74:露払いは混乱を極めています1
アロルド・セーデルルンド(第一師団副司令官)
ディンケラ子爵(宰相の子飼い/ユスの付き添い)
フレデリク・エクヴァル(アストリッドに惚れてる先輩)
ヘンリク・アベニウス(聖女殿付官吏長官)
「かかかか閣下! ……婚約者とは不仲だったのでは――いやいやいやどうしてここに! それにその格好は……」
振り返るとディンケラ子爵が混乱した顔で、立ち尽くしていた。そして何故かシグヴァルドとユスティーナとの間で忙しく目を往復させる。
ベルトルドは腕から抜けだそうとしたが、体に絡みつく腕は弛まない。シグヴァルドはディンケラ子爵へと顔を向けたまま、しばらく黙ってろとささやいた。シャープな顎のラインを見上げ、ベルトルドは了解の代わりにシグヴァルドの服の裾をきゅっとつかんだ。
チラリと降りてきた灰青の目が、やわらかく細められ、また戻っていく。
「子爵に気を遣ってみたつもりだったんだ。二妃さまの護衛は騎士だけで十分と言っていただろう? 兵士がぞろぞろついて回るのもうっとうしいかと思ったんだが――」
お気に召さなかったか? と、シグヴァルドがけろりと言ってのける。それに――と、言葉を続けた。
「これとの関係は特に悪いと思ったこともなかったが……」
「ウワサというものは実に、無責任なものでしてよ?」
ユスティーナがコロコロと笑った。騎士に周りを囲まれていても、彼女は気にした様子もなく楽しそうだ。隣のニーナは、騎士たちに向けられた銃にか少しばかり顔色は悪いが、それでも顔を上げている様子は十分に毅然としていた。
「ウソだ!」
フレデリクが叫んだ。地面に座り込んだままのフレデリクと目が会うと、彼は顔をゆがめた。今にも泣きだしそうな彼にちょっと胸が痛んで、ベルトルドは視線をそらす。こんなことくらいでべそべそしているようでは、アストリッドやっていくのは難しいと思うのだが、とはいっても騙しているのは確かだ。罪悪感が胸の奥の方で存在を主張した。
「そうですよ、本人が婚約解消したいと! 一昨日のことを忘れたんで……いや、だって……」
ディンケラ子爵がフレデリクの言葉に頷きながら声を上げる。とはいえ、その本人がシグヴァルドの腕の中にいるのだから、説得力のないことこのうえない。
そんな二人を見て、シグヴァルドがわずかに顎をあげるようにしてくくっと笑う。
「俺が……なにも知らないとでも?」
冷たい声で告げ、ベルトルドの首筋に思わせぶりに指を滑らせる。長い黒髪に隠された襟元がさらされて、ディンケラ子爵が息をのんだ。
「俺の婚約者にこんなことをして、もちろんただで済むとは思っていないだろうな」
「……なんのことかわかりかねますな」
「エクヴァル、本当のことを言え。おまえ、このままだとアストリッドにとって、ただのバカなだけの男だぞ」
馬車の中の会話をかなり聞かれていたらしい。そう言われてみると、アストリッドもユスティーナも、馬車の中で所々声を潜めたりしていたことを思い返す。わかっていたなら言ってくれてもよさそうなものなのに、と、ベルトルドはつかんだ服の裾を握る手に力を込める。
いや八つ当たりである。わかってはいるけど、自分が置かれた状況が、どうにも不当だと感じてしまう。
だってフレデリクの視線が痛いのだ。
こうやって他のことを考えて気持ちをごまかそうとしてさえなお、視線が刺さる。
彼には言いたいことがたくさんある。なのに、自分の方がいたたまれない気分になるなんて、こんなのどう考えたってフェアじゃない。
「隷属の首輪をつければ……」
ぽつりとこぼした言葉は語尾が揺れ、今にも泣きだしそうだった。
黙りなさいとディンケラ子爵が制止するが、フレデリクは言葉を続けた。
「俺を頼ってくれるようになるからって」
「まあ、お花が咲いてるわねぇ」
場違いな感想をもらしたのはユスティーナだ。
意味がわからずベルトルドは振り返る。周りの人たちがなんの話だといぶかしんでいる中、隣にいるニーナだけが微妙な顔でユスを見あげていた。ただシグヴァルドだけは、ユスティーナに目もくれなかった。
「だ――そうだが?」
「いずれそうなりますよ」
少しざわついた空気の中、シグヴァルドが説明を求める。ディンケラ子爵は忌々しげにフレデリクを睨みつけ、それから鼻で笑った。
意味をはかりきれなくて、今度は頭上を見あげる。けれど身動ぎもしないシグヴァルドの表情からは、なにも推し量ることもできない。困惑する中、ニーナがそれって、と、口を開いた。
「アストリッドさまを追いつめて、頼らざる得なくするってことですか?」
そんな……と、フレッドが呆然とつぶやく。ベルトルドも息をのんだ。
「私が聖女殿で受けてた扱いも、全部アストリッドさまのせいだと言われてて、違和感だったんです。そして今回のこと、アストリッドさまが犯罪者になれば、頼ってくるしかないってことですよね」
ニーナはぐるりと男たちを見回す。そして最後に聖女殿付の官吏たちを見た。
「あなた方はこんなくだらないことに力を貸してたんですか? 今はこんなことしてる場合じゃないでしょう! 遠くない未来に、狂い咲きが――スタンピードが起こるんですよ」
「おまえみたいな小娘、聖女でもなんでもない!」
「聖女はアグネータさまだけです」
口々にニーナを批判した聖女殿の官吏に、まあまあここにも大きなお花が、と、ユスティーナがうふふと笑う。
「アグネータさまもお気の毒ねえ――いえ、賢いのかしら?」
隣のユスティーナを見上げ、ニーナは唖然とした。そしてその目に鋭いトゲを込めて、官吏たちへと戻した。
「まさか、そんな私的な感情で?」
ベルトルドにはよくわからなかったが、官吏長官のヘンリクにはそれで通じたようだった。彼は顔をゆがめた。憎々しげにニーナを見下ろし、手を振り上げる。
きつい眼差しヘンリクをで睨みあげるニーナは、まるで受けて立つようだった。
――明日、わたし頑張るから。
ふと、昨日、彼女との別れ際の言葉が脳裏に返った。ベルトルドはとっさにニーナに向かって手を伸ばす。だがわずかに一歩も進まずシグヴァルドの腕に阻まれる。
ただそれでも、気持ちだけはとまらなかった。シグヴァルドの腕の中からニーナの元へと走る。
いや、走ったような気がした。
するりと足下から黒い影が飛びだす。
どさっと音がして、ヘンリクがその場に尻餅をつく。
しん……と水を打ったように静まりかえった。
尻餅をついた官吏の腹を、黒く太い足が踏みつけていた。パタリパタリと尻尾が地面を叩く。
踏みつけられた者も、周りを取り囲む者たちも、急に現れたその黒い巨体を呆然と見つめる。体高だけでもベルトルドの肩口ほどもある、真っ黒な猫だ。一応真っ白な首輪をつけているのだが、たぶん誰の目にも入っていないだろう。
金色の光彩の中に縦に細く伸びた瞳が、人間たちを睥睨する。
腹を踏みつけられたヘンリクは、黒猫を見上げ、それから辺りを見回す。状況の理解を頭が拒んでいるのかもしれない。だがようやく状況を飲み込んだとき、官吏は手足をばたつかせて絶叫した。
あとで変更があるかもしれませんが、形になった分をだしてます。
明日からも不定期投稿になります。
続きも頑張ります。




