06:妹に好意を持っているのは王子だけではないようです
別室で副官と打ち合わせだというシグヴァルドと別れ、ベルトルドは一人会議室へ向かった。開いたままの扉から入室すると、視線が一斉に集中し、室内はしん……と静まり返った。
中央に長机が鎮座する部屋で、すでに着席している者、立ち話をしている者と、各々会議が始まるのを待っていた。彼らの視線を一身に浴びて、ベルトルドは踵を返したくなった。だが、あの怖い人の怒りを思いだすと、黙って帰るとあとあともっとしんどいことなりかねない。
さっきのことを思い返して二の腕をさすりながら、ベルトルドは会議室を見回す。ビシビシと突き刺さる視線の中から同期のものを見つけて、そそくさと彼の隣の席へと着席した。
月に一度行われる定例会議には、4期8人の訓練生代表も参加する。会議に訓練兵が混じっているのは、建て前として訓練兵にも経験を積ませるためとなっている。だが、その肝心の訓練兵の代表は、代打のベルトルドを含め、すべて貴族たちで占められている。
そして貴族出身者が軍人になったところで、瘴気との戦いの最前線であるトゥーラを勤務地に選んだりはしない。大抵が首都か、親が持つ領地近隣の駐留地を望む。トゥーラを志願するような貴族は、変わり者と呼ばれる一部の腕に覚えのある者だけで、実際、会議のために集まっている兵士たちほとんどが平民か辺境民だ。
なのに、実際ここで軍役につくだろう平民の訓練兵は一人もいないのだ。同期の訓練兵の内訳は、貴族階級の者よりそれ以外の方が多いのに、彼らを押しのけてトゥーラで軍務につくわけではない貴族が同期代表として『経験を積む』わけだから、おかしな話だとベルトルドは思う。
いっそ兵役を行う場所を変えてしまえば、ねじれはなくなるような気もするが、それでもトゥーラにこだわるのはここが特別な場所だからだ。いや、すでに遷都しここから目を背けた貴族にとって、未だにトゥーラにて兵役を行っていることこそ、最後に残った良心なのかもしれない。
「まさか……」
隣の席に滑り込んだベルトルドへと視線を投げ、眉をひそめてトピアス・ユーホルトは小声で言った。いや、正確にはベルトルドがつけている長いカツラだろう。
怜悧な顔立ちに銀縁眼鏡がよく似合う、入隊試験ではアストリッドに次ぐ成績を納めたトピアスは、結構な世話焼きらしい。トピアスのエリ子爵家には、彼の下に弟妹が4人もいるという話なので、長男気質なのかもしれない。大雑把なアストリッドの面倒をよく見ていてくれてるらしく、ベルトルド自体は彼とあまり接点がないが、密かに親しみを覚えている。
「その杜撰な替え玉で、サボりがバレないと思ってるわけじゃないだろうな、アイツは? ――何故そんなにうれしそうな顔をする」
実に嫌そうな目で見られたが、頬が緩んでしまうのは仕方がない。欲しかった反応が返ってきたのだ、うれしくないはずがない。兄妹なんだから似てないってことはないだろうが、さすがに見分けがつかないとなると堪える。
「まさか閣下を怒らせて出てこれないとか言うんじゃないだろうな」
「ぅえ? ――ええっと」
「総督府内であれだけ魔力を放出して、気づかないとでも?」
刺さる視線を感じながら、あー、と斜め下の方へと視線を彷徨わせる。そういえばルードヴィクがそんなことを言っていたような気が……と思いだす。だが当事者としては、あまりの恐怖にそんなところまで頭が回っていなかった。
周囲でこちらを見てはコソコソと言葉を交わしている様子に合点がいって、思わずため息がこぼれそうになったとき、背後から高圧的な声を投げつけられた。
「とうとうアストリッドは兄と性別を取り替える気になったのか?」
振り返ると間近に男が立ち塞がっていて、男のセリフに一部の者たちから失笑が起こる。
見下ろしてくる男は、フレデリク・エクヴァルという。赤褐色の髪の整った顔立ちの、一期上のアーレンバリ伯爵家の三男坊だか四男坊だったかのはずだ。貴族然とした育ちの良さそうな顔立ちに、こめかみあたりにうっすらと残る傷跡が、少し悪っぽくてカッコイイと、女の子たちが話しているのを聞いたことがある。
アストリッドに話しかけているのは何度か見かけたが、自分とはあんまり接点のない人だ。なのに記憶のどこかに引っかかった気がして、彼の顔をじっと見あげる。
なんだったっけと記憶を探っていると、フレデリクが聞いているのかと短気さを見せて声を荒げた。真後ろに立たれているために、立ち上がることもできないままベルトルドは眉を垂らす。
「……ええっと、なんとお答えすればいいんでしょう?」
会話の意図するところがわからなかった。そんな予定はありませんなんて答えは、目の前の彼は望んでいないだろう。シグヴァルドに外すことを許されなかった長い黒髪に触れて、こぼれ落ちそうになった溜息を口の中で噛み殺す。自分に与えられた罰だろうと思ったので受け入れた。あちこちでからかわれるくらいは想像していたが、まさかアストリッドを気にかけている相手に絡まれるとは思わなかった。
