21:王子の元で働くことを勧められました1
ユスティーナ(現国王妃)
最後に念のこもった眼差しを向けてきたルードヴィクと別れ、ユスティーナが向かったのは右翼棟の裏手にある、古びた四阿だった。
優美な曲線を描く白い屋根は、苔が生えくすんでいる。白い柱には蔦が巻きつき、端と柱の間のレース編みのような飾り彫りはかけているところもあるが、それがまた華奢で美しい四阿に、なんともいい雰囲気を醸しだしていた。
侍女たちがテキパキと働き、石造りの椅子にはクッションを、日が差す方には金で模様が入った薄絹が垂らされる。テーブルには厚物の赤い布の上に白いレースをかけ、意匠を凝らした茶器や、一口サイズのまるで細工物のように繊細なデザートが並べられた。普段一番多く接している女性が、自身より男らしい妹であるベルトルドは、とてもに女性らしいお茶会に身の置き所がない。
小さくなっているベルトルドの影からは猫が鳴らす喉の音が聞こえてくる。最近はなんだかやけににゃーの機嫌がいい。
「遠慮せずに召しあがってちょうだい。甘いもの、お好きでしょう?」
「ありがとうございます。もしかして祖父からお聞きになったのですか?」
ユスティーナとこうして個人的な時間を過ごすのは初めてだった。彼女はふふと笑って、細く白い指を茶器へと伸ばした。
「うちの子の七つの誕生日の祝宴に来てくれたでしょう。あのときね、見てしまったの。ドレスを着て、泣きながらも絶対にデザートを放さなかった姿を……」
小さかったから覚えてないかしら、と、微笑むユスティーナから目をそらす。覚えてない。全く記憶にはないのだが、我ながらあり得そうなところがツライ。
シグヴァルドとは年の差があるし、うちの子と言っているならそれは第二王子のイェルハルドのことだ。七歳という節目の誕生日は特別で、どこの家も多くの客を招いて|誕生会を行う。普段王宮へ上がれない子供たちも、王子の七歳の誕生日だけは王宮へと招いてもらえるのだ。イェルハルドとは半年しか年の差がないので、シーデーン公爵家の双子も招かれていたはずだ。
あのころのことで覚えていることといえば、自分たちの誕生日前に祖父に連れられて旧都へ訪れたこと。そこでアストリッドが熱を出して倒れ、そのまま長く寝込んだこと。その直後に両親が亡くなったこと。それ故自分たちの七歳の誕生会は執り行われなかったこと。そういえばアストリッドが、うちに来た男の子を木から落としてしまったのもこのころだっただろうか。
そのあと、いくらか時間があいて招かれたお茶会で入れ替わってたのが祖父にばれ、こっぴどく叱られた。そういえば、この前アロルドも『大きなお茶会』と言ってたし、もしかしてそれがロイヤルガーデンパーティだったのだろうかと、ベルトルドは頭を抱えたくなった。
僕、王家主催のお茶会で、それもアストリッドの格好で、お菓子を握りしめて泣いてたってこと?
そんなこと知りたくなかった……そう嘆いたところで、はたっと気づいて青褪めた。もしかしておジイさまがあんなにも怒ったのは、入れ替わりが原因だと思っていたけど、ロイヤルガーデンパーティで僕が醜態をさらしてきたからじゃないよね? いや王家主催のパーティに入れ替わって出かけただけでも十分に問題なのだが。
あれ? いや……でもそうなると、僕はドレス着てたはずだし、普通はドレス着てたらそれは妹の方だと判断するはずだよね?
アロルドのように近しい人間なら、行動から双子のどちらかだと推察できるだろう。でもルードヴィクの反応から見て、ユスティーナと親しくしていたとは思えない。なら何故ドレスを着ていた子どもをベルトルドだと判断したのだろう。
チラリと見上げたユスティーナはにこにことこちらを見ていて、この話題、下手に突っ込むと藪蛇かも知れない。だって王子のパーティに入れ替わって出かけたなんて、難癖をつけようと思えばいくらでもつけられるのだ。なにしろ相手は祖父の政敵の娘である。
「離宮へご滞在になられるのかと思っておりました」
「こんな時でしょう? 少し騒がしいけれど、傍にいた方が安心だからと、シグヴァルド殿下が城に滞在するように勧めてくださったの。息子も今はこちらにいるのよ。訓練が始まる前には離宮に行くみたいだけど。――……シグヴァルド殿下は本当に優しいお方ね。生さぬ仲である私やイェルハルドにまでこんなによくしてくださって」
安心という意味では離宮の方がよいだろうにとは思ったが、ベルトルドはそうでしたかと頷いた。
シグヴァルドや祖父シーデーン公爵の政敵であり、国王の信頼厚きグスタフ・アールステット宰相が、いずれ孫息子に王位をと願っているのは、誰もが知るところであり、現在のベルトルドの苦労の半分くらいは彼のせいだと言っても過言ではない。
だがそんな立場でユスティーナは、先ほどのルードヴィクの話でもそうだったが、度々シグヴァルドに添う発言をしている。敵ではなければ味方かといえば、祖父がそうは考えていないだろうことは、別れ際に投げてきたルードヴィクの念のこもった眼差しでわかる。あれはいらんことを言うなとのことだろうが、なかなか難易度が高いと思う。
ユスティーナは今もにこにこと笑みをたたえて、ベルトルドがデザートを口に運ぶのを見つめている。お菓子に釣られているわけでは決してないが、相手に好意を向けられ、自分だけが警戒心を持ち続けるのはなにげに難しい。
「この間……」
やわらかい眼差しでベルトルドを見つめていたユスティーナが、ふ、と視線を外す。街を囲む膜壁で見えないが、宮殿の裏は崖になっている。谷は深く、そこには湖が広がっているのだ。湖の中心にそびえる巨木の樹幹を見つめ、彼女は口を開いた。
「誰かがとても強く、シグヴァルド殿下をご不興を買ったのだと……」
ゲホゲホガホゲホとベルトルドはむせ返った。
「まあまあ大変」
「申し訳ありません、お茶が喉に……」
「液体を喉に詰めるなんて、ベルトルドさんは器用ねぇ」
侍女たちが手拭きをベルトルドに渡したり、背中をさすったりしているのを穏やかに見つめていたが、ユスティーナはついと顔を逸らすとぼそりと呟いた。
「よかった。【イベント】は起きたのね」
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