのだろう。侍女たちもハラハラと戦闘を見つめ、小さな悲鳴をあげていた。
彼我のギャップがあまりにも激しくて、どうにも据わりが悪い。戦闘を引き起こした原因はベルトルドにあるのに、その自分は離れた場所から観賞しているというこの状況。こんなことしていていいのだろうかと不安になるが、かといってベルトルド自身には大した戦闘力などないのでどうしようもないのだが。
「落ち着かないようね」
ユスティーナがかけてくれた声に、ベルトルドは小さくなる。
「僕のせいなのに、自分だけここにいいのかなと思って……なにができるわけでもないんですけど」
「あなたは司令官閣下がつけてくださったわたくしたちの護衛よ。いてくれなければ不安だわ」
「あ……そうですね。すみません。今日はたくさんヘマして、皆さんに迷惑かけてしまって、身の置き所がなくて……」
「それを言うなら、一番迷惑をかけているのはわたくしとうちの父よ。あなたに倣うならわたくし、一生頭を上げられないわ」
口調こそおどけた感じだったが、でも微笑みには苦いものが混じる。ベルトルドの視線に気がついて、ユスティーナは哀しげな表情を見せた。
「迷惑をかけてごめんなさいね」
「二妃さま、とんでもございません」
ユスティーナに頭を下げられてベルトルドは慌てる。そんなベルトルドを見て、ユスティーナはふふと笑った。
「あの……花が咲いてるってどういう意味だったんですか?」
話の流れが途切れて、ベルトルドはまた一口お茶をすする。爽やかさの中にふわり花の香りがして、ベルトルドはさっきまでの会話を思い返した。
黒猫が眠っているのを見ながら目を和ませていたユスティーナは、そうねぇと小首を傾げる。
「現実が見えてなくて、自分の都合のいい状況認識を苗床に、妄想が咲いてるわねぇみたいな感じかしら」
確かにフレッドは、人の言葉を自分に都合よく解釈しすぎたところがある。たぶんディンケラ子爵に狡猾にすり込まれたところもあるだろうし、同情の余地はあるのかもしれない。
だいたい、そのあたり、ベルトルドだって人のことは言えないのだ。自分のわかる範囲だけで物事を捉えてしまうのは、まだまだ経験値が足りないだけだと思いたい。
でも――と、ベルトルドは手元の銀のゴブレットに目を落とす。
ユスティーナには、ヘンリクも同じように見えていたということだろうか。
ヘンリクとはそもそも面識がない。見かけたのはアストリッドの代わりに出た定例会議のときと、一昨日の騒ぎのとき、そして今日だ。彼の関心といえば常に――聖女アグネータだ。いつだって彼はアグネータをかばっていた。
「もしかしてアベニウス長官は、アグネータさまのことがお好きなのでしょうか」
ふふと微笑むユスティーナに、でも、と、ベルトルドは首をひねった。
「アグネータさまのためにニーナさんを排除しようとしたのですか?」
確かにアグネータと聖女殿の官吏は、軍関係者からあまり評判がよくない。ここに新しくニーナが出てくると、彼らの立場一気に微妙なものになる。だからといって、ニーナを排除してしまえなんていうのは短絡的に思えた。
「アベニウス長官の暴走とも考えられるけど、彼もまた利用されたんじゃないかしら」
「ディンケラ子爵や宰相閣下にですか?」
「アグネータさまよ」
「ぅえ?」
「彼女は今ここにいないでしょう。それもうちの息子を連れてね」
驚くベルトルドに苦笑して、ユスティーナ黒猫へと目を向ける。その横顔には複雑そうな感情が浮かんでいた。
「たぶんアグネータさまは今回のこと、成功するなんて思ってらっしゃらなかったと思うの。ここにいれば彼女もまた当事者だと疑われてしまう。だったらここじゃないどこかで、どうしましょうなんて困って見せたら、きっとうちの息子が証言すると思うのよ。アグネータさまにそんな素振りは一切ありませんでしたって。自分は関係ないと証明するのに、イェルははうってつけでしょう?」
