07:世界を守るのも王子のお仕事です
説明回
世界の歴史は常に瘴気との戦いだった。
瘴気は人を拒む。世界の半分以上を占める森に瘴気はこもり、そこに根付く動植物をいびつに――魔物へと変化させる。人々は森に分断され、個々に小さな集落をつくり、日々を生きていくので精一杯だった。
だがある日、瘴気に悩まされる人々を救う聖なる木を、一人の女が見出した。その木は瘴気を浄化する能力を持っていた。 以後、その木を聖木――それを見いだした者を聖女と呼んだ。
だが……。
「来たる花摘み行事の前の露払いに、以前からお知らせしていた通り二妃殿下と第二皇子殿下が出席とのご意向でしたが、この度、出席が正式に決定いたしました。露払いと、その前に清めの儀式まであまり時間もございませんが、皆様そのおつもりで準備をお願いいたします。では、関係各所の報告から始めたいと思います」
まだ人々が瘴気に分断されていた時代、強者が領主となり、彼等が騎士を率いて魔物と戦い人々を守った。だがそんなふうに領主が一線で戦っていたのは今は昔――現在、最前線で世界の安寧を日夜担っているのは平民と辺境領民だ。
聖木がある旧都トゥーラは、世界にとっての要衝だ。
瘴気を浄化する聖木が現れ、人々は魔物の脅威から解放された。その後の五〇年で、分断されていた領地はときに平和に、ときに武力を持って統廃合を繰り返した。何故五〇年だけかというと、聖なる木が行っているのは、瘴気の浄化ではなかったとわかったからだ。
ある日、聖なる木は狂い咲いた。
聖女が見出した若木から時を経て、聖木は雲をつくような巨木に育った。それまで一度も花も実も、葉の一枚さもつけたことがないその木は、ある時みるみるうちに無数の花をつけた。大ぶりの厚い花弁を持つ白い花が、枝いっぱいに咲き乱れる様はとても美しかった。特に夜、仄かな月明かりに照らされる重たげな白い花は、まるで白い鳥の群れが羽を休めているようにも見え、人は魅了され吐息をごぼした。
その幻想的な光景はある日、悪夢に変わった。
大輪の花は一斉に羽ばたき、聖木の周りで集い暮らしはじめた人々へと襲いかかったのだ。
「――今月に入ってすでに一三羽のフレースヴェルグを討伐しました。安全確保が難しくなってきています。月日の浅い訓練兵を湖に出さない方がよいかと思われます」
第三隊補佐官の報告に、会議室は重い沈黙に沈む。
かつて花鳥の魔物が襲いかかったとき、人々を守ったのがここトゥーラの領主と、彼とともに立ちあがった3人の領主たちだった。それが現在の王家と、三つの公爵家の始祖である。そして彼らはこの地に監視塔と、砦をつくって聖木の監視を始めた。
聖木は数十年に一度、定期的に一斉に花をつける。狂い咲いた後しばらくはほとんどつけない。葉をつけないのは最初から変わらないが、次の狂い咲きまでの間、年々数を増しながら花をつけた。
そして現在、前回の狂い咲きからまだ二〇年を越えたばかりの時期としては、明らかに例年よりも数が多く、先月も一七羽、討伐されている。例年だと、固いつぼみが幾らかついているだけの状態が長く続き、全く花が咲かない月もある。年間、両手足の指で足りるくらいの討伐数がほとんどだった。なのにここ一、二年で明らかに花の開花頻度が上がっている。
「露払いのとき方々への護衛の数を、見直すべきかと思います」
重々しく口を開いたのは第三連隊を率いる老将である。第三連隊長ヴェイセル・ウルマンは前回の狂い咲きを先王とともに戦ったことが自慢の、歴戦の勇者である。ヴェイセルの言葉を受けて、黙している司令官に代わり、壮年の第一師団副司令官が口を開いた。
「さて、聖女さまにお話は伺ってきてくれたかな」
「聖女さまはお話しにはなりません」
笑顔が地顔と評判の副司令官アロルド・セーデルルンドが、聖女殿の官吏代表へと問いかける。白い物が交じり始めた青みの強い黒髪と、タレ目がちな温厚そうな風貌の彼もまた、第三連隊長のヴェイセルと同じく前回の狂い咲きも戦った軍人である。そしてまた同じく前回の狂い咲き経験者である初老の官吏長官ヘンリク・アベニウスは、質問にすげなく答える。その応答に室内はざわりといやな感じに揺れた。皆の視線が向かうヘンリクにベルトルドも目をやると、視線の集中砲火を受けていても本人はすまし顔で座っている。なかなか豪胆な人のようだ。
