36:王子に苦情を言うなんてとんでもありません
アルヴィド(ベルの従者)
フレデリク・エクヴァル(アスタに惚れている先輩)
その声はよく響いた。ぴたりと笑い声が止んで、和気藹々としていた雰囲気が一気に荒む。ベルトルドは振り返って、頭を下げた。
「騒がしくしてすみません」
ベルトルドを挟んだ左側は、貴族の訓練兵たちが使っていた。平民と貴族で、ちょうど水と油のように二層に分離していたのだ。
「おまえ、平民にばかにされて悔しくないのか」
向き直った貴族の訓練兵たちはベルトルドに険しい目を向けていた。その先頭に立つ男はアンドレ・バーリ、フレデリクの代の副主席だ。彼は首元まできっちりとボタン止めていて、ベルトルドはもしかして……と思った。
「ああ……いえ、でも、本当のことなので」
「そんなふうだから平民に下に見られるんだ。貴族は前線に出たりしない。だから小銃の扱いがまずかろうと関係ない」
ぱちぱちとベルトルドは瞬きする。
「あ、もしかして、先輩も銃の扱いが苦手なんですか? おそろいですね」
素直に笑いかけたが返ってきたのは冷たい一瞥だった。最近なにかと不用意な言葉で人を怒らせてしまったベルトルドとしては、またなにか不味かっただろうかと目を泳がせた。
「魔物の相手なんて貴族がやる必要がない、平民や蛮族にやらしておけばいいんだ」
吠えたアンドレに、背後からイラッとした気配が伝わってくる。だけどベルトルドはアンドレの言葉が不思議で、でも……と首を傾げた。
「家を継げるのは一人だけですから、大半の貴族の子弟は成人したら平民になりますよね?」
それはそうだと後ろで笑いが起こった。事実を述べただけなのだが、目の前の少年たちを怒らせたのは確かだった。言い方を間違えてしまったと、ベルトルドは言葉を続ける。
「あの、軍人になる貴族家出身者は多いと聞いたんですが……」
「ただの一兵卒のおまえたちとは違うんだよ。俺たちは軍人になっても、士官になるんだ。 戦場に出て戦うしかない奴らと一緒にするな、俺たちは命令する側だ」
貴族の跡継ぎは基本一人だ。家の力を落とさないため、跡継ぎひとりが総取りし、せいぜい二番目が跡継ぎの手伝いで家に残り、あとはみんなそれぞれの力で生きていく。爵位を持つ娘と婚姻を結べるのはごく少数、裕福な商家と婚姻を結んだり、後は高位の貴族家の騎士や使用人として仕えたりする。自分で商売する者も居るが、多いのは軍人だろうか。第一師団は貴族には不人気だからあまりいないが、他の師団には貴族出身者は多い。
だが基本、軍は実力主義で、出自で士官になることはできないのだが、第一師団以外ではそれがまかりとおっている。軍のトップである祖父イングヴァルが睨みをきかせてるはずだが、彼ひとりで軍内全てに目を行き届かせることは不可能だ。だがそれを将軍の孫息子の前で堂々と話すのはやめていただきたかった。
それに士官の椅子なんて数が限られているし、士官だって上から命令される。戦場にだって出なくてはならないと思うんだけどなぁと、ベルトルドは首をひねる。
「昔と違って魔力がなくなって、口出すだけしかできなくなっただけだろ!」
だがベルトルドが口を開く前に、背後から声が上がった。振り返ると、そうだそうだと次から次へと声が上がる。
「戦場に行って魔物の一匹でも倒してきてみろよ」
「使われるしか能がないヤツらが、俺たちに生意気な口をきくな」
「平民より低い魔力しかない貴族が偉そうに言うな」
ここのところ貴族と平民の訓練兵同士の揉め事が多くて、がまんしてきたのが噴き出したのかもしれない。もうこうなったら舌戦だけではすまなくなってくる。それでなくても血の気の多いお年頃である。角を突き合わせてもめ始めた訓練兵たちは、胸ぐらをつかんで押し合いになるまでは時間がかからなかった。
呆然とそのさまを見ていたベルトルドは、んなぁと鳴き声を上げたにゃーにハッとする。にゃーちゃん出ちゃダメだからと釘を刺して、訓練兵に向かって声を張り上げた。
「待って、もめるのはやめてください!」
ベルトルドがかけた声など、罵り合いにかき消されて誰の耳にも届かない。そのうち、騒ぎを聞きつけた者たちがやってきて、助けを呼びに行く者、参戦する者と、ますます混乱の様相を呈していく。
