22:王子の元で働くことを勧められました2
「二妃さま?」
呟きを聞き取れず首をかしげると、視線に気づいたユスティーナは口元に手を添えてふふと笑んだ。
「ベルトルドさんは成人なさったら、シグヴァルド殿下の元でお働きになるのでしょう?」
トゥーラに来て最初の頃は、誰彼となくそんなふうに聞かれたりしたが、そういえばいつからかなくなっていた。今考えれば、シグヴァルドに対し叛意ありと見なされていたからだったのだろう。しかしどうしてそんな噂がたっていたのかよくわからなかった。
「いえ、どうでしょうか。祖父からは今の所はなにも言われていませんので」
「そう……ベルトルドさんは公爵家の跡継ぎだものね……でも、そうね、ベルトルドさん自身に希望はないのかしら?」
「僕……ですか?」
「そうよ。してみたいこととか、行ってみたい場所とか……一緒にいたい人――とか」
ベルトルドはぱちくりと瞬く。
姿形も、その立ち居振る舞いも、所作も、ユスティーナはとても貴族らしい女性だ。およそ似ても似つかないのに、彼女にアストリッドの姿が重なった。
貴族なんて所詮、家を継いでいくための道具のようなものだ。自由になることなんて少ないし、保護者の定めたとおりに生きていく。アストリッドはあの通りの性格で、まず自分の意思が第一で、そういう彼女は好ましいとは思っている。ただベルトルド自身はそんなものだろうと思っていて、特に抵抗もない。
成人すれば変わってくるのだろうか。自分の裁量の範囲で動けることも多くなって……いや、そのためにはなんとしても祖父の影響の強い軍隊勤務を回避しなければならない。でも現状ムリそうだなぁとベルトルドは内心で溜息をつく。かといってアストリッドを放置するのも心配だ。
「ところで、アストリッド嬢の体調はいかが? ベルトルドさんがいっらしゃっるから、体の弱いアストリッド嬢は兵役免除を願い出るとおもっていたわ」
ほかに兄弟姉妹がいて、そちらが兵役を終えていたり終えることができるならば、兵役免除を願い出ることができる。男はよほど体が弱いとかでなければ申請が通ることはないが、女はわりと緩い。そいえば目の前にユスティーナもまた、兵役には就いていないと聞いたことがあった。
「……おかげさまで、旧都の生活は妹にあっていたようです」
「それはよかったわ。でも少し意外ね? シグヴァルド殿下もいらっしゃるから、てっきりアストリッド嬢はトゥーラに近づきたくないかと思っていたのよ」
「いえ、あの、そんなことは……」
答えの難しい質問を立て続けに投げられて、ベルトルドは困って曖昧な笑みをこぼす。そんな反応を見て、ユスティーナはやわらかく目を細めた。
「誤解しないで、私はアストリッド嬢に幸せになって欲しいのよ」
「二妃さま?」
うかがうように目の前のユスティーナを見ると、彼女は頬に指先を添えて首を傾げた。
「私も、そして王后陛下も、決して順風満帆な結婚とは言えなかったでしょう? 男の人は政治だなんだといろいろしがらみがあって難しいことがあるのはわかるのだけれど、せっかく結婚するんですもの。女の子には幸せになってほしいと思っているのよ。シグヴァルド殿下のお立場的に、なかなか難しいかもしれないけど……」
「そう……ですね」
「でもね、ベルトルドさんが殿下の傍にいてくださるなら、それも不可能ではないではないかしら」
「え、僕……ですか?」
なぜそこで急に自分の名前が出てくるのかわからず、ベルトルドはユスティーナをきょとんと見つめる。ユスティーナはだって、と口角を吊りあげた。
「将軍閣下の後ろ盾があるとわかればいいわけでしょう? 結婚ほど強固な関係とはいえないけれど、ベルトルドさんが殿下の側近になられるのなら、用は果たしているのではなくて?」
ベルトルドはまじまじと眼前の美しい顔を見つめてしまう。
確かに、シグヴァルドとシーデン公爵家の繋がりが強固だと周囲にアピールすることが目的ならば、祖父の直系の血縁である双子のどちらかがいれば用を成すのかもしれない。ベルトルドがシグヴァルドに対し忠誠を誓うなら、結婚よりは見劣りするかもしれない。だが少なくとも次代の王の後ろ盾の確かさの証明にはなるだろう。
いや、と、ベルトルドは眉根を寄せた。だってそれで済むなら何故、祖父はアストリッドの願いを拒否するのだろうか。イングヴァルだってそれぐらいはきっと考えたはずだ。だいたいシグヴァルド自身がアストリッドを望んでいるのだ。世間のいう寵愛とは少しずれている感じだが、アストリッドだって執着されているのは認めると言っていたのだから。
氷漬けにされそうになった時のことを思い返し、ベルトルドはぶるっと震えた。自分が人身御供になったくらいで許してもらえるような、そんな軽い執着具合には到底思えなかった。
掌の中にいる限りは許容度が高そうだが、一歩でも外へと足を踏みだそうものなら、アストリッドの首が本体と永遠のさようならをしなければならない心配は、決して杞憂とは言えなさそうだ。
ベルトルドの反応を見ていたユスティーナの眼差しが、ふっと翳る。
「……なんて、親切のおためごかしはダメね」
手元のカップに視線を落とし、その縁を白い繊細な指先がたどる。
「シグヴァルド殿下の……あの方の義母として、あれこれして差し上げるのも立場的に難しいことが多くて……情けない義母だとお思いでしょう? 先さまに申し訳ないといつも思っているのよ」
自嘲気味に話す声は感情の起伏を受けて揺れ、震える肩がひどく頼りなげだった。なんと声をかけていいかわからずおろおろとするしかないベルトルドに、ユスティーナは目を上げると儚げに微笑んだ。
「シグヴァルド殿下はとても気性の強い方でしょう? だからね、ベルトルドさんくらいおっとりした方がお傍にいてさしあげれば、きっとあの方も心安らぐのではないかと思ったの」
「そうなの……でしょうか?」
「まあ、ベルトルドさんは私のことが信用できなくて?」
シグヴァルドの方が絶対的に優秀で、彼のそばにいて手助けできることが自分にあるなんて想像もつかない。だが少し拗ねたようにユスティーナに言われ、ベルトルドはあわてて首を振った。
「ふふ、意地悪してしまったわね。そうね、殿下がもしベルトルドさんを必要としていたら、私のためにも手を貸して差しあげると約束してくださる?」
「あの、なにができるかわかりませんが、でも僕でできることなら」
「ありがとう、ベルトルドさんならそう言ってくれると思ったの。私もこれで少し安心できるわ」
そう言ってにっこりしたユスティーナに、なんだか妙に背中がゾクッとした。ユスティーナは先ほどまでとなんら変わりがないのに、ベルトルドはヘビに睨まれたカエルのような気分になってしまったのだ。
どこかで道を間違えたのだろうかとやりとりを反芻していると、侍女がユスティーナに近づいた。侍女の囁きを広げた扇の向こうで聞いたユスティーナが、ふわりと微笑んだ。口元が隠れていてもその微笑み強烈だった。
目の前の女性の印象がガラリと変わった。さっきまでも優しげなものでも、ちょっと寂しげなものでもなく、まるで大輪の花が咲いたかのような笑みだった。今まで百合だった思っていた花が、剣弁高芯の深紅のバラだったほどに違っていた。
目を瞠るベルトルドに、ユスティーナは持っていた扇で背後を示した。
「お迎えがいらしたようよ」
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