03:妹が王子を押しつけてきます2
背後で扉の閉まる音がすると、背後の喧騒が遠くなった。人影のない廊下をわずかも行かず立ち止まると、窓の外を見つめてアストリッドは沈黙してしまった。傍らでベルトルドは、久しぶりに訪れた建物の中を興味深く見回す。
子供のころに一度だけ来たことがあるはずなので、機会があれば訪れてみたい場所だった。でも実際に入ってみるとまったく覚えてない。現在の司令官が赴任して真っ先に手をつけたのが金策で、城の中の装飾品をことごとく売り払ったという話だから、昔とは印象が変わっているのかもしれない。
「急に呼び出すなんて……なにか用事だった?」
それもわざわざ制服でとの指定付きだ。
アストリッドの視線の先には、今通り抜けてきた広い車回しや、その中央にある花壇とそこで手入れしている人たちまでよく見えた。窓の向こうから目を外さないまま、まあ……なんて歯切れ悪く頷いている。
「……僕、これ以上お祖父さまたちに怒られたくないんだけどな」
「まかせといて。私も一緒に怒られるから」
「だからそもそも怒られたくないんだって」
えーっと口を尖らせて振り返ったアストリッドは、笑ってペロリと舌を出した。その仕草が愛らしくて、うちの妹はかわいすぎると身もだえかけて、いやいやとベルトルドは気を引き締める。こうやってすぐにほだされるから、祖父に大目玉を食らうのだ。
また窓の外へと視線を戻した妹の横顔に、母の形見のルビーのピアスが光る。ふと、白昼夢で見た彼女自身と重なって、ベルトルドは妹を見つめる。粗末なワンピース姿の彼女は今より少し大人びて、いつも着けている母の形見のピアスもしていなかった。あんなのはただの夢で、意味などないとわかっていても、気持ちが沈む。
トゥーラが旧都となって以降かつての王城は、トゥーラ総督府の庁舎となっている。そしてこの総督府の現在の主は、王太子であるシグヴァルド・バリエンフェルト――アストリッドの8歳上の婚約者だ。
だいたい、シグヴァルドの様子もおかしかった。王子の婚約者への寵愛は、それはもう有名だ。なのにアストリッドが王子から逃げ回っているせいで、瓦版に好き放題書かれ、国民にまで『ヘタレ王太子』だの『逃げられ王子』だの言われているのである。まぁ、それを躍起になって打ち消して回ろうとしないところが、彼が国民に人気がある理由の一つなのだろうが。
「シグヴァルド殿下とは相変わらずなの?」
うーん、と、窓の外に目をやったままアストリッドがうなる。
「あの人とはナニもない――ナニもないはずなんだけど……」
はずってなんだと思いつつ、その返答自体に、たぶん嘘はないのだろうとも思う。いや、婚約者でありながらなにもないのも問題なのだろうが。
「旧都に来る前にも言ったけど、話し合ってみるっていうのはどうかな? 悪い人じゃなさそうだよ。民衆の支持はすごく高いって話だし……貴族の評判は地を這ってるみたいだけど」
ベルトルド自身、シグヴァルドのことは世間の評判以上のことは知らない。妹の婚約者とはいえ、相手は王族、ましてや自分たちはまだ未成年だ。祖父の立場的にほかの貴族子女よりは機会は多いだろうが、それでも兵役を終え、成年の儀を迎えなければ王宮に上がる機会などそうそうない。まあアストリッドは招待を受けても、体調を理由に片っ端から断っていたけれど。
「もちろん気持ちは伝えてるよ、会う度にね。ただ話が通じてる気がしないんだよね」
「聞いてくれないってこと?」
「聞いてくれない? 通じてない? んん? 聞く気がないの方が正確かな」
こてんと、うなじに手を添えて、アストリッドは首をかしげる。
「こうなったらもう、あとは強硬手段に出るしかないから……ただその前に一つ、試してみたいことがあってさ――あー、ヤだな、ホントに現れるんだ」
窓の外を見て物騒なことを呟くアストリッドの声が、不意にうなるように低くなった。彼女の見ている先を追ったベルトルドの視界を、薄紅色がかすめる。
「あの子……」
二人のいる窓の向こうを、紺色のワンピース姿の一人の少女が横切っていく。
夢の中で見た少女が、肩より少し長い髪をゆらしながら、足早に通り過ぎていく。シグヴァルドの後ろで震えていた、光に透けると淡いピンクにも見える赤毛の少女だった。
ベルトルドのつぶやきを拾ったアストリッドが、振り返って目で問いかけてくる。
「寮で噂になってたよ。変わった髪の色したかわいい子が入ってきたって」
「あー、華奢で可憐な感じだもんねぇ。確かに男子は好きそうだ。……あの子さ、この世で一番、世界に愛されてる子なんだ」
突拍子もないことを言いだしたアストリッドを、ベルトルドはまじまじと見つめた。
少女を目で追っている彼女の顔は、冗談を言っているようでもない。しかし、一番……? と口の中で呟きながらベルトルドは首をひねった。