「手を出したら、みんな揃って懲罰房でおやつ抜きなんですからね!」
もみくちゃになりながら、一番の真ん中でお互いの胸ぐらをつかみ合っている二人をなんとか引き離そうとする。が、同年代の中でも非力なベルトルドでは跳ね飛ばされるのが落ちだ。
「ベルに当たるなよ!」
「うるさい!」
押されて尻餅をついたベルトルドに、平民の訓練兵がかっとなって手を振り上げる。
「あーだからダメだって」
どこにそんな瞬発力があったのか自分でも謎だが、火事場のばか力だったのか。なんとか、平民が貴族を殴るという事態は阻止できた。
「ベルトルドさま!?」
侍従のアルヴィドが帰ってきたベルトルドを見て悲鳴のような声を上げた。ベルトルドの腫れた頬と大きな湿布を見て慌てて駆け寄ってくる。いつも落ち着き払った彼の、焦った様子に情けない気持ちが膨らんで、ベルトルドは視線を外して、薬の入った白い紙袋を押しつける。
「痛……イタタ、触っちゃだめだって、痛いから」
「ベルトルドさまを殴るなんて……」
ぷるぷると震えているアルヴィドに声をかけ、ベルトルドは深く沈み込むように椅子に腰掛ける。
「大丈夫だから。――手当もしてもらったし。仲裁に入ってちょっとかすっただけだから」
ベルトルドの腫れた頬を見てオロオロしていたアルヴィドが、急にキッと表情を引き締めた。彼はすっくと立ち上がる。
「苦情を言いに行って参ります」
「ぅえ、どこに? 待ってダメだって、どこに苦情を言うつもりなの」
「もちろん、アロルドさまでございます。シーデーン公爵家の跡継ぎの顔を殴るなど」
「跡継ぎに顔は関係ないから。だいたい軍に爵位を持ち込んじゃダメだよ」
「でも軍がベルトルドさまの――シーデーン公爵家の爵位を利用しているのではありませんか」
ぐうの音も出ない正論である。思わず言葉につまったベルトルドは、一息置いて、長いため息をついた。
「でもこれくらいのことで苦情を言ったと知ったら、お祖父さまは怒るに違いないよ。だいたい、どうしてアロルドおじさまのなの?」
「ベルトルドさまになにかあるときはアロルドさまに訴えるようにと、公爵さまに言いつかっているからです」
んー? と、ベルトルドは首をひねる。まあ、アロルドはシグヴァルドの補佐につけるくらいだから、祖父の部下の中でも特に信頼の厚い人物なのだろう。だからといってこんなことで文句言われても困るだろう。どっちかっていうと、困った時に頼れというニュアンスで使った言葉なのではないだろうか。
「だいたい司令官閣下にも様子を見てほしいって言われてるし、お祖父さまにだってルド兄さまにだって働けって言われたんだから、文句言うならあの人たちにしてくれる?」
「ならば後ほどルドには抗議しに行ってまいります」
残りの二人には苦情の手紙をしたためますというアルヴィドに、シグヴァルドにも苦情を言うのかとびっくりした。だがまあきっと、彼の手元に届くまでのどこのかの段階で弾かれるだろうと、好きにさせることにした。
「軍の治癒士に診てもわなかったんですか?」
「たかが殴られたぐらいで診てもらえないよ。医師に湿布と痛み止めをもらって終わりだよ。それより着替えたらすぐに出るから、寮監から預かったものとラウラのお弁当用意してくれる?」
「今日はもうお休みになったほうがよろしいかと思います」
「そういうわけにはいかないよ。シグヴァルド殿下の所にも行かなくちゃだし」
「司令官閣下からは、今日は忙しくて時間が取れなくなったので、後日にしてほしいと使者が参りました」
「そっか、昨日の今日だもんね」
昨日は予想外の多数の魔鳥の襲撃に、ニーナという次期聖女まで現れたのだ。対策でシグヴァルドは大忙しだろう。今朝訓練場に人が多かったのは、その辺もあるのだろうか。
「まあでも、ラウラのお弁当もあるし。寮監の頼まれものは急ぎだから」
両方とも自分が行ってくるというアルヴィドを抑え、ベルトルドは制服に着替えると、カバンを二つ持って再び部屋を出た。
アルヴィドはもちろん苦情を言いました(笑)
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