44:王子が押しかけて……! ……! ……!?
「いたた……」
「ルドがついていながらベルトルドさまにケガをさせるなんて」
ベッドに寝転がったベルトルドの腰に湿布を張りながら、アルヴィドがまだぶつぶつと不満をこぼす。ベルトルドを背負って送り届けてくれたルードヴィクにも、さんざん文句を言いまくったのに足りなかったらしい。
「一度きちんと軍の上層部には講義をするべきだと思います」
ベッドに寝転がってアルヴィドの止まらないグチを聞いていたベルトルドは、なんて抗議するんだろうと首をひねる。
僕が鈍臭くてしょっちゅうケガして帰ってくるから、担当を変えてくださいとかだったらイヤだなぁと、ぼんやり考える。またルードヴィクから小言を頂戴しそうだ。
そのうえにゃーの機嫌がずっと悪い。ベルトルドの守護神を気取っているらしいこの黒い巨猫は、非守護者の危機に一歩も外に出れなかったことがたいそう不満らしかった。やっぱり郷里に置いてくるべきだったのかもしれない。ただそれはそれで不安だったし、影に潜むなんて技を覚えたのもあって、同じ不安なら目に届くところにいた方がましかと思ったのだ。
ずっと拗ねているらしいにゃーが、ふいに甘えた声を上げた。なんだろうと思う間もなく、ガンガンガン! と激しい音がなる。
「ぅえ? なになに?」
ベッドの上でキョロキョロするベルトルドの夜着の裾を直すと、アルヴィドは窓へと向かう。開いた窓から入ってきた人物を見て、ベルトルドは目を瞠った。
ベルトルドの部屋は最上階の四階だ。まさかそんなところから人が現れるとは思わなかった上、登場した相手はシグヴァルドである。まさかアストリッドのところでも同じことしてたなんていわないよね……と考えて、ちょっと胡乱な目を向けてしまったのは仕方がないことだろう。
ベルトルドさまと、アルヴィドに促され、ベッドから慌てて降りる。ツカツカと近づいてくる男に、ベルトルドは敬礼した。
「話に聞いてたより傷が増えてるな」
「訓練兵仲間に突き飛ばされ、馬車にひかれかけたところをクロンバリー卿に助けられたようです」
顔を顰めたシグヴァルドに、アルヴィドがすかさず返答する。しばらく出ていろと言ったシグヴァルドに一礼して、侍従が部屋を出ていった。
置いてかないでーっ、と内心叫んだが、心の声では届くわけはなく、無情にもパタンと部屋の戸が閉まり、ベルトルドは部屋に取り残された。二人きりのシチュエーションは、シグヴァルドが急に怒りだしたあの日を思いだすので遠慮したかった。
目の前に立ってこちらを見下ろしているシグヴァルドを、ベルトルドはおそるおそる見あげる。
昨日から忙しいとアイナが言っていたが、寝ていないのか透けるような白い肌にクマが浮かんでいた。お疲れのせいか心なしか襟元がよれっとしていて、そのうえ目が座っている気もする。そんな状態でも美貌の男は、だがいつもより迫力マシマシで、ベルトルドは今すぐアルヴィドを呼び戻したい衝動に駆られた。
よいと言ってもらえないので、敬礼したままのベルトルドに、シグヴァルドが手を伸ばしてくる。ベルトルドが固まっていると、敬礼していた手を取られた。手首を掴んで、手のひらを表に向けると、手首に近いあたりに貼ってあったガーゼをベリっとむしり取られた。転んだ時にどこかで擦ったのか擦過傷ができているのだ。
その傷を不意にべろりと舐め上げられて、ベルトルドは目を剥いた。
「でででで殿下?」
声が裏返った。手を引っ込めようとするが、びくともしない。がっちりとつかまれた手を含むように舐められた。傷口を這う舌の感触が痛くて、半泣きでヒィヒィ叫ぶが相手は意に返さない。
「殿下! シグヴァルド殿下、汚いです。やめてください!!」
顔を上げないまま目だけでギロリと睨まれた。急にキレたときのことが思いだして、ベルトルドは竦みあがる。
そのあとはもうされるがままになっていると、しばらくしてシグヴァルドが顔をあげた。濡れて光る口元をぐいと親指の腹でぬぐって、ベルトルドのつかんだままの手に目を落とす。
「泣くな。治しただけだ」
「……治ってる」
己の手を見ると、最初からなにもなかったように、擦過傷は跡形もなくなっていた。ぱたぱたっと瞬いて、ベッドに腰を下ろしたシグヴァルドと、掴まれたままの自分の手を交互に見る。
