南から来た王子
猫はかわいいです
用件とは、あれである。南の国の風習に従って、結婚相手を探しに来た。
しかしこの状況で、この面子で話を進めるのは気が引けた。どうしたものか。
「用件、といいますか……」
フィンアが言い淀むと、ケリィが席を立った。
「お茶をいれ直しますから、少しお待ちください」
「ケリィは気が利くなぁ。もう冷めてしまったものね!」
四人分の茶器を下げ、台所で茶葉を入れ直している。さっきは爽やかな香りが強かったが、今度は香ばしくも甘い匂いが漂ってくる。
すぐ盆にポットと二人分のカップを乗せて戻ってきた。小さな砂時計がさらさらと時を積んでいく。
「カップが足りてないよ、ケリィ」
魔女が首を傾げると、弟子は新しい弟子の側へと立った。
「お話しされるならごゆっくりどうぞ。私はグリフィスの部屋を用意して来ます。グリフィス、ついてきて」
どうやら席を外してくれるようだ。
フィンアはほっとしたような、同時に少し寂しいような気持ちになる。
「はあ? 俺も師匠と一緒に話聞いてるよ」
「グリフィスは聞かなくていいから」
「あんたに言われたくねーし」
ケリィの目が笑っていない。口角は辛うじて上がっているが、逆にそれが強い怒りを表している。
「この子はケリィだよ-。グリフィスより年上だからさ、ケリィお姉ちゃんて呼んでね」
仲裁のつもりか、呼び方を提案してやる魔女は流石この場の最年長者だ。
「この家、部屋がたくさんあるんだよ。あ、好きなところ選んでいいからねー。書庫も倉庫も見てきたらいいしさ!」
探検しておいでー、とへらりと笑って見せた。
「行ってくる!」
「ちょ、待ちなさい! 一人で行かないで!」
師と仰ぐ者に勧められたせいか、『探検』に子供心を擽られたからか。グリフィスは灰色の髪を揺らしながら、機嫌良さそうに廊下へ出て行った。後を追うケリィの後ろ姿もすぐに見えなくなった。しかし廊下の奥で「そこはだめ」「いいじゃん」「危ないから」とやり取りが続いている。
なんだか楽しそうだ。見に行きたいが我慢するしかない。自分が猫ならば、完全に耳だけ廊下を向いていただろう。
そんなことを考えていたためだろうか。さっきまでケリィが座っていた隣の椅子に、アリスが飛び乗ってきた。自分の席だと主張するように、フィンアの方を向きながら、しっかりと四足を仕舞い込んでしまった。
頭を優しく撫でてやる。猫は気持ちよさそうに目を細め、頭を下げてきた。
「あはは。ケリィは厳しいからなぁ。でもうちがこんなに賑やかなの久しぶり! やっぱり人が多いのはいいね」
「普段、お客人は少ないのですか」
「行商人がたまに来る程度かなぁ。だからお客様は大歓迎ってこと! ゆっくりしていってくださいなーっと」
言いながらお茶を入れてくれた。
軽妙な口調とは裏腹に優雅な手付きで、茶器の扱いも美しい。嫋やかな女性らしい落ち着いた様子が見て取れた。どちらが本当の彼女なのか。いや、どちらも彼女自身なのかも知れないが。
「ありがとうございます。先ほどとは違うもののようですね」
魔女は茶をいれ終わると、先程までグリフィスが座っていた椅子――つまりフィンアの正面に座り直した。
「さっきのは精神安定の効果がある薬草が入ってたかな。今度は喉にいい木の実を煎じて入れてるね。長話になっても良いように、ケリィが考えてくれたんだと思うよ」
「そうですか」
一口飲むとまろやかな甘みが喉を落ちていく。自国の果実に近いものがある。好きな味だった。
「お気に召したかなー?」
「ええ。美味しいですね」
「それは良かった! 私が居ない間、食事の不自由はなかったかな。ケリィにはお客が来たらもてなすように言ってはいるんだけど」
「充分にしてもらいました。鹿肉の干物は食べたことがなかったので、良い経験になりましたし。他にも知らない果物や穀物もわけてもらって」
「魚は? 南の国なら魚をよく食べるでしょ。うちでも川魚くらいならとれるんだけど、あの子は出してなかった?」
「い、いえ。特には」
フィンアが答えると、ユークレッドは大袈裟に驚いて見せた。
「あらやだケリィったら。王子殿下に食の好みも聞いてないなんて」
そういえばそんな話はしてない。あまりそういった暇もなかったが。
「珍しいものを口に出来るのは旅の醍醐味だと、出発前に知人から教わりました。不便もしていないのでどうぞお構いなく」
「そう? でも今夜は魚料理にしましょーね。今が旬の魚、ケリィにとってきて貰うから。それだって殿下の国とは違った味わいがあるはずだよっ」
「お気遣い感謝します、ユークレッド殿」
「丁寧な王子様ねー。どっちの身分が上だか分からなくなるわ」
その件なら国を出る前に確認済みだ。
「魔法を使う方々は身分など関係ないと聞きました。基本的に国や集団には属さないと」
確かケリィもそう言っていた。間違いはないはずだ。
「あっはは。そういやそんな話にもなってたね! うん。確かにそう。私自身あんまり考えて話してはないけど、でも王子様がへりくだる必要もないから」
軽やかなしゃべり方はケリィの師匠とは思えない程である。
「しかし、ユークレッド殿は魔法の影響が薄い南でも高名な魔女ですし」
「よく言われるわー。でもそんなに畏まった話し方じゃなくても大丈夫! 私そういうの全然気にしないし!」
「はあ……」
隣で猫のアリスが大きくあくびをした。そしてジト目でこちらを見上げてきた。肩の力を抜けと言われているような気になる。
「ま、殿下の話しやすい感じで良いからねっ。気楽にお話ししましょ」
話し方の件はさておき、用件をどう伝えたものか。
考えていた流れと違う状況。そしてそれ以上に、目の前の魔女があまりに想像からかけ離れていたことで、フィンアはいくらか動揺していた。
冷静に、用件をまとめなければ。
「今回こちらへお邪魔した理由をお話しします」
「うんうん」
黄緑色の瞳が興味津々といった様子で輝いていた。姿勢は前のめりになっている。
言いづらい。
「……えぇ、その」
「その理由は?」
「トポスリアの王族は成人になると、将来を占います」
「ああそれね! 聞いたことあるわぁ!」
「その占いで、なんと申しますか……」
だんだん伝える勇気がなくなってきた。
適当に流してしまってもいいだろうか。しかしケリィにはもう知られている。
「なぁに?」
「いえまあ、ただの占いです。今回は」
もう聞かなかったことに。フィンアはそう続けようとした。
「今回は? 空間の魔女が運命の相手だとでも言われたのかな?」
「…………どうして」
まるで聞いてきたかのようにはっきり言われた。
病気を治して欲しい。魔法の守り札を譲って欲しい。魔物の森が見たい。高名な魔女と親交を持ちたい。
この魔女への用件など、他にいくらでも考えられそうなものだ。なんなら普段受けている用事とは一番遠いのではないだろうか。それを何故当てられる。
「どうしてもこうしてもないかなー」
黄緑の瞳が怪しく光る。
フィンアは不思議と目が離せない。畏怖はない。恐怖もない。魅了されたという感じでもない。それでも身体が自由にならないような気がした。
「だって私は魔女だから。それも世界一の魔力を有するユークレッド、その人であるわけよ」
ふふっ。
年齢不詳の美女は確かに、魔女を名乗るに相応しい笑みを浮かべていた。