林の奥へ
「さてと……それじゃ、そろそろ行くかな」
荷物を積み直していたリオニーが、ふうっと肩を回している。
手伝っていたフィンアは「お疲れ様です」と声をかけた。手伝いを申し出たせいか、愛娘から離れたためか、多少は気さくに接してもらえるようになった。
その少女は、今度こそ約束通りケリィと一緒にいる。畑で育てている薬草の手入れなどしているようだ。アントニオも共にいるはずで、孫娘二人を微笑ましく見守っていることだろう。
「泊まって行かれないんですね」
「時は金なりっていうだろ」
なんとも商人らしい。
「姪っ子の無事も確認できたしな。弟の奴もしばらくは安心するだろうよ」
ケリィの修行期間は分からないが、普段離れているのはやはり心配なのだろう。若い娘を一人、魔女の弟子として送り出すというのは気苦労もありそうだ。
「ま、偉大なる魔女ユークレッド様のお膝元だ。下手に外へ出るより安全ともいえるけどなぁ」
リオニーは魔女をそれほど気に入ってはいないようだが、信頼はしているらしい。流石は南でも名の通った魔女である。
アントニオとケリィ、二人が揃って荒野側へ駆けて来た。焦った様子で何事か言っているが、こちらが風上のせいか、最初はよく聞こえなかった。
「ポーシャネットがいない?」
グランが声を上げた。彼は馬車の旅に備えてか、庭で身体を解すように動いているところだった。
愛娘の名前を聞いて、慌ててリオニーが庭へ踏み込んだ。フィンアもその後ろ姿に続いた。
「ポーシャがなんだって? どういうことだ?」
「井戸水で薬草を洗うのを手伝ってくれてたんですけど……気がついたら、姿が見えなくて」
ケリィは両手で口元を押さえている。多少離れていても、その指先がハッキリと震えているのが見て取れた。顔も血色をなくし、白く青ざめていた。
「林の奥へ入ったのかも……」
碧の瞳が不安げに揺れている。
「あの林ならそんなに広くないだろう?」
グランが落ち着かせるように、彼女の肩を抱いた。すぐに探せば大丈夫だと言っているようだ。
「違うんです。奥へ行くと、この世界のあちこちの森に繋がっているんです。たぶんそこまで入り込んでしまっています」
見付けるのは難しいと、弱々しい声音で呟いた。
「探す手立ては?」
苛立ちを隠しもせず、リオニーが言いつのる。
「おいケリィ、何か方法はないのか!」
「落ち着けリオニー。……俺も一緒だったのに、目を離してしまった」
悪かった、とアントニオが息子に頭を下げている。
その間もケリィは眉間にしわを寄せて考え込んでいる。そしてはっと顔を上げた。
「もしかしたら――使えるかも」
言いながら家の方へ駆け戻る。
「ケリィ? 何か方法があるのか!」
「ポーシャの髪や爪なんかがあったら用意しておいて下さい! すぐ戻ります!」
リオニーが荷馬車へ向かう。心当たりがあるのだろう。
幼い少女だ。危険な目に遭う前に見つけなければならない。それにきっと、心細くしているだろう。
伯父と姪が戻ってきたのはほぼ同時だった。
ケリィが持ってきたのは細長い鉱石だった。白く輝いているそれは麻の紐に吊られている。石の先端がケリィの後方を指すように浮いている。どういう仕掛けだろうか。
「なんだこりゃ」
「方位石――魔法の込められた磁石のようなものです。いつもはあの家を指し示すようになっていますが……」
なるほど。それであちらを向いているのか。
ケリィは側の父親の頭へ手を伸ばした。
「お父さん、一本もらうね」
「痛っ」
父親から髪を一本むしり取る。容赦がない。
それを石に近付け、彼女は真剣な表情で瞳をきらめかせた。
ふわっと辺りの空気が一変する。フィンアは魔法が使われる瞬間というのを初めて見た。
白い石がすっと向きを変えた。
「おお! グランの方を向いたぞ!」
「これなら行けそうです。ポーシャの髪か何か、ありました?」
「あいつが毎日使ってる櫛にいくらか残ってた」
リオニーが櫛を差し出した。細く茶色い髪が数本絡まっている。
ケリィは急いでそのうちの一本を抜き取った。
再び石に寄せて魔法を使うと、それは弱々しくも林の方へと浮いてみせた。
「反応が弱い。やっぱりどこかの森に……」
ケリィが表情を更に曇らせた。
「私がすぐに探してきます! ポーシャも一人で戻ってくる可能性があるので、皆さんはここで待っていて下さい!」
荷馬車に満載の荷物もある。それを守る意味でも、何人かは残らなくてはいけない。ならば――。
「ケリィ、良かったら自分を同行させてくれ」
走り出そうと背を向けたケリィに、フィンアは迷わず申し出た。
「え、でも」
振り向いた彼女は迷うように目を泳がせた。
「他の森に繋がっているなら、獣が出た時などは役に立てると思う。彼女が怪我をしていたら運ぶことも出来るし」
言い募ると、彼女はすぐに頷いた。
「わかりました。取り敢えず急ぎます。フィンア、さんも離れないように付いてきて下さい」
赤い髪を揺らしながら、彼女なりに全力で走っていく。フィンアは庭の魔法に阻まれない程度に、それを追いかけた。
後ろから商人一家の声が背中を押すように響き渡った。
「頼んだぞ―!」
「お前らも気を付けてなぁーっ」
すぐに家や井戸の脇を抜ける。
「なぁん」
裏口にいた黒猫が、二人に着いてこようと駆け寄ってきた。
「アリスは待ってて!」
その言葉に「なぁ……」と寂しげな鳴き声を上げる。フィンアは彼女に軽く手を振ってケリィを追った。
ケリィの華奢な背中は、薄暗い空間へ吸い込まれるようだった。
恐らく自分の姿もそんな風に見えるのだろう。頭の片隅で、そんなことを考えた。