「シグヴァルド殿下は治癒魔法も使えんるんですか?」
「人に言うなよ。治療しろと押しかけてこられるのは迷惑だ」
治癒魔法の使い手は多くない。魔力の多寡よりも特殊な技術が必要になる魔法らしく、ベルトルド程度のケガでは看てもらえなかった。
「あとはどこだ? 顔と腰か?」
つかまれたままの手首をぐいとひかれ、バランスを崩してシグヴァルドの肩に捕まった。
「あああああの殿下。たいしたことありませんから」
ベリッとほっぺたの湿布を引っぺがされて、顔をジロジロと見られる。遠慮のない視線に恥ずかしくなって、ベルトルドは距離を取ろうとシグヴァルドの肩を押す。だが、手首を掴まれたのとは逆の手がするりと腰に回った。
「明日には赤やら黒やら紫やら、派手な顔になってるぞ」
「いつかは治りますので。――閣下は会議でお疲れでしょう? 早めにお休みになられた方がよいのではないですか?」
「お前を治すのくらいたいした労力でもない」
「いえでも……っ!」
腰に回った手がするりと夜着の裾から潜り込む。ヒィッとベルトルドは声にならない悲鳴をあげた。少しかさついた手が腰を撫で、ぞわっと肌が粟だつ。ベルトルドは反射的に背中を逸らした。
「ホントに、ホントに大丈夫ですから」
「治している間だけだ、じっとしてろ」
肩を押して離れようとするベルトルドに、シグヴァルドは宥めるように背中を撫でる。そう言われてしまえば、強く断るのも失礼に思えて、ベルトルドはそろりと力を抜いた。
はられたばかりの湿布を剥がして、シグヴァルドの手がゆっくりと上下する。普段服で隠れている場所を、自分のものではない熱が這う感触は違和感しかない。硬い指先が、軽めの圧をかけながらやわらかい皮膚の上を滑っていく。
彼の大きな手が滑ったあとを追いかけるように、しびれにも似た感触が生まれた。ゆくっりと上下する手のひらが――指の一本一本が、じわり……じわりと未知の感覚をもたらした。背筋が痙攣するみたいに震える。
「……ん」
「大丈夫か?」
「ぞわぞわ……します」
唇を噛んで俯く。じっと観察している薄い色の瞳と出会って、ベルトルドは逃れるように顔をそらした。伸び上がるように顔が寄せられて、頬をべろりと舐め上げられた。濡れた熱い舌が頬を往復し、唇が顎のラインをはみ、時折歯が当てられる。
しびれるような感覚が、体の中心に向かって尾を引く。今まで感じたことのない感覚が怖かった。逃げようと伸びあがると、掴まれたままの手首をひかれた。どうしていいかわからないまま肩にかけた手で、シグヴァルドの肩口をぎゅっとつかむ。だが軍服のざらりとした感触がまた刺激になった。
じわりと溜まっていくしびれに、体がまた震えて、膝から力が抜けた。堪えきれずに目の前の大きな体に縋りつくと、男が耳のそばで忍び笑う。
恥ずかしくて泣きたくなる。
――だが。
ますます大胆になった手が、下の方へと滑ってくる。長い中指が尻の|間⦅あわい⦆を辿った瞬間、ベルトルドはカッと目を見開いた。
ガシッと骨張った手をつかむと、シグヴァルドの灰青の瞳と目をあわせた。
「殿下殿下殿下! どどどどどこをお触りなっておられますかっていうか殿下のような高貴のお方がそそそそそそんなお美しいお手でででで臀部などというご不浄の場所をおおおおおお触りになるのはいけませんダメですおおおお恐れ多くて僕非常によろしくございません!」
シグヴァルドは驚いて目を瞠る。だがすぐにくくっと喉を鳴らして笑いだした。
「尾てい骨だが?」
「ぅえ? 尾て……?」
きょとんとしたベルトルドに、そうとシグヴァルドは神妙な顔で頷いた。
「突き飛ばされたんなら尻を打ったかと思ってな」
「えと、腰? ん? お尻?」
「そしたらそのとき尾てい骨を打撲したかもしれないだろう? 骨折とまでは行かなくてもひびが入ってるかもしれない」
「ぅええ? ひび?」
「ほっといたら明日には起きあがれなくなってるかもしれないぞ? そうなったら痛いだろうな」
あうあうと言葉にならない声をもらしているベルトルドに、シグヴァルドがふわりと表情を和ませた。青い目がやわらかくとろけて、ベルトルドはもうなにも言えなくなった。
「治療だ、ベルトルド」
