62:聖女が真エンディングというものを教えてくれました2
フレデリク・エクヴァル(アスタに惚れてる先輩)
「オレはあの時からずっとアストリッドが好きだ――アイツを、あのころの彼女に戻してやりたい」
「ぅええ?」
幼い自分を木の上から落としたアストリッドが好き――ちょっと……いやかなり自分とは相入れない性癖に、ベルトルドは顔を引きつらせる。
だけどフレデリクの目は真剣で、ベルトルドは気押される。
「オレはあのころのアストリッドを覚えてる。今は望まぬ結婚を避けるために、あんなに気を張ってるけど、アイツは本来優しいヤツだ。それはお前だって知ってるだろ」
アストリッドは優しい――それに関してベルトルドに異論はないけれど、たぶん従兄姉たちに聞かせると、だいぶん微妙な表情になるはずだ。そしてそのベルトルドでさえ、彼女の性格を表すときに真っ先に来るのが、優しいという言葉でないのは確かだ。
だいたい自分から木から落とした相手である。それが故意でなかったとしても、そうゆう相手に向かって優しいって言うのはあんまり普通ではない気がする。ものすごく度量の広いタイプか、ちょっとあんまり一般的でない趣味をお持ちなのか、フレデリクは一体どっちなのだろうか。
そして後者であった場合、好みなんて人それぞれだとわかっていても、できれば妹を近づけたくないと思ってしまうのは仕方のないことだろう。
「ようやく少しオレに頼ってくれるようになってたのに、昨日見ただろう? 殿下と対面すると、すぐ気を張ってしまうんだ」
「え、頼って――頼? え……あの、先輩? ええっと、妹のどこをその……優しいって……?」
「お前に木から落とされて」
「ぅえ? 僕が?」
ぱちくりとベルトルドは瞬く。いや、そもそもベルトルドは木になんて登れない。
「こめかみに枝を引っ掛けて血が出たとき、アイツが心配して、泣きながらこめかみにハンカチ当ててくれて」
「ぅええ……」
フレデリクは頬を赤く染めて目をそらす。ベルトルドはなんと言えばいいのかわからず、照れている男を呆然と見つめた。
話すたびに微妙に違和感があったはずである。盛大な勘違いですよと言っていいものなのだろうか。
いやしかなんだってそんな勘違いをしたのか。
あの時も入れ替わってたんだっけ? と、ベルトルドは記憶を反芻する。
祖父に怒られたことのインパクトが強く、シグヴァルドのことはすっかり忘れてしまっていた。その分へんに記憶が維持されたとでもいえばいいのか。木から落ちた子のことの方は、覚えていたからこそ記憶が薄れ、細部をはっきりと思いだせなかった。
保護者がいないときのアストリッドは、スカートなんか履かなかった。動きにくい服を嫌い、大抵ベルトルドの服を着ていたから、余計にどっちがどっちかわからなかった可能性はある。いやでも来客がいるときに、保護者がいないなんてことがあるわけないし、だったらやっぱり入れ替わっていたのだろうか。
いやだからって、昔のベルトルドと今のアストリッドを比べ、昔に戻れなんて、そんな無理な話……。
「ベルく~ん?」
目の前で手を振られて、ベルトルドははたっと正気づく。
「ベルくん、大丈夫? フレデリク先輩行っちゃったよ?」
「あ……なんかちょっと、びっくりしちゃって」
ニーナが小首を傾げたが、ベルトルドは曖昧笑い返した。最近本当にもう、子どものころの恥ずかしい話ばかりが発掘されて、勘弁してほしかった。
「今日はメイド服じゃないんだね」
片手に袋を持ったニーナと並んで歩きだしながら、ベルトルドは話を変える。
「なんか新しい聖女が現れたって噂が、市中で出回ってるみたいで」
明るい色のスカートを引っ張って、ニーナは唇を尖らせる。
「それで昨日、正式発表の前に、上層部にだけお披露目ってっことで集まったんですけど……」
「そういう趣旨の食事会だったんだ」
「なのにまさか……」
