46:王子に頼まれていた報告を行いました1
アイナ・クロンバリー(双子の従姉/ルドの妹/シグの侍女)
あとでもう一本上げたいと思います
「顔の傷、良くなったみたいね」
「傷のこと、姉さまが殿下に話したの?」
「あら、殴られたこと自体はご存知だったわよ」
常日頃から殿下に近づくなと言っているルードヴィクが言ったとも思えず、でもアイナに言う前にすでに知っていたとなると、一体誰がシグヴァルドに傷のことを言ったのだろう。アイナに従って庭に向かうと、シグヴァルドが木陰で脱いだジャケットを枕がわりに寝転がっていた。
「寝てるの?」
「そうみたいね、忙しくてほとんど寝ていらっしゃらないから」
腹の上に乗った書類の束が、規則正しく上下している。眠っているシグヴァルドにほっとして、ベルトルドはじゃあ、と元来た方へと爪先を返す。
「起こしちゃ悪いから、僕、このまま帰ろうかな」
アイナに提案するが、彼女はとんでもないと目を釣りあげた。
「なに言ってるの、起こしてちょうだい」
「お疲れなんでしょう? 寝かせてあげたほうがよいと思うけど」
「ベルが来たのに起こさなかったら、私の方が怒られちゃうわ。だいたいベル、あなた、お仕事できたんじゃないの?」
あまりの正論にベルトルドは、それ以上反論できなかった。お茶の準備をしてくるから摘んでてと、アイナは右翼等へと戻っていく。彼女を見送り、シグヴァルドの方へと目を戻す。ため息をついて、そろりと近づく。彼のそばに広げてあるラグの端に、ベルトルドはそっと腰を下ろした。
起こせと言われたが、寝ていてくれたほうがベルトルドには都合が良い。アイナが帰ってきたら起こすだろうが、二人っきりよりアイナがいてくれた方が気が楽だ。彼女が帰ってくるまではこのままにしておこう。
そう決めると少し気持ちが楽になって、ラグの上のお菓子に早速手を伸ばした。アイナが準備してくれただけあって好物ばかりで目移りする。ゼリーとかプリンとかも好きだけど、やっぱり生クリームとか、カスタードなどを使ったお菓子の方がベルトルドは好きだった。
早速シュークリームを一つとって頬張る。とろりとしたカスタードの甘味が口の中に広がって、ベルトルドはふふっと笑み崩れる。
そういえば……と、なんとなく既視感のあるシチュエーションにベルトルドは手を止める。昔も寝ている誰かの傍で、おやつを食べたような覚えがある。あれは、ルードヴィクだったのだろうか。
「……今日は泣いてないんだな」
笑いを含んだ掠れ声に、ぎくりと背筋が強張って、ベルトルドはおそるおそる振り返った。眠っていたはずのシグヴァルドの灰青の目が、ぼんやりとこちらに向けられていて、途端に居心地が悪くなる。
腹の上にあった書類を脇にやると、シグヴァルドは体を起こした。あくびをしている様子は疲れて見える。元々白い人だが、白を通り越して青白くなっていた。
「……お忙しいのでは?」
「まあ、聖女が現れたからにはな」
シグヴァルドが大きく伸びをすると、シャツの下で大きく筋肉が隆起する。一昨日抱きついた広い肩とか厚い胸とかを思い出しそうになって、ベルトルドは慌てて頭を振ってよみがえりかけた記憶を散らした。
「あと十五年ぐらい猶予があるだとろうと思っていたものが、急に五年に短縮したら、予定が狂う」
そう言いながらも彼の声はいつも通りで、あまり危機感のようなものは感じられなかった。そういえば、ルードヴィクもおんなじ感じだったなぁと振り返る。焦ったところで仕方がないのは確かだが、それでもあまりにもいつも通りだ。
半あぐらで、立てた片膝に頬杖を突き、シグヴァルドはサンドイッチをつまみ始める。まだ意識がしゃっきりしないのか、気怠げな様子の彼のとりやすい範囲へと、ベルトルドは皿を寄せてやった。
「おまえも食べろ。甘いもの、好きだっただろう? それとも大きくなって好みが変わったか?」
促されてベルトルドは、二個目のシュークリームへと手を伸ばす。だが一個目に食べたそれと同じ美味しさで、こんなに気詰まりでも変わらず美味しいシュークリームは偉大だなぁと思った。
「食の好みが変わったのかもと、思ったりもしてたんだがな……」
ちびちびと囓っていると、その様子を眺めていたシグヴァルドが、首を傾げる。銀の髪が肩の上をさらりと流れた。
ベルトルドは口の中のものを飲み下す。
「僕の好きなもの……知ってるんですか?」
シグヴァルドが手を伸ばして、湿布を貼っているのとは逆の頬に触れた。
「昔会ったときは、ほっぺたにはち切れそうなほど詰めこんでたな」
むぎゅっと頬を摘ままれて、ベルトルドはカァッと顔が熱くなって俯いた。どうして最近みんなで、子どもの頃の恥ずかしい話ばかりするのだろうか。そして何故そのことごとくがおやつの話なのか。いつかおやつで身を滅ぼすぞと言われたことを思い出して、甘いものを控えるべきなのかとベルトルドは悩む。
「覚えてるか?」
「すみません……その、父母が生きている頃にお会いしたことがあると聞いてはいますが、さすがに記憶は……」
両親が生きてる頃と言えば七歳よりも前だ。さすがに覚えていない。困ったベルトルドに、シグヴァルドがやわらかく笑う。
「変わってないな……」
ほっぺたふにふにと摘まみながら、シグヴァルドが言う。いくつの時の話なのかはわからないが、さすがに幼児の頃から変わっていないと言われるのは複雑である。
「思考がだだ漏れてるぞ」
よほど微妙な顔をしていたのか、声を上げて笑い始めたシグヴァルドを眺める。どうやら今日は機嫌が良さそうだ。




