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夜は幻を迎える

 夜は診療の時間だ。静かで穏やかな、わたしに優しい時間。薄暗く、周囲はうかがえない。なんとも嬉しいことに、今夜は新月だった。

 部屋の隅から聞こえるひそひそ声を無視して、わたしは準備を進める。入院服を整え髪をとかす。紅茶を淹れてクッキーを置く。いい匂いが部屋に満ち、ささやかなお茶会の準備ができたころ、待望のお客様がやってきた。

「こんばんは、帝さん」

「こんばんは、シズクちゃん」

 帝さんは、頭部が無い白衣を着た男性だ。夜のような雰囲気の、静かで穏やかな人。頭部が無いのは今日が新月だから。いつもは月が光っている。

「今日も、美味しそうなお茶とクッキーだね」

「ありがとうございます。ちゃんと帝さんのリクエストにお答えして、おからクッキーですよ」

 先日、このままだと太りそうだと帝さんが漏らしたのだ。わたしとしては、せっかくゆっくりとお喋り出来る一時だから、可能な限り彼の希望に沿いたい。帝さんは細いから気にしなくていいと思うけれど。

「外はいい夜だったよ。雲ひとつない満天の星空で、とても美しいんだ」

「そうですか」

 わたしはカーテンで閉め切られた窓を見る。外の世界は恐ろしい。部屋の中すらマトモでないのに。

 しかし、じっと見つめられている気がする。外、綺麗だよ? と帝さんの期待に満ちた目が向けられている気がする。

 ……そしてそれを、わたしは跳ね除けられないのが常だった。

(きょうはいいてんきだって)(ほんとかな)(おそとはどんなかんじだろう)

 ひそひそと煩い隅の奴らは、ひと睨みすれば怯えたように黙った。手のひらサイズの魚たち。

 ――今みえているものも、これからみえるものも。幻だ、全て。

 ため息とともに窓へ向かいカーテンに手を掛けると、背後から嬉しそうな気配がした。帝さんは、顔が無いくせに考えていることがひどく分かりやすい。

 さて、勢いよく開かれたカーテンの先は、ぐちょぐちょでふわふわできらきらだった。

 とろけたチョコレートの木々が、真っ白い雲の地面にまでしたたり、落ちてくる電球にデコレートされている。

 イカれた光景だ。吐き出しそうになるため息を噛み殺していると、魚たちが部屋から出ようと窓の近くへ泳いできた。

(あまそう)(おいしそう)(たのしそう)

 これらがぶつかる音が耳障りで、わたしは魚たちが通れそうなほどだけ窓を開ける。

(わーい)(いいにおい)(おなかすいた)

 外からの風がふわりと流れ込む。部屋の空気が混ぜられて紅茶とクッキーの匂いが鼻に届くが、それ以外の匂いはない……匂いがないのは、幻覚だ。わたしの目に映るもののほとんどが幻。偽物。見分ける方法は香りだけ。

 這い寄るような寒さが手足から温度を奪う。吐いた息が白く煙となって立ち昇った。これも、きっと幻。

 叩きつけるようにして窓とカーテンを閉める。元の通り隙間のないように、きっちりと。本当に、だから外は嫌いで、きもちわる――

「ね、いい夜だったでしょう?」

 帝さんが、柔らかに言った。

「……はい、とても。月がないと星がよくみえますね」

 ぜんぶウソだ。空は見ていない。わたしを睨めつける天上の瞳の恐ろしさはきっと誰にも分かりはしない。この目を持ってからみえるものが美しいと思ったことはない。どちらにしろ、絵の具で塗り潰したみたいなオレンジ一色の空では月も星もみえなかっただろう。

 けれど、みえない顔で笑うから。今日もわたしは帝さんを否定出来なかった。



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