「一番ってことは、二番とか三番とかがいるってこと?」
「……はい?」
「一番ってことは順番があるってことでしょ? したら、あれだよね、どこかに“世界で一番愛され選手権”とかがあるってことなのかなーって」
きょとんとこちらを見たアストリッドは、二度、三度と瞬いて、それからくつくつと喉を鳴らして笑いだす。
「ほんと、タヌキだよねぇ」
「……なんかバカにされてる?」
「まさか」
アストリッドはベルトルドの手首をつかむと、少女が向かった方向へと歩き出す。
「昔さ、一度だけ、おジイさまに連れられて旧都に来たの……覚えてる?」
「忘れられないよ。アーシャってば急に倒れて、熱を出して寝込んで、どれだけ心配したと思ってるの?」
「……つぼみの数がさ、増えたと思わない?」
アストリッドの言葉に、途中坂道から見た天を突く巨木の姿を思い返す。
「あの頃も、僕たちが一年前、旧都に来た時ももっとまばらだったかな」
「つぼみの数も少なくて、知っている姿とは違ってたから……単なる思いすごしだと思ってたんだ」
「……アーシャ?」
「すっごくよく似てるだけの、もしかして少しだけ関係があったとしても、それでも、【異世界転生】なんて、【ネット小説】とか【マンガ】の中だけの話なんだって……」
つかんだベルトルドの手を握りしめて、アストリッドは独りごちる。快活な彼女にしては珍しく、複雑な感情が滲んで語尾が揺れた。時折見せるこういう一面は、生まれた時からずっと一緒で、誰よりも一番近しいはずの双子の妹を、ひどく遠く感じて胸が騒ぐ。
「そういえばあの頃はさ、よく二人で入れ替わったりしてイタズラしたよね」
ベルトルドの視線に気づいたのか、アストリッドは振り返るといつもと変わらない様子でからりと笑ってみせた。
とうとう来たかとベルトルドは身構える。
「なにかな? その急な話題の転換は」
「昔話だよ。子供のころ旧都に来たな。あの頃はよく入れ替わってイタズラしたよね――っていう」
子どもの頃は似ていると、特にすまし顔をしているときは区別がつかないと言われたものだ。入れ替わっては、祖父に怒られることは日常茶飯事だった。
だがさすがに思春期が訪れとともに、性差ゆえか、それとも自我が確立してきたからなのか、間違われることなんてなくなった。まあその前に祖父から、入れ替わり絶対禁止令が出たことも大きかったとは思うが。
「イタズラしてたのはもっぱらアーシャだよ。僕を隠れ蓑にしてイタズラしてたでしょ。僕はとばっちりで怒られてただけ」
「ええ? お茶会を代わってあげたときは喜んでたじゃない。出されたおやつがおいしかったって」
「いや、それは……」
前髪を引っ張りながらベルトルドは目をそらす。あの当時は虫歯が多くて、甘味を制限されてたから甘いものに飢えていたのだ。もごもごと口の中で言い訳するベルトルドを、アストリッドは立ち止まって覗きこんだ。
ひたりとあわされた緑の目が、キラリと光る。
「今でもさ、いけると思うんだ、私たち」
「ムリだから」
ぴしゃりとベルトルドは一刀両断した。さすがにもう入れ替わるような、そんな年齢ではない。
「僕たちもうすぐ大人だよ。双子って言ったって、所詮は二卵性だよ。男女の双子なんだよ?」
アストリッドが小首を傾げる。
「大丈夫だって。よく入れ替わったけど、バレなかったじゃない」
「それいくつの時の話なの! 僕たちもう一六だよ! 一六! この年になって男女で入れ替わるなんてできるわけないじゃない!!」
「私さ」
うなじに手を当て、こてりとアストリッドは首を傾げた。
「このまま行くとたぶん、一年後くらいに死ぬことになってるんだよね」
限界まで目を見開いて、妹の顔を見つめる。軽い調子の、言葉やいつもと変わらない態度。なんでもない様子で突飛なことを言い出すのだっていつも通りだ。それにしたってその内容は、ベルトルドの頭を真っ白にするには十分な破壊力だった。
「――……うぇ?」
「殺されるんだ、あの王子に断罪されて」
「うぇえ?」
「でもさ、私もまだ死にたくないし、いろいろ現実逃避してみたり、あがいてみたりしてたんだけど。でもまぁちょっと制限時間もあるし……」
「うぇえぇぇぇぇえ?」
「だから」
アストリッドはもう一度ベルトルドの目を覗きこむと、にっこりと微笑む。そして与えられる情報に脳みそがついていかず、ただただ混乱しているベルトルドの両肩をガシリとつかんだ。
「頼みがあるんだ――ラウラ」
肩にかけた手はそのままに、彼女は背後に向けて呼びかける。彼女の後ろに目をやったベルトルドは、そこには片手に櫛、片手に長い黒髪を持ったメイドを見つけて、思わず卒倒しそうになった。
ベルくんカワイソウ!
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