53:王子が心配してくれました
トピアス・ユーホルト(双子たちの代の訓練兵の副主席)
フレデリク・エクヴァル(アスタに惚れている先輩)
シモン・ネルダール(28/聖女殿付官吏長官補)
アグネータ(20年前狂い咲きの時の聖女)
振り返るとそこにはすでに巨猫の姿はなく、ベルトルドは執事と猫がいた場所とに、目を往復させる。
「ベルトルドさま?」
「あ、えと、先触れはあったの? アーシャがいないの伝えた?」
「先触れはございませんでした。お嬢さまではなくベルトルドさまへ面会を求めておられます。具合が悪いと引きこもっておられるのを、ご心配いただいたようです」
「ぅええ? こんな時間に?」
「お忙しくていらっしゃるのでしょう。王太子殿下をお持たせするわけにはまいりません」
ベルトルドを立ち上がらせると執事は、髪にさっと櫛を通し、背に膝丈の室内ガウンをかける。先を促されるままに、ベルトルドは慌てて応接室へと向かった。
「シグヴァルド殿下、お待たせいたしました」
ソファには軍服姿のシグヴァルドが足を組んで座っており、現れたベルトルドを見て小首を傾げる。
「意外と元気そうだな……」
口をつけていたカップをテーブルに戻し、シグヴァルドがベルトルドの方へと手を差し伸べた。おろおろするベルトルドの様子を見て、壁際で銀盆抱えたラウラと執事に向かってシグヴァルドは手を振った。一礼して出ていく二人に、密室で二人きりはやめてーと内心で叫んだが、心の声はやはり誰にも届かず、パタンと部屋の戸が閉まった。
再び手を差し出されて、おずおずと近ずく。寮でのことを考えるとあまり近づきたくないが、断るわけにもいかない。ギリギリの手が届くか届かないかのところまで、ベルトルドは近づいた。
「すみません、心配をおかけしま……わぁ!」
身を乗り出したシグヴァルドに手首を掴まれた。引き寄せられて、ぽすんと彼の膝の上に着地する。
「目の下にまたクマができてるぞ」
「……殿下、申し訳ないので立ちあがりたく思います」
するりと腰に回ってきた手をぽんぽんと叩いて、訴える。
「もう慣れたのか」
「からかうのはおやめください」
なんだつまらんとつぶやくシグヴァルドを胡乱に思いつつも、表面上は取り繕ってベルトルドは立ちあがった。
「具合が悪いのか」
膝の上からは解放されたものの、まだ手首は握られたままだった。その手を引かれて前屈みになったベルトルドの顔を、シグヴァルドが覗き込む。その目が真剣で、ベルトルドは狼狽えて視線を逸らした。
「あ、いえ……あの、アーシャの様子がおかしくて」
「聖女がアストリッドを気に入って、ずっとそばに置いていると、アロルドからは報告を受けている」
「そうだったんですか。えと、帰ってこないことじゃなくて、その、この間会った時のアストリッドの様子がいつもと違ってて……」
「ルドには話したのか?」
「ルド兄さま、アーシャがおかしいのはいつものことだって」
「間違っちゃいないだろう」
笑いだしたシグヴァルドを、ベルトルドは恨めしく見つめる。
「会いに行ったとき、そばにフレッド先輩がいたんですが、アーシャがいちいち彼に行動の許可をとってて」
「フレデリク・エクヴァルか。聖女殿に?」
「はい。シモンさんも、アスタのことを気にした方がいいって忠告をくださってて。その、トピアスに……」
「もしかして首輪の話を聞いたのか?」
「知っていらしたのですか?」
「ヴェイセルを通じて報告を受けた。まああの状態だから、詳しいことはこっちで調べるしかなかったが」
首輪が反応しない範囲での話しかできなかったのだろう。ベルトルドはトピアスとした話を一通りし、アストリッドにも同じものがつけられてるかも知れないと話す。シグヴァルドは少しだけ驚いたように目を瞠った。
