15:王子にまた恥をさらしてしまいました
アロルド・セーデルルンド(第一師団副司令官)
アイナ・クロンバリー(双子の従姉/シグの乳姉弟/シグの侍女頭)
生け垣を回り込むように現れた副司令官アロルドに、シモンとベルトルドはすぐさま礼をとる。彼らに鷹揚に片手を上げて見せて、アロルドはベルトルドの頬を両手で挟んで、まじまじと顔をのぞき込んだ。
「体の調子は良くなったのかい?」
頷いてベルトルドはお見舞いの礼を述べる。思わしげだったアロルドの表情が和らいで、それからふふっと笑み崩れた。
「ベルがうちに来てくれるなんて、考えるだけで嬉しいねぇ」
一言も肯定していないのに、本人の意思などまったく関係なく決まっていく将来に、ベルトルドの脳内で妹がからりと笑う。彼女の予言した未来が着実に近づいてきているようで、ため息しかでてこない。
「っすよねぇ。副司令官からイング将軍に頼んでくださいよ」
まだ辺りをキョロキョロと見回しつつ口を挟んだエンゲルズレクトに、そうだねぇとアロルドは頷いた。早速交渉してみようかなと言ってる上司に、エンゲルズレクトは頷いている。その手から、腹いせにベルトルドは巾着を取り返した。
「あー! まだ食ってんのに」
「そもそも僕のですよ。あげると言ってません」
「オレ、クッキーとか腹にたまるのがいいって、いつも言ってんのに」
「いつもって……どれだけ子どもからお菓子をとりあげてるんですか?」
「困った上官だねえ。ああそうだ、新しいケーキ屋さんができたんだよ。ベルくん、今度おじさまとケーキデートはどうかな?」
「おじさまとデート……」
ぼそりと呟いたシモンが、すすっと皆から距離をとる。不思議に思う間もなく、エンゲルズレクトがまじまじとベルトルドの巾着を見つめた。
「しっかし、えらくかわいい袋に入ってんなー」
「いただきものなんです」
「貰いもの……女か? 女だな。誰に貰ったんだよ? あぁ? ベル坊もすみにおけねぇなぁ」
「ウル連隊長にいただいたんです」
視線が一斉に巾着袋へと集中する。その鋭い目つきに、ベルトルドはびっくりして巾着抱えこんで後退った。
「え……アイツ、男っ気ないと思ってたらもしかして少年趣味だったのか?」
「ベルくん、うちにおやつをねだりに来ないと思ってたら、ラウリ連隊長のところに行ってたのかい? 彼女には一度釘をさしておかなければならないねぇ」
「……お二方とも、少々暴走しすぎではないかと。ベルトルドくんが怯えていますよ」
目を白黒させていると、察したシモンが助け舟を出してくれる。
「ああ、つい本音がダダ漏れてしまったようだ」
言い訳にもならない言葉を呟いたアロルドは、急にパッと踵を返したエンゲルズレクトを横目で確認し、ところで、とシモンを見た。
「ネルダール官吏は聖女さまの件かな」
「はい、司令官補殿が今日は一日こちらにいらっしゃるとお伺いしたので、面会の取次をお願いしようと」
「ああ、その件は私も気になる。ちょうどいい、閣下に聞いてみよう」
目で示すアロルドに釣られて彼の背後を見る。少し離れた場所で、シグヴァルドがエンゲルズレクトに懐かれて鬱陶しそうにしていた。
シグヴァルドと一言二言言葉を交わすと、エンゲルズレクトの首根っこを掴んでアロルドが戻ってくる。交代に呼ばれ、ベルトルドはシモンに挨拶してシグヴァルドの元へと向かった。
彼の前で敬礼すると、向けれらたのはやはり、この間と同じ目つきだった。なにかを見極めようとするかのような、少々粘度の高い視線に居心地悪い思いをしていると、シグヴァルドが視線を逸らせた。
「最近の訓練兵に関するトラブルの報告が聞きたい」
「わかりました。すぐに報告書を作成します」
「いや、直に聞きたい。そうだな、顔合わせが終われば時間がとれる」
ちらりと頭の片隅をバルコニーでのルードヴィクの言葉がかすめた。ためらってしまった雰囲気を敏感に察したのか、シグヴァルドがベルトルドと目を合わせる。
「おまえと会ったと話をしたら……」
「はい」
「アイナが会いたがってな」
「アイナ姉さま……もうずいぶんお会いしていません」