はあぁっと、ニーナは地面にのめりこみそうなため息をついた。ニーナを見ながら、ベルトルドは小首を傾げる。
「僕、婚約破棄ってなんとなく、殿下がアーシャに対してするものなんだと思ってたんだけど……」
「いえ、その認識であってます――っていうか、お話の中ではそうだったんですよね。もーどぉなってんのよぉ! 責任者出て来ぉーい‼︎」
虚空に向かって拳を突きあげ、ニーナは雄叫びをあげた。すすっと距離を取ったベルトルドに気づいて、ニーナはむぅっと顔をしかめた。
「……わたし、やっぱり自意識過剰だったんだ。お話の中のヒロインに生まれかわったなんて、そんなヒロインみたいなこと、わたしなんかにはおこがましかったんだ。そーに違いない」
今度は暗い表情でぶつぶつ言い始めたニーナは、かなり情緒不安定のようだ。
「物語の中とは、展開が変わってるってことだよね。物語の世界っていう認識自体が間違ってるかもしれないってことはある?」
「そこなんですよねー。設定とか、そういうのは同じだし、起こってることもまあだいたい一緒なんだけど、一部違うところがある。ただ、この話ってヒロインの兵役期間のお話なんですけど、長い時間かけて起こるはずのことが、ここ何週間かで起こってしまってるんです。ほんとは聖女だと発表されるのもずっとあとなんですけど……」
ぶらぶらと歩きながら、ニーナが難しい顔をする。ニーナの口ぶりだとここが物語の世界と同じだと否定できるわけでもないようだ。ただベルトルドにとって問題なのはそこではない。
「これで断罪って起こるのかな?」
「ですよねぇ。わたしもよくわからなくなってます」
うーんと、ニーナが首をひねる。
「これは、わたしも見たことないので確実とは言えないんですが、この話って真エンディングがあるって噂があったんです」
「真……エンディング?」
「この手の話って、もし自分がこういう行動をしたら、主人公が未来がどう変わっていくかを楽しむものなんですけど、だからヒロイン一人に対して何人かの|攻略対象⦅ヒーロー⦆がいるんです。でもこの物語全部読んでも、回収されてない伏線とかあって、ファンの間でも真エンドが別にあるんじゃないかって言われてたんですね。実際見たことあるって人もいて、もしそれが本当だとしたら……」
「そっちの方に添ってお話が進んでるかもしれないってこと?」
「可能性はあるんじゃないかなと思ってます――って言っても、真偽がはっきりしない噂だし、今更調べる方法もないし……」
赤い髪を揺らし、ニーナが困った顔をする。そちらの話には断罪は存在しているのだろうか。
――いちゃもんつけて断罪ってのは、考えられない話ではないだろうな。
未来なんてわからない。それで普通なのだ。昨日の婚約破棄が引き金になってアストリッドの――もしかしたらシーデーン公爵家の取り潰し騒ぎにまで、グスタフは持って行くかもしれない。それがわかっているなら、これから細心の注意を払うしかない。
「あのね、ベルくん……」
袖を引かれて、ベルトルドはニーナを見る。ニーナは俯いて、うろうろと視線を彷徨わせていた。
「あの、明日なんだけど……」
「ん?」
「えっと、その、――あー、んと、明日、わたし頑張るから」
「ニーナさん?」
「えへへ、応援してて?」
「どうしたの?」
なんでもないよと頭を振って、ニーナはぴょんと一歩後ろへと下がった。
「わたし靴を返してくるね。あ、昨日はありがとうございました」
片手に下げていた袋を振って、ニーナはそれからペコリと頭を下げる。
「僕が預かるよ」
「ううん、ちゃんと皆さんにもお礼を言いたいから。ベルくんはこのあとどうするの? えっとお屋敷の方に帰るの?」
「ううん、シグヴァルド殿下のところに」
じゃあまたねと言って、ニーナは軽やかな足取りで駆けていった。
今週いっぱいはまだ毎日投稿続けられそうです。
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