ヘンリクの様子に副司令官のアロルドは困ったように息をついた。
「参ったねぇ。君たち一体何のためにここにいるんだい? 子供の使いではないんだよ。仕事をしてくれるかな?」
表情や口調は柔和だが、内容は辛辣だ。会議室の中には倦んだ空気が満ちて、毎回行われているやりとりであろうことは、初参加のベルトルドにも察しがついた。
アロルドの厭味に官吏長官は相変わらずすまし顔だが、彼の隣にいた副官がいきり立って起立する。
「我らが務めを果たしていないと言われるか! 副司令官閣下とはいえ、あまりにも失礼な発言ではありませんか。撤回願いたい」
「だったら使いの一つも果たして欲しいものだ。何度頼めば聖女さまからお言葉をいただいてきてもらえるのかな?」
「アグネータさまはすでに義務を果たしておいでです!」
「アグネータ殿は聡明な方だから、聖女殿にいれば協力を求められることくらい承知していると思うけどねぇ」
あくまで表面上はにこやかに、アロルドは息巻く男を見る。
「狂い咲きの周期が年々早くなっているね。だいたい五〇年に一度くらいと言われてたのに、前回も早かったけれどそれでも間は四〇年はあった。なのに今はまだ前回から二〇年、けれどこの調子でいけば、次の狂い咲きまで一〇年も保つのかな?」
「文献に当たっておりますが、今までの例になるようなことはなかったことくらいしかわかっておりません」
前例にないことなのはわかっている。それでも少しでも縋れる縁が欲しいのだ。そういう軍人たちの醸し出す空気を、ヘンリクも副官も受け入れる気はないらしい。同じトゥーラにあって一致団結して困難を乗り越えていこうという気持ちはなさそうだ。軍関係者と聖女殿の関係はあまりよろしくないらしい。
ベルトルドは窓から見える聖木に目をやる。アストリッドも言っていたが、最近の聖木は目に見えてつぼみの数が増えているように思う。過去の例から考えると楽観できる状況ではないと、ベルトルドはそんなふうに思っていた。だが長年トゥーラで暮らし、前回のスタンピードを経験した人たちが内輪もめしていられるくらいなのだから、そこまで切羽詰まっているというわけでもないのだろうか。
もしアロルドのいう通りならば、あと二〇年以上をかけて準備するはずだった狂い咲きへの対応を、一〇年未満で行わなければならない。年々狂い咲き周期が早くなっているため、準備は前倒しで行われている。それでも前回の狂い咲きの時は相当苦労が多かったという話だった。なのに、こんなに早まってしまっては準備は間に合うのだろうか。
指先で机を叩いていたシグヴァルドが、ふと、そのコツコツという規則正しい音を途切れさせた。すべての目が自然と、若き司令官の下へと集まる。
「仕方がない」
シグヴァルドの言葉に副官が勝ち誇ったように口の端を上げ、アロルドは変わらず柔和な笑みを浮かべていた。
「今年の露払いは規模を大きくするつもりだったが、例年通りとする。ヴェイセル隊長の提言を受け容れ、その分の人数を各所への護衛に回すことにしよう」
「……腹いせですか? いささか司令官閣下の器を疑われる行為だと思われますが?」
「合理的判断だ」
目元を険しくしてヘンリクはシグヴァルドを見るが、不愉快を隠すことのない視線を向けられた本人は、特に感情をその冷たい美貌に表すこともない。
ついさっきまで一緒にいたときの彼とはまるで別人のようだが、ベルトルドにとって、こちらのシグヴァルドの方がなじみ深い。感情が出ない整いすぎて作り物めいた美貌は、色素が薄いことと相まって、まるで氷でできた彫像のようだ。またシグヴァルドが氷結系の魔法と相性がいいのもあって、ついた異名は氷の王子だった。
「花摘み神事が滞れば司令官閣下のお名前に傷が付きましょう」
「戦えない官吏よりも、今は来るべきスタンピードのために無傷の兵士を残すことを考えるべきだと思ったが、アベニウス官吏の賛同は得られないようだな」
