35:妹の様子がおかしいようです
アルヴィド(ベルの侍従)
ラウラ(アスタの侍女)
ふわぁ……とついもれてしまうあくびを噛み殺し、ドライフルーツが入ったヨーグルトを口に運ぶ。
昨夜は夢を見た。内容は覚えてないけれど、なんとなくシグヴァルドが出てきたような気がする。兵役が始まって半年、遠目にしか見たことがなかったような人物に、ここ一週間ほどで妹や従兄より会っている回数が多いのだ。脳が混乱しても仕方がない。
問題はこんな状況が知れたら、確実に祖父から大目玉を食らうということだ。
最初の一回は――まあ、アストリッドがわざわざ呼び出すくらいだから、シグヴァルドのことだろうと予想はついていた。入れ替わろうとまでしてたのは想定外だったけど、それに関しては怒られるのは仕方がないし、甘んじて受け入れようとも思ってる。だがそのあとは完全に不可抗力だ。
今日の呼び出しだってアイナの名に釣られてしまったとはいえ、上官の命令に嫌なんて言えない以上、やっぱり不可抗力だと思うのだ。
「ルド兄さま、お祖父さまに告げ口しないでいてくれるなんて……」
独り言に、足下からにゃあ……と小さな声が返ってくる。そうだねとベルトルドは肩を落とす。ルードヴィクのことだ、報告しないなんて考えられない。昔からルードヴィクに知られたことは、祖父も確実に知っているのだ。
「ベルトルドさま、来客が参っております」
朝食をつつきながらため息をついていると、戻ってきた侍従のアルヴィドが告げた。
「え、こんな時間に?」
まだ朝日が登ったばかりの時間帯である。日が高くなってくるとあちこちから呼び出しがかかるので、朝のうちに訓練に出かけようと今日は早めに起きたのだ。
「ラウラが面会を希望しております」
「珍しいね、あの子がアーシャを放って僕のところに来るなんて」
「少し表情が暗いように思います」
小さめの丸テーブルの上の食べ終わった朝食を片付けて、新しい紅茶を二客、用意する。話しながらもてきぱきと準備するアルヴィドに、ベルトルドはふうんと返す。
ラウラの事だからアストリッドのことだとは思うが、一体なんだろう。昨日アストリッドに会った時、特別おかしいということもなかったように思った。でも、アストリッドのことなら自分よりもラウラの方が詳しい。別れて暮らしだしてからは特にだ。
もしかして、と、ふと嫌な思いつきが脳裏をよぎる。
「お部屋に通してもよろしいですか?」
「う……うぅん」
微妙な頷きを返したベルトルドに怪訝な表情はしたが、アルヴィドはすぐにラウラを連れて戻った。その手に、置き場所に困ったアストリッド宛の花束がないことにほっとする。だが彼女は大きめのバスケットを持っていて、まさかあの中にシグヴァルドが妹に贈ったプレゼントが入っているのかもと、疑心暗鬼になったがどうやら違ったようだ。
勧められた椅子に座ったラウラは、バスケットの中から二つ包みを取り出して、ベルトルドの前に置いた。
「お弁当?」
「お嬢さまに届けていただきたいのです」
「僕が? え、届けていいの?」
およそアストリッドのことは些細なことでも自分でやらなければ気が済まないラウラが、ベルトルド弁当を届けろと言うのだ。誰だっておかしく思うだろう。実際、アルヴィドはラウラの額に手を当てている。熱で乱心したのではないかと確認しているようだ。
アルヴィドの手を鬱陶しげに振り払って横目で牽制しつつ、ラウラは口を開く。
「お嬢さまが昨日帰られなかったのです」
「う……うん。いつものことだよね」
なにかに夢中になって寝食を忘れるなんて、アストリッドにはよくあることだ。公爵家のお嬢様としては褒められたことではないのだが、ベルトルド自身も人のことははいえない。
「お嬢さまがお帰りならなかったのですよ! ここにはお嬢さまを狙っている殿方だっておりますのに!」
「うん、殿下を野獣のように言うのはやめようか。不敬だからね」