助けを求めて隣を見ると、トピアスは手元の書類に目を落とし、顔を上げもしない。困り顔のベルトルドにますます失笑がもれた。笑っているのはほとんどが、目の前の男やベルトルドと同じ訓練生ばかりで、いわゆる貴族である。軍人たちは顔を顰めている者、ニヤニヤしている者、我関せずの者などの、態度はそれぞれに静観していた。
「おまえがそんなだから、アイツがああなったんだぞ」
ジロリと睨めつけられて、ベルトルドはきょとんと相手を見返した。ああとは一体何を指すのかがわからない。だがその反応が気に食わなかったのか、フレデリクは忌々しげに舌打ちした。
「おまえら母親の腹の中で、性別を間違えてきたんじゃないのか。さっさと元に戻してしまえ」
「はぁ、でもそうなったら……エクヴァル先輩、困りませんか?」
「はぁああ?」
いらだたしげに言葉を重ねられ、フレデリクを見上げてベルトルドは首をかしげる。だが、彼はますますいらだって、声を荒げた。
「なにを言ってるんだ!? ホント意味わからない。ああ、おまえは、双子の妹と違って本当にグズだな」
「はぁ、それは本当に……スミマセン?」
「そんなだから首席を妹にとられるんだろ。男として情けなくないのか」
「そう……なんでしょうか?」
「どうして疑問形なんだ! おまえさえもっとしっかりしてたら、アイツは……!」
「ええっと……」
首をひねりながら、ベルトルドは相手をまじまじと見つめた。いまいち相手が何を言いたいのかわからなかった。というか、自分の認識とずれているといった方が正しいだろうか。
アストリッドはフレデリクを相手にしていないのに、彼の方は積極的に絡みに行っているところをみると、てっきり好きなのだろうと思っていたのだ。ただアストリッドには王太子という立派な婚約者がいるし、好きだけど叶わないどころか、素直に表現することさえ許されない複雑な気持ちが、ああいうちょっとひねくれた形で表出していると思っていたのだ。男心って複雑だなぁ、とか、ちょっと甘酸っぱい気持ちにもなったりしていたのだ――……が、違っていたのだろうか。
悩ましく首をひねったベルトルドは、双子間で性別を交換しろという彼の言い分をもう一度考えて、それからぽんと手を打った。
「ああ! わかりました。そうだったんですね、先輩。それは本当に申し訳ないのですが、さすがにちょっと難しいと思われます。あ、でも、好きになったら男でも女でも関係ないと思いますよ!」
「――は? なにを言ってるんだ、おまえ?」
「ええっと? 先輩はアーシャが好きで……でも本来恋愛対象が男なので、アーシャが女で困ってる――という話ではないのですか?」
ぶはっ、と吹き出したのは誰だったのか。一瞬、しん……と静まりかえった会議室に、誰かの吹き出した声が契機になって、どっと笑いの渦が巻き起こった。
「……タヌキだな、おまえ」
アストリッドに下されたのと同じ評価をされて、心外なとベルトルドは目を上げる。そして、今日何度目かまた血の気が引いた。そこには、なんだか複雑な顔をしている補佐官のルードヴィクと、吹き出しそうになるの咳払いでごまかしている副官のアロルド・セーデルルンド、二人を従えたシグヴァルドが呆れた目をベルトルドへと向けていたからだ。
「将校たちがやけにお前を褒めると思っていたが、それが理由か……」
「おま……ッ! おまえ……――!」
「あー……ええっと。閣下、どうも僕の誤解だったようです」
フレデリクは目を白黒させ、だがシグヴァルドの前なので下手に怒鳴ることもできずに、口をパクパクさせていた。王太子殿下の婚約者に懸想しているなどという話をするには、さすがに場所が悪かった。反省しつつ、シグヴァルドに向き直ったベルトルドはしおしおと頭を下げた。
「構わん。手を出したならまだしも懸想程度で……」
「滅相もございません!!」
「――違ったか? それは悪かったな。てっきり、アストリッドと話しているお前を見かけるたびに、”好きな子はいじめる派”なのかと思っていたが」
食い気味に応えた少年をまじまじと見て、それからシグヴァルドは肩をすくめた。再び笑いに包まれ、笑い声の中からはいはーい! と明るい声が上がった。
「質問でーす! ベルトルド訓練生はなんでアストリッド訓練生の格好をしているんですかー?」
「コイツは今罰ゲーム中でな。だから皆もアストリッドとして扱ってやってくれ」
しれっと答えたシグヴァルドに、また明るい笑いが沸き起こる。皆冗談だと思っているのか、閣下相手にナニやらかしたんだとか、そんなヤジが飛んでくる。
和やかになった空気の中で、ベルトルドはフレデリクを横目に見た。屈辱にか細かく肩を震わせる彼に、申し訳なくなって小さくなる。
――相手にもされてないくせに。
その耳に、ぼそりと小さな声が届いて、ベルトルドは背筋にひやっと冷たいものが走った。とっさに仰ぎ見たシグヴァルドは、吐き捨てられたセリフに一瞬片眉をあげ、それからくくっと笑って答えた。
「お前もな」
フレデリクの肩を押し着席を促すと、自身は上座へと着席する。離席していた者は慌てて席に戻り、着席していた者たちは姿勢を正した。
室内が静まるのを待ってから、シグヴァルドは張りのある声で命じた。
「会議を始めろ」