16:王子の真実の愛の相手に会いました
朝、いつもの時間に投稿したつもりができていませんでしたorz
沈んだ太陽の名残をとどめる赤と、深みを増していく蒼が、美しく混じり合う。暮れ始めた空に、ひらひらと長い影が風にはためいていた。枝に引っかかってそよぐそれの袂へと歩み寄って、ベルトルドは手を伸ばした。
手元に引き寄せたそれは、若草色のリボンだった。素朴な手触りの生地に、濃淡のムラが出るように染められ、両端にはレースがあしらわれたなかなか手の込んだ物だった。緑色のリボンをつけていた赤毛の少女を思い返す。
「彼女の……だよねぇ」
訓練着のポケットからハンカチを取り出して、リボンを丁寧に包む。ポケットへと戻すと、ベルトルドは再び家路に就いた。
今日は平民の訓練兵と貴族の新訓練兵の間で、小競り合いになりかけていると呼びだされた。内容はどっちがバカにしたのなんのと言いあっていて、誰もが興奮していて話を聞くのも一苦労だった。
貴族は平民たちを自分たちより格下として扱うが、平民もまた魔力が衰え戦えなくなった貴族たちを侮っている。国を守っているのは自分たちで、ただ偉ぶるだけの支配者などいらないという思想は、平民の中に深く浸透しつつある。
今はまだ反乱が起きるというレベルではないが、いずれ大きく火柱を上げてもおかしくない火種だ。先王ゴットフリッドはそんな中で、先頭に立ち、誰よりも勇敢に魔物と戦った。だからこそ彼は人気があった。
人々がその後継者としてみているのが、瘴気対策には興味がない現王ヴィルヘルムではなく、その子シグヴァルドだ。
王后から高い魔力を受け継ぎ、最前線で戦う王子はゴットフリッドを彷彿とさせる。シグヴァルドは第一師団の司令官に任じられる前にも他の師団で魔物討伐に駆り出されていたとはいえ、未だ大きな手柄があるわけではない。それでも彼に人気があるのは、そういった平民たちの期待の現れでもあるのだろう。
まあそんなわけで、平民の方にも貴族に対する鬱憤が溜まっている。少人数同士でぶつかるときは貴族側が一方的に悪態をつくだけで終わるが、人数が増えてくると一触即発の事態に陥ることもあって、今回はさすがに副司令官アロルドに頼ることとなった。第三連隊長ヴェイセルも駆けつけてくれたが、アロルド到着するまでの時間が、本当にひやひやした。とはいえ、今回の騒動を収めたのはフレデリクだった。
彼は颯爽と現れると、やはりベルトルドの肩を抱いて貴族の子弟たちに退くように諭した。あのときのアロルドの面白がってる顔と、ヴェイセルのしかめっ面を思いだし、ベルトルドはため息をつく。
そういえば、あの場所にも彼女はいたなと、赤毛の少女を思い返す。ここのところ至る所で彼女を見かけていた。
いろいろな場所を精力的に見学しているのか、それともベルトルドに用があるのか。彼女とはあの日シグヴァルドのところで顔を合わせたのが初めてだ。それも、シグヴァルドぐらいしか欺されなかったとはいえ、ベルトルドは一応アストリッドの格好をしていた。だからあれを、彼女がベルトルドだと認識していたとは思えない。そうなると彼女とは他に接点がないのだ。
ただアストリッドは彼女のことを知っていたみたいだし、あのややこしい話に関わることなのかもしれない。
「えーうそうそどうしてなくなるのよぉ。なくすのはお母さんのハンカチでしょー……っざけんなよぉ」
寮の門をくぐると声が聞こえて、ベルトルドは薄暗くなってきた辺りを見回す。灌木とベンチが置いてあるだけの庭に少女はいた。その特徴的な髪の色は黄昏の中でははっきりしないが、ここのところよく見かけていたせいで誰だかすぐわかった。その髪に映えた緑色のリボンがないことにもすぐ気がついて、ああやっぱりと心の中でつぶやいた。
彼女は貴族の子女とは思えない少々乱暴な言葉でブツブツ言いながら、地面を見回し、時に低木の茂みをかき分けている。
「【イベント】ってもっと正確に起こるもんじゃないの? こんなテキトーでいいのかよ? ……んと、イラッとするわー」
「あー……レミネン孃?」
声をかけてみるが、探し物に熱中しているのか聞こえていないようだ。小さく咳払いして、ベルトルドはもう少し音量を上げてみた。
「ニーナ・レミネン孃」
