魔女の守り札
二章が終わり
「森の魔力に惑わされる感覚とはどんな感じなんだ?」
二人きりの夕食を終える頃、なんとはなしに聞いてみた。
結局あの森でフィンアが森の魔力に侵されることはなかったように思う。そのため、苦しそうにしていたケリィや、実際に自我を失っていたポーシャの気持ちなどがわからない。
ケリィは少し離れたところでお茶を飲んでいる。飲みながら、うーんと首を傾げた。
「怒りと悲しみと空しさと妬ましさと自棄っぱちな感情を煮詰めて固めたもので胸が一杯になる感じです」
一息でそう告げられる。しかしまだ言い足らなさそうだ。『あとは孤独感? 疑心とか?』とぶつぶつ言って、あのときの感情を反芻しているようだ。
「とにかく大変だということはわかった」
「元々のその人の感情的な資質にも左右されるみたいですね」
「短気な者は怒りの感情が強くなる、というようなところか」
「師匠にはそう言われました」
フィンア自身に感情がない、ということもない。
やはりあれのお陰だろう。
「フィンア王子は大丈夫そうでしたね。魔法の適性が欠片もない方だって、それなりに影響がある筈なんですが。お貸しした布の効果もたかが知れてますし」
ケリィも不思議に思っていたらしい。
お茶の入ったカップを抱えながらこちらを覗き込んできた。碧の瞳が炎に照らされ、輝いている。興味津々といった風だった。
「もしかしたら、これの効果じゃないか」
首からかけていた物を引っ張り出す。服の下から現れたそれは木製の薄い板だ。旅の前に自分を占った者からから押しつけられた首飾りだった。特別親しい間柄でもなかったが、餞別の品として受け取ったのだ。
「……見せていただけますか」
「ああ」
手渡しが難しいため、紐をまとめてから柔らかい軌道で投げてやる。
「これは……どう見ても……」
爽やかな風が吹き抜けていく。庭に咲く白い花が揺れている。そいういえばこれらは昼夜問わず咲いているらしく、枯れているところも見たことがない。ユークレッドの魔法の力らしい。
「旅に出る前にもらったんだ。なにか分かるか」
自分は確かなことなど分からない。しかし予想はついている。
「師匠が彫ったものです。素材が古くなっていますし、柄は見たことがありません。でも効果は普通の守り札と同じだと思います。これを持っていたからご無事だったんですね」
やはりそうか。
「薬草漬けの覆い布、なくても良かったかも知れないですね」
「ん? まあ、あれもあって、森の影響を受けなかったのだろう」
「そうだったら良いんですけど」
そして良い経験にはなった。伝説の森の正体も勉強になったし。
「でもどうして、占い師の方がこんな守り札を――いや、あの人知り合いは多いし、それでかな?」
「あの人、とはユークレッド殿のことか」
「ええ」
ケリィの目元が緩む。端正な顔が、少女らしく穏やかに遠く、夜空を見上げる。その横顔は少し寂しげにも思えた。
「昔から外が好きな人なんです。何かにつけてすぐ居なくなります」
その度にケリィが一人で留守を守っているのだろうか。
一人で留守番する姿を想像すると、それは確かに寂しい思い出もあるだろう。
「フィンア王子がいらして、今日で四日ですよね。明日、五日目」
「そうだな。長居してしまって申し訳ない」
「いえいえ。本人が留守にしているのが悪いので」
まあ、それは確かにそうだ。
「いつも十日もあれば戻って来ます。今回も王子様がお越しになる数日前に出て行ったので、そろそろ帰ると思います」
いつもは本当に一人で居ることが多いようだ。猫のアリスとロバのテリーヌも一緒ではあろうが。
「でも師匠がいない間に、こんなにお客様がいらしたことは初めてです。こんなに色々と賑やかだったのも……」
確かに賑やかな客人は多かったようだ。
初めて会う北国の王子や歌姫。久々に再会した家族たち。そして長居している自分。
いつもとは違う日常に、疲れもあるだろう。ケリィは少し眠そうにゆっくり瞬きをした。その姿を見ていると、不思議と心が落ち着くような気がする。
「さて、私はそろそろ戻ります」
そう言って、彼女は草を払いながら立ち上がった。
「ああ」
「今夜もお招きできず申し訳ありません。師匠が戻ったら家には入れるはずなので、もう少しお待ちください」
「もう慣れたから気にしないでくれ」
とはいえ、今夜もいくらか冷えそうだ。ケリィが貸してくれた掛け布が温かくて助かる。
「今日は、本当に色々とお世話になりました。特にポーシャの件はなんとお礼を言って良いか」
「いや、結局剣も役に立たなかったしな。しかし彼女には身分関係なく王子様と思ってもらえて、光栄だったよ」
笑いながら茶化してみる。いや、実際褒めそやされるのは嬉しいものだ。
そして商人の面々には、最終的にバレていそうだったが、ケリィはこちらの素性を下手に明かさなかった。そういうところも信用して大丈夫そうだと、安心した。
「そうですか。でも実際、王子様じゃなかったとしても格好良いと思いますよ。私も」
真面目な表情で、真っ直ぐにこちらを見つめてくる。どうやら冗談でも何でもないらしい。年の近い彼女に、そう素直に褒められると返事に困ってしまう。
「それは――そうか、ありがとう」
ケリィはお休みなさい、と眠そうな声で囁き、帰っていった。
彼女が家に入るまで、フィンアはその後ろ姿をぼんやりと眺め続けた。
今日は疲れている。しかし考えることが多く、今宵は眠るのが難しい気がした。