ほうとユスティーナは溜息をついた。
「根拠が弱いけれど、同じ立場の女が二人なんて、一番もめる状況なのよ。まあアベニウス長官が、敬愛する聖女のために独断で動いたって線は否定できないから、なにかしらの言質を得られればよかったのだけど……」
残念そうにユスティーナが言ったとき、黒猫の耳がピクッピクッと反応した。おとなしく寝ていた猫が頭をあげる。
にゃーの視線の先似いるのは、一頭の騎馬だ。近づいてくる兵士を見て、行ってらしてとユスティーナに促され、ベルトルドは立ちあがった。
「そうしてると、よく似てる。さすが双子だな」
少し離れたところで馬から下りたのは、第2連隊長のウルリカ・ラウリだった。彼女はベルトルドのつけた長い黒髪を見て笑みを浮かべる。
黒髪に灰色の目、白い肌のウルリカは、変装したシグヴァルドと少し面影が重なった。でもそれより気になったのはその格好だ。
「……ウル連隊長、どうして訓練兵の格好なんか」
「下の演習場で騒いでいたのが第2連隊の兵士だからだよ」
「え、じゃあ、本物の訓練兵はどうしたんですか?」
「第2連隊の駐屯地で隔離中だ」
問題を起こすかもしれないと警戒しているより、起こすと決めつけてさっさと隔離したということのようだ。どうせ遠目だから、演習場にいるのが本物の訓練兵かどうかなんてわかりはしない。
「まあ、多少もめたところでどうってことはないんだが、湖にうっかり流れ弾でも飛んで、一斉に花鳥が反撃に出ると問題だったからな」
「ぅええ……申しわけありません」
「しっかり反省したまえ」
小さくなったベルトルドに、ウルリカは厳しい口調で言った。だが顔は笑っていて、飴の入った袋を握らせてくれる。ありがとうございますと礼を述べると、ウルリカはベルトルドの頭をなでた。
「でも、どういう理屈なんでしょうか? 戦闘中魔法を使っても、こんな状況にはなりませんよね?」
「どうもは離れた場所からの湖への攻撃に反応するらしい」
ウルリカは困ったように小首を傾げて、崖の縁から魔法を放っている兵士たちに目をやった。
「魔鳥襲撃のとき、閣下は湖の中にいただろう? 街も湖に張りだした崖の上にある。岸は湖の範疇になるらしくてね。だが、訓練兵なんかは魔鳥を怖がって、少し離れたところから発砲したりするんだ。今回もそうだったんだろう?」
確かに崖っ縁からは少し離れた場所だった。とはいえ、なんのこだわりなのかと内心でぼやいたとき、ガラガラと車輪の音が近づいてきて、ああ来たな、とウルリカが手を振る。
何台かの馬車と、そのうしろに幌のかかった荷馬車が続く。
「どうも聞いていたのとは人数が違ってな」
「騎士のことですか? 逃げたんでしょうか?」
「魔鳥に襲われてなければいいが」
ユスティーナと話してくると言うウルリカと別れて、ベルトルドは幌の中をのぞき込んだ。確かに若干数が減っている気がした。なにより――。
顔をしかめたベルトルドは、ウルリカの声に振り返る。
「君はどうする?」
「僕、いなくなった人たちをちょっと探してみます。すみませんが、あとをお願いします」
「わかった。だが気をつけなさい」
ユスティーナを抱きあげ、馬車へと運んでいるウルリカの忠告に頷く。ベルトルドはユスティーナにいとまを、ラウラには皆と一緒に行くように告げ、黒猫の声をかける。
馬車の中にはヘンリクの姿がなかった。ニーナはシグヴァルドと一緒にいるだろうから、心配はないはずだ。だけどなんだか胸騒ぎがしたのだ。
「にゃーちゃん、行こう」
ベルトルドはにゃーと共に駆けだした。