「あ、はい、呼びまし……センナーシュタット伯爵」
振り返ったレミネン男爵家のご令嬢は、ベルトルドの顔を見てぎょっと目を剥いた。その驚きようは、こちらの方がびっくりするくらいだった。ニーナはささっと立ちあがってスカートの埃を払うと、なにごともなかったようにすっと背筋を正した。ワンピースの裾をつまんでカーテーシーを披露する。
「センナーシュタット伯爵にご挨拶申し上げます。レミネン男爵家のニーナ・レミネンにございます」
「ええと、僕のこと、知ってくれてたんだね。でも軍内では爵位を持ち込まないことになっているから、名前か、家名で呼んでね」
そう言ってみるが、ニーナは斜め下の方へと視線を向けていて、目が合わない。そのうち視線がうろうろと足下を彷徨いだした。
「あの……あの、もしかしてリボンが落ちてるの……見かけましたか?」
「やっぱり君のだったんだね……なんか、悪かったかな……」
ポケットから白いハンカチに包まれたリボンを取り出して差し出す。
あれだけなりふり構わず探していたのだから、大事なものなのだろう。だがどうも見つかってうれしいという雰囲気はなく、ぽつりと落ちた声は絶望感さえ漂っていた。
「門を出たところのね、植木に引っかかってたから、寮生のものかと思って拾っておいたんだけど……」
ニーナはとても複雑そうな表情で、ハンカチの上のリボンとベルトルドを交互に見た。
小柄な少女だった。守ってあげたくなるような、愛らしい雰囲気の女の子だ。今も困ったような顔で押し黙られると、自分がひどく悪いことをしているような気になって、落ち着かない気分になる。
だからつい不安から黙っていられなくて、日が落ちて足早に暗くなっていく辺りの様子にも背中を押されて、恐る恐る声をかけた。
「君の――だよね?」
だが、みるみるうちに目に涙がたまり始めた少女に、ベルトルドはぎょっとした。や、なんで泣くの? どうして泣くの? 僕なにかしちゃった⁉︎ と頭の中を疑問符が嵐のように駆け巡って、ベルトルドは努めてゆっくりと息を吐いた。
そしてなるべく柔らかい声でニーナに話しかけた。
「え……と、もしかして君のじゃなかったのかな?」
そんなわけないと自分でも突っ込みたくなるようなことしか言えなくて、我ながら絶望感しかない。ベルトルは遠い目で、子供のころ持ってた猫のぬいぐるみに想いをはせた。
助けが必要な時は猫型人形の名前を呼べばいいんだと、アストリッドが言ったのだ。だから屋敷に出入りする祖父の部下におねだりした。だが猫のぬいぐるみを見たアストリッドに、これじゃないとダメな子を見る目で肩を叩かれ、たいそう理不尽な思いをしたことがあった。
一時アストリッドと二人で猫型人形の名前を連呼していたはずだが、アレってなんて名前だったっけ? と、我ながらひどい現実逃避だなと思いながらも、ベルトルドは心の中で首をひねる。
「もし……」
ぽつりとニーナが落としたつぶやきに、逃避から引き戻されてベルトルドはぱちぱちと瞬いた。
「もしどうしてもしなければならないことがあって……そのことはぜんぜんするつもりなんですけど、でもそれをするために色々壊すことになったり、大事なものをなくしちゃうとしたら、あなたならどうしますか?」
「……どうしても、君がしなければならないの?」
こくんと頷く。うつむいた頬を、こぼれた涙が一粒、また一粒と滑っていく。
アストリッドがなにかをやらかして巻き込まれる自分というのは容易く想像できる。だが自分が何某かの騒動の中心という状況を想像するのがそもそも難しかった。でも、たぶん正直、自分なら逃げてしまう方を選択するだろう。ただそれをこの追い詰められた顔した少女に告げるのは、あまりよろしくない気がした。
「僕には、君がそこまで追い詰められてまでもなさなければならないことなんて、思いつきもしなくて、だからありきたりなことしか言えないんだけど……信頼できる人はいる?」
ふっとニーナは顔を上げた。初めてまっすぐ目が合った。
「その人に相談してあげて? 君がそこまで追い詰められるような選択を、知らないのってとてもつらいことだと思うから」
アスタヒドい、ベルくんカワイソウ……
と思ったら☆やブクマなど応援していただけたらうれしいです