「それだけではありません。最近になって毎日のようにお嬢様に贈り物が届くのです。お嬢さまが王太子殿下の婚約者だということは周知の事実で、今まではこんな不埒な贈り物など一度もなかったというのに」
ふと、フレデリクの顔が浮かんだ。アストリッドは性格が少し――いやかなり、一般のご令嬢の範疇を超えているが、華があるタイプの美人だ。もちろんその種の危険はあるのだろうが、たぶんフレデリクではアストリッドを危機に陥れるのは無理だ。フレデリクが彼女をどうにかしようと思ったら合意が必須だ。まあ、多勢に無勢とか不意打ちとかなくはないだろうが、さすがに次期国王の婚約者に手を出したとなれば、それこそフレデリクは断罪されることになる。
ベルトルドが知る限りの彼は、そこまでの命知らずには見えなかった。だったら他にもアストリッドに懸想している人物がいるのだろうか。いてもおかしくはないが、それがみんなタイミング揃えて行動を始めたというのは考え難い。
じっとこちらを見つめているラウラに、ベルトルドはふっと息をついた。
「わかった、行ってくるよ。それでいいの?」
一つはベルトルドさまの分ですのでと言って帰っていくラウラを見送り、アルヴィドはベルトルドに問いかける。
「もっと詳しく聞かなくてよかったのですか?」
「う〜ん、彼女自身、うまく言語化できないのかも。ただ、アーシャからいつもと違うなにかを感じ取ってるんだろうけど、でも、昨日は別に変わったことなかったと思ったんだけどな」
でもラウラのお嬢さまに対する感だ。それは普段から彼女が、大事なお嬢様をつぶさに観察し続けてきた経験に基ずく違和感なのなら、ベルトルドにもわからないなにかがあったのだろう。
「考えてても仕方ないから会ってくるよ。昼前に戻ってくるから保管しておいて」
とはいえ、こんな時間から聖女殿に押しかけるわけにもいかない。とりあえずは予定通り、ベルトルドは訓練に向かうことにする。今日は報告のためシグヴァルドに会う予定があるから、どうせ一度着替えに戻らなければならないのだ。
春秋の半年に一回、訓練兵が入れ替わる時期は、訓練は休みになる。湖の聖晶石を回収する花摘みが春と秋の二回行われ、その安全確保のため花鳥の数を減らす作業――露払いに第一師団がかかりきりになるためだ。その間訓練兵たちは自主訓練に明け暮れる。露払いと同時に訓練兵たちの試験も行われるためだ。
だから朝早いとはいえ、屋外の訓練場には訓練兵がかなりいた。ベルトルドはぽっかり空いた一角で小銃を撃っていた。
今は昔ほど魔法が達者なものが少なくなっていて、魔物との戦いに用いられる武器は銃器が主流になっている。使用者の魔力の多少で威力が変わってくるらしいが、弾丸に聖晶石を使い、使用者に多くの魔力を求めない銃器は汎用性が高い。
また当たらなかった的を見て、ベルトルドはため息をつく。
「ベルー! ぼんやりしてちゃ当たんねぇぞ」
「ベルはぼんやりしてなくても当たんねぇもんなー」
左側でどっと明るい笑い声が上がる。ベルは唇を尖らせると構えていた小銃を下ろした。
一期目の訓練に小銃が入っているが、第一師団ではほとんど使われない。敵が空飛ぶ巨鳥なので、小銃では太刀打ちできない。ただ魔獣などにはよく使われる武器なので、第一師団以外では最もよく使われている武器なので、真っ先に学ぶのだ。ちなみにトゥーラで最もよく使われる銃器は、幕壁に設置してある大砲で、歩兵は二人1組で扱う携帯式長砲を主に使用する。
魔力だけでいうならアストリッドよりベルトルドの方が上だ。ただそれを扱うセンスが足りない。銃を扱うのが難しいのも、その人より多い魔力のせいだと言われている。実際辺境民は軒並み魔力が多いが、銃を扱う人は少ない。魔法として使った方が扱いやすいかららしい。
だがカリキュラムは画一的で、個々事情などは配慮してくれたりはしない。だいたい辺境民だって好んで扱わないだけで、銃を扱えないわけではないのだ。要はベルトルドの魔力操作の技術が低いことが問題なのである。
「うるさい!」