「魔法陣に詳しいのか?」
「詳しいってほどではありません。多少わかる程度です」
「ルドに話さなかったのが裏目に出たか――この話、まだルドには言うなよ」
戸惑いながらも頷いたベルトルドに、シグヴァルドが話を戻した。
「外せそうか?」
「トピアスのものは時間をかければ外せると思います。ただ他の人たちにつけられた分は見てみないとわかりません」
「どれくらいかかりそうだ?」
「外すのは時間がかかりそうですが、でも、刺激を与える部分を無効化するだけなら、近いうちになんとかなりそうです」
「どういう理屈で動いている?」
「魔獣につけている首輪の応用で、魔力の揺らぎを見ているようです。僕もその辺あんまり詳しくないんですけど、魔力ってその人の精神状態などで揺らぐようなのです」
魔獣は興奮する魔力が増大する。それを暴れ出す前兆と捉え、抑えるために刺激を与えたり、眠らせたりする魔法陣が描かれている。
「基本は一緒です。魔力が揺らぎを読み取って、刺激を与えているんじゃないかと」
顔を顰めたシグヴァルドが、息をついた。
「魔石がついているが、あれが動力源か? 定期的に変えるのか」
「いえ、本人の魔力です。魔石は外部からの受診の時に使うんだと思います。あとは外そうとした時かな。刺激を与えるのは本人が魔力が使われるから、魔力が低い人なら刺激も低い。なので魔獣には使いますが、家畜などには使われないのはそのあたりが理由です」
ベルトルドの説明に、シグヴァルドは口を押さえて黙り込んだ。装着者の魔力が大きければ大きいほど、逆らったときにあたえられる刺激は大きくなる。今、大方の貴族たちの魔力程度では、所詮は痛いで済む程度だと言える。
「あの、これって何に使うつもりんなでしょうか」
貴族たちが口を揃えて、魔獣退治など平民や辺境領民にやらせろという。
シグヴァルドは一度目を閉じると、ベルトルドの手を解放して立ち上がった。
「無効化できるようになったら、俺にも連絡をよこせ」
「わかりました」
頷いて、ベルトルドはじっとシグヴァルドを見上げた。
「なんだ?」
「玄関から帰られるのですか?」
小首を傾げたベルトルドに、シグヴァルドが笑う。
「この家で窓から出入りしたら、防犯システムが作動する。寮は手続きが面倒だったんだ」
寮は不特定多数が出入りしているので、一般家庭のような防犯用の魔法陣が使えないのだ。なるほど、とベルトルドは安心した。妹のところに窓から忍んで会いに来てるとか、見られると変な噂が流れそうだ。
ほっとしたベルトルドの頬に手を当てて、シグヴァルドが目の下を親指で辿った。
「倒れる前には寝ろ――アストリッドが心配なのはわかるが、あれはこの程度で凹むタイプじゃない」
そう言われて、ベルトルドは不覚にも目が潤んだ。
引き寄せられて腕の中に閉じ込められる。長い指にゆっくりと髪をすかれる。肌から伝わる熱が、響く声が、心地よい匂いが、なにもかもがベルトルドをやわらかく包み込んで、ボロボロと両目から熱いものがこぼれ落ちる。ベルトルドは目の前の胸板に額を押しつけた。
アストリッドにあんなものをつけて、彼女の自由を奪うような人たちが許せなかった。彼女を縛り付けておいて好きだなんていう、彼女をかけらもわかっていない勘違いした男のそばに、一瞬たりとも妹を置いておきたくなかった。
「今日はもう寝ろ。アイツなら大丈夫だ。バカどもには必ず思い知らせる」
しゃくりをあげるベルトルドの頬を両手で挟み、上を向かせると、シグヴァルドは瞼の上に唇を落とす。
「大丈夫。俺がいる」
泣き顔も変わってないなと忍び笑う声を聞きながら、ベルトルドは子供のように泣き続けた。