じわりと懐かしさが胸に広がる。アイナはルードヴィクの妹で、双子の従姉である。ルードヴィクとはゆっくり話すような時間が取れなくても、挨拶ぐらいは交わしていた。けれどアイナは同じ旧都にいても、王子の侍女なのでなかなか表に出てこない。その上、祖父の言いつけを守りベルトルドがシグヴァルドを避けていたので、顔を見る機会さえなかった。
「報告がてらアイナに会ってやってくれ」
王子はこう言われてはさすがにルードヴィクも断れとは言わないだろう。ベルトルドが頷くと、そっと手が伸びてきて、少しカサついた親指の腹で目の下を辿られた。
「具合はもういいのか?」
朝顔を洗った時に見た目の下のくっきりしたクマを思い出して、あーときまり悪くベルトルドは目を泳がせる。
「あの、お見舞いの品、ありがとうございました」
「うまかったか?」
食べたゼリーの味を思いだして、ふふっとベルトルドの頬が緩んだ。
「はい。いろんな味があってなにから食べようか迷って、一度にいろいろ食べちゃってアーシャにお腹壊すよって呆れられたんですけど、おいしくてやめられなくて……」
勢いよく話していたベルトルドは、くつくつと喉を震わせて笑っているシグヴァルドに気がついて、恥ずかしくなってうつむいた。シグヴァルドにアストリッドではないとバレたのも、自分の甘い物好きのせいだ。ルードヴィクには昔から、お前は絶対に菓子で身を滅ぼすに違いないと言われている。大袈裟に言ってるだけだと思っていたが、従兄の忠告に真剣に耳を貸すべきかもしれない。
「アストリッドと仲がいいんだな」
「ずっと二人っきりだったので」
「イングは忙しいだろうが、親とトゥーラで暮らさなかったのか?」
双子の母は一時期第一師団の司令官を務めていた。父はその補佐で共にトゥーラに赴任していたのだ。
「両親が赴任していた頃、トゥーラは復興の途中で、なので別々に暮らすことにしたと聞いています。祖父はたまに部下を連れて戻ってきましたけど、それも一〇歳頃からはなくなって、顔を出してくれるのはルド兄さまくらいで」
「一〇歳? 六年前か? 俺の兵役が終わった頃だな、あの頃イングが忙しいようななにかがあったか?」
首をひねったシグヴァルドに、ベルトルドはしまったと目を逸らす。
「あ、えと、その、お祖父さま、アーシャと大ゲンカして、それから寄りつかなくなっちゃって」
「ケンカ? 子どもと本気で? どうしてまた……」
正直に応えにくくて、ベルトルドは目を彷徨わせた。
「なんだ?」
「その、殿下との婚約話が持ち上がって、その……」
「婚約……一〇歳?」
「あ、えと、九歳の終わり頃でしたか?」
いぶかしげに顔をしかめたシグヴァルドに、ベルトルドは首を竦めた。正確さが足りなかったかと言い直したベルトルドの顔を、シグヴァルドはじっと見つめた。
「おまえ、幾つになった?」
「あの、すみません。僕、子どもっぽかったですか? もう少ししっかりできるように頑張ります」
最近ルードヴィクにも同じことを言われたと思いだし、ベルトルドは眉を垂らした。その頭をくしゃりと髪をかき混ぜるように撫でられる。
「ああ悪い。そういう意味じゃない。時期が合わないと思っただけだ――これ、アイナに渡してくれと頼まれたものだ」
差し出された袋を受け取ると、バターのいいにおいがした。
「じゃあ、また後日にな」
やわらかい声でそう言い残して、シグヴァルドはアロルドたちと共に去っていく。その背中を見送って、ベルトルドはその場にしゃがみ込んだ。
また恥をかいてしまったと、頭を抱え込む。もうちょっと落ち着きが必要なのかもしれない。
「僕ももう少しで大人だしなー」
ひとりごちて、さて自主訓練に行くかと立ち上がったベルトルドは、見知った顔を見つけて目をとめた。離れたところからこちらを見ている少女は、若草色の大きめのリボンをつけていた。光の加減でピンクにも見える赤毛にはとてもよくにあっていて印象的だ。
ここのところよく見かけるようになった彼女は、自身を見ているベルトルドに気がつくと、さっと身を翻して去っていった。
子どもからお菓子を奪うエンジーと、援交オヤジのような副司令官閣下に、ドン引きしてしまったシモン
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