「我ら聖女殿の官吏の神事を愚弄されますか?」
「そんなつもりはないが……ならば後日、聖女殿に俺のところへ出向くように伝えてくれ」
「アグネータさまはお考えがあって沈黙されているのかと思われます。聖女さまを呼びつけるようなぶしつけなまねは、たとえ王太子殿下であろうとご遠慮なされたく!」
耐えかねたように声を張り上げたヘンリクに、だがシグヴァルドの方は表情一つ変えなかった。
「誰が王太子がどうのと言ってる。司令官として言ってる。俺は旧都を預かる第一師団の長だ。先頭に立つ者として、狂い咲きが起きた際、速やかに事態の収拾するのが仕事だ。いざいというときのため、常に備えておかなければならい。それが俺の役目だ」
そう言ってシグヴァルドは背もたれに背を預け、腕を組んだ。声と同じく感情を含まない灰青の瞳が、対照的に感情をあらわに顔を赤くしているヘンリクを捉える。
「それで? お前たちの役目はなんだ?」
「は?」
「だから聖女殿の官吏の役目はなにかと聞いている」
「それは聖女さまの手伝いと、日々の神事をつつがなく取り仕切るのが我々の……」
「違う。お前たちの役目は国と聖女の間を取り持つことだ」
断言したシグヴァルドに聖女殿の官吏たちはざわめいた。
「お前たちが行う行事で、狂い咲きの周期が変わるのか? だったら今回の時期の狂い、お前たちに責を問うことになる。そもそも過去の文献を読めば、人々は自由に湖から花を摘み、それぞれの土地に持ち帰っていた。長い年月の中で、いろいろな事柄が整理され、秩序が生まれ、国の威信やら戦略やらで現在のような形になったが、初期聖女殿ができたのは単に聖女の世話係だった。おまえたちは自分のことを神官かなにかと勘違いしているようだが、おまえたちは役人だ、自分の役職を忘れたのか?」
押し黙った聖女殿の官吏たちをシグヴァルドは見回す。
「己の役目を果たせ。おまえたちを雇っているのは聖女ではない、国だ。いつの間にか自分たちの役目を忘れ果て、聖女の権威を自分のものかのように振る舞うのならば、国はおまえたちの首を他の者とすげ替えるだけだ。まして、聖女の役割は、浄化のため」
「……アグネータさまはすでに一度義務を果たされておいでです」
「わかっている。だからこそ礼を尽くしている。過去の実績があり、その実績は尊崇に値するから、国は彼女に対して礼を尽くしている。ただ今までになく短いサイクルで問題が起こっている。だからアドバイザーに知恵を借りたいといっているだけだ。問題なのは聖女ではない。間に入っているおまえたちが何故役目を果たさないのかと訊いている。役目を果たさない者のために、俺は兵たちに命をかけろとは言えん」
「聖女さまに対しその尊大な物言い、たとえ王太子殿下といえども、許されませんぞ」
頑な様子でそう吐き捨てると、ヘンリクは音を立てて立ち上がり、振り返ることもなく会議室を去る。副官も上官の後へと続いた。
「だから王太子かどうかも、聖女も関係ない。まったく、物わかりの悪いやつだな」
呆れてこぼしたシグヴァルドは、一人だけ残った年若い役人を見やる。彼はルードヴィクと同じか少し上に見えた。整った中性的な顔立ちの、長い亜麻色の髪を肩口でゆったりと束ねた官吏は、出て行った上役たちに動じることもなく一人その場に残っていた。
「お前はついていかなくていいのか?」
「聖女さまには会見のためのお時間をいただけるように進言いたします。ご返答はすぐにご報告いたします」
「わかった。アグネータ殿の都合になるべく合わせよう、あとは補佐官と打ちあわせろ」
承知いたしましたと頷いた官吏に、会議室の張り詰めた空気が緩んだ。それでようやく、ベルトルドは少しだけ強ばっていた肩の力を抜くことができた。
「もしかして、いつもこんな調子なの?」
隣のトピアスにこっそり問いかける。手元の書類へと目を落としていた彼は、チラリとベルトルドに目を向けると、特に感慨もなさそうに肩をすくめた。
シグ大変そう
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