力が抜けたベルトルドの手をかいくぐって、シグヴァルドの手が再び動き出す。びくっと身動いだベルトルドを、シグヴァルドは深く抱き込んだ。尻の間を何度も指が滑る。
「……んん」
皮膚の上を体が滑っていくたびに、肌がざわめく。肌が粟立ち、頭がふわふわする。シグヴァルドが与えてくる甘いしびれだけが、感覚のすべてを支配して、なにも考えられない。時折背中が引きつるように震え、肩口に顔を埋めてベルトルドはいやいやとすりつけるように頭を振る。
頭上で溜息が落ちた。
びくっと体を硬くして、ベルトルドはシグヴァルドを見あげる。せっかく治癒魔法を使ってくれているのに、嫌がって怒らせてしまったのだろうか。
固まっているベルトルドを見下ろし、シグヴァルドが目尻に唇を寄せた。
「突き飛ばされたって?」
「ぅえ?」
手首を握っていた手が離れ、ベルトルドの髪の中に潜り込む。長い指がゆっくりとやわらかいくせ毛をすいていく。
「突き飛ばされて転んだのか?」
「あ、違ぁ……んん違くて、それは兄さまが助けてくれて――くれました。腰はそのときグキッてなったんですけど、そのあと兄さまが説教してるの見てたとき、ぼんやりしてたので人にぶつかっちゃって」
そのとき尻餅をついて、ついた手を石畳でこすってしまったのだ。
「あんまり心配させるな」
顔をしかめて話を聞いていたシグヴァルドが、ベルトルドのほっぺたに唇を押し当てる。
「心配してくださったんですか? どうして……?」
「どうしてだと思う?」
「……質問に質問で返すの、ズルいです」
間近にあるきれいな顔を見上げて眉を垂らすと、シグヴァルドの灰青の目がやわらかく細められる。
「トモダチだからな」
「ぅえぇえ?」
とまどっているベルトルドに、楽しげに声を上げてシグヴァルドが笑う。
「心配だから駆けつけてきたんだ。仕事も放り投げてな。だから……」
首のうしろに回った手に引き寄せられ、耳にシグヴァルドの唇がかすめた。
「もう少しだけだ」
直接耳に吹き込まれたささやきに、体がぞくりと震える。止まっていた手の動きが再開され、頬を往復していた舌が首筋へと降りていく。
心配していたと聞かされると、さっきまで以上に逃げることもでない。与えられる刺激に、ベルトルドはビクビクと体を震わせた。
「でん……かぁ」
「もう少しだ、ベルトルド」
再びささやきが耳に吹き込まれる。耳をかすめる唇と吐息、低くやわらかい声がベルトルドの脳を侵す。膝から力が抜けて、ベルトルドはもう立っていられなかった。くずおれる体を、シグヴァルドは引き寄せて自分の膝の上へと招く。のしかかるように抱きすくめてくる大きな体に、ベルトルドはすがりついた。
「……んん、あ……っ」
「いい子だ」
満足げな声が笑いを含んで、また耳に吹き込まれる。口の端をシグヴァルドの舌が掠める。もどかしくて、恥ずかしくて、生理的な涙が目尻を伝うと、シグヴァルドの舌が舐め取った。だがすぐまた新たな涙がこぼれる。
首筋を唇が何度も往復し、ぞくぞくと震えが止まらない。時折耳たぶを舐められて、ベルトルドは小さく悲鳴をあげた。
「殿下、ね、でんか、も、むり……」
「治療だぞ? 治るまではやめられないだろう?」
笑いを含んだ声が、耳元で返される。その刺激に体がのけぞる。晒された喉仏にシグヴァルドが歯を当てて、とうとうベルトルドは泣き出した。
「悪かった。意地悪だったか?」
ベルトルドは涙目で睨みつける。
「そんな顔されると、ますますいじめたくなる」
「ぅえ?」
視線を彷徨わせるベルトルドの目尻に唇を落とすと、ベルトルドを布団の中に押し込んだ。
「よく休め」
今度は額に唇が落ちる。流れ落ちる銀色の髪が一瞬視界を塞ぎ、離れていく。続き間の扉を開けてなにごとか話す声が聞こえていたが、急速に重くなってきた瞼に逆らえず、ベルトルドは意識を手放した。
その夜、夢を見た気がした。
懐かしい気持ちだけが残っていて、ベルトルドは首をひねる。
なんとなく――シグヴァルドが出てきたような気がした。
アルヴィドは苦情をしたためて、きちんと総督府まで持って行きました(笑)
明後日はまたシグのターンです。
○っちではございません。いちゃ甘でございます。
よろしくお願いいたします。
了解していただけたら、↓の☆☆☆☆☆やブクマなど応援していただけたらうれしいです(笑)




