求婚
つい冗長になってしまって。
忘れていた。いやいや、覚えてはいた。しかしこの数日の賑やかさにうっかりしていたのも事実。
今日は決まった来客のある日だった。
「行商人?」
「えぇ。師匠と契約している商人が何組かいまして、そのうちの一組が本日来る予定です」
ケリィは家の奥から庭へ、商品の在庫を運び出していく。
「予定がずれることはないのか」
庭で待機していた王子様は、ケリィが離れるのを見計らい、ロバのテリーヌに荷物を積んでいってくれる。
「師匠が旅の守り札を差し上げているはずです。それがあると予期せぬことが起こらず、だいたい予定通りにいらっしゃるんです」
「守り札とは、なにかお守りのようなものだろうか」
「そうですね。師匠のお手製で、うちで最も高価な商品の一つです」
ケリィは一応断ったのだが、「体が鈍っているから」と手伝いを申し出てくれたのだ。正直有り難い。
「いつも昼前にはみえるので、そろそろかと……あ! 来た!」
東の方角に荷馬車が見えた。ケリィの声にフィンア王子も振り向く。
ケリィは大きく両手を振った。到着までにはまだ掛かるが、少しでも見えていたら嬉しい。
彼らはユークレッドの領域にも入れるが、荷馬車は庭の草花にあまり良くない。いつも遠慮してもらっている。彼らが馬を落ち着かせているのを見ながら、庭の境界まで駆けていく。そして一呼吸置き、荒野へ一歩を踏み出す。
「お久しぶりです!」
彼らの到着早々、ケリィから声をかける。すると荷馬車の手綱を握っていた壮年の男――リオニーが笑顔で手を振ってくれた。
「やあケリィ。元気そうだね」
「ケリィちゃん、少し背が伸びたかい?」
彼の後ろから、老年の男とは思えない程ハリのある声が響いた。アントニオだ。相変わらず元気な様子で安心した。
「もうずいぶん前から伸びてませんよ! 今回はお店の方はいいんですか」
「ベルに任せてきたさ。モニートもいいるから大丈夫だろうよ」
ベルは彼の妻。モニートはリオニーの息子で彼らの孫に当たる。子供の頃から店には出ているから、モニートなら特に心配もないだろう。
皆、幼い頃から見知った面々である。つい軽口を叩いてしまうのも仕方ない。
荒野側で荷馬車が停止すると、後方からまた一人壮年の男が顔を出した。
「ケリィ、久しぶりだな。変わりはないか」
たまに顔を合わせると少し緊張するが、それでも再会は嬉しかった。声を掛けてきたグランは帽子を外し、濃い茶色の髪を手ぐしで直している。彼も緊張したりするのだろうか。
「全然。いつも通り」
良くも悪くも変わらない。
「なにか困ったことはないか。ユークレッドは留守なんだろう?」
グランはリオニーと二つ違いの兄弟だが、彼の方が以前よりしわが増えたように思う。
「必要なことがあれば今のうちに手伝おう」
申し出は毎度のことだ。過保護が過ぎる。
「今お客様が来ていて、色々と手を貸してくださってるから大丈夫。今日もほら、テリーヌに荷を積んでもらったし」
紹介がてら王子様へ振り向く。フィンア王子はテリーヌに寄り添いながらのんびりと歩いてきた。荷物の重い彼女を気遣ってくれているようだ。
「こんにちは」
「どうもこんにちは、お客さん。といっても我々も客のようなものだがね」
老年のアントニオが代表して挨拶する。今でも家長の座は譲っていないのだったか。
「自分はフィンアと申します。魔女殿に用件がありましたが、留守にされているようなので待たせていただいているところです」
今回は身分を伏せるらしい。
まあ、商人に身分を明かしたら色々売りつけられそうだし、確かにその方が良いだろう。
「商人の皆さんは私の方から紹介させていただきますね。今ご挨拶したのがアントニオさん。手綱を握っていたのがリオニーさん。そしてこちらが――グランさんです」
取り敢えずこのくらいで良いだろうか。
「おいおいケリィ。また他人行儀な言い方をしやがって。グランがあとで泣くぞ」
リオニーの茶々が入れられる。グランの方をのぞき見ると、確かに少し悲しげに目を細めていた。
やっぱり駄目か。
「どうかされましたか」
フィンア王子が首を傾げている。
「いえ、その……なんと申しますか」
なんとも言えぬ気恥ずかしさがあるのだ。仕方あるまい。
「……こちらは父のグラン。祖父のアントニオさんと伯父のリオニーさんです」
赤の他人に家族を紹介するのは、少し恥ずかしいと思う。
「ケリィ嬢のご家族の方々でしたか」
フィンア王子が納得したような口調で笑っている。
きっと「妙にはしゃいでいる」と思われていたことだろう。自覚はある。滅多に会えない、久々の家族との再会だったのだから。
「驚かれましたよね」
「そうだな。でもケリィ嬢が嬉しそうだった理由がよくわかった」
そうはっきり言われると返事に困ってしまう。
両頬がわずかに熱くなる。子供っぽいと思われただろうか。
「ケリィ、先に商談を済ませてしまおうか」
「はーい」
仕事に取りかかろう。そう心の準備を終えたところで、荷台から小さな物音が聞こえてきた。
「……もー、着いたのぉ?」
舌足らずな声。聞き覚えがあるようなないような。
「おお、ポーシャが寝とったなぁ。そういえば」
ポーシャネット。伯父リオニーのまだ幼い娘、つまりはケリィの従姉妹だ。たしか六歳になっていたと記憶している。会うのは二年ぶりくらいだろうか。一番のお久しぶり案件である。
「ポーシャ、来てたんだね」
馬車の後方から覗き込むと、まだおねむ、といった様子の少女が目を擦っていた。明るい茶色のくせ毛は父親のリオニーに似ている。くりんとした灰色の瞳はたぶん母親似だ。
「ケリィお姉ちゃん……?」
「そうだよ。皆と一緒に来てくれたんだね」
「うん。お姉ちゃんさみしいかなーって思ったから、遊びに来たよ」
「ふふっ、ありがとう」
言いながら頭を撫でてやると、気持ちよさそうに笑顔を浮かべた。身内の子供というのはなんとも愛らしいものだと思う。この子の兄の方は年上なためそんな感情は浮かばないが。
「先にお仕事しちゃうから、それまで待っててくれる?」
「いいよー。ポーシャ待ってるね!」
そう言って荷台から飛び降りた。
するとその足下に小石があったらしく、着地に失敗して小さな身体が傾いた。
「あぶないっ」
自分が支えようとしたが間に合わなかった。
いや、間に合わせる必要はなかった。
「お嬢さん大丈夫? 怪我はないかな?」
王子様が王子様然とした仕草で小さなレディーを支えている。
さすがは騎士団で鍛えているだけあって、動きが俊敏だ。こうやって咄嗟に動けるのは素直に尊敬する。
「兄ちゃん助かったよ。ありがとう。それにしてもすごい動きだったな」
フィンア王子は控えめに返事をして、少女から離れようとした。
その手をガシッと掴む小さな少女。力強く、離さないぞという意思を感じる。
「?」
「ポーシャ、お客様の手を離して差し上げて」
ケリィが声を掛けるが、彼女には聞こえてなさそうだ。
少女はぽやぁっと王子様を見上げている。
え。いやまさか。そんな。
「お兄ちゃん王子様みたいでかっこいいね! ポーシャがお嫁さんになってあげる」
伯父や祖父の空気が殺気立つ。先日からの客人は、今、我ら一族の敵と認識されたのだった。