見送って、それから
一区切り、かな
「治っても治らなくても、どちらでもいいんじゃないでしょうか」
声だけ治っても帰れない。どうしたものか。云々。
荒野での客人たちの騒ぎに乱入早々、ケリィは呟いた。
「随分といい加減な物言いじゃないか。他人事だと思っているだろう!」
「おっしゃる通り他人事ですので」
この王子様と話しているとどうも疲れる。
バレないように溜め息をつきながら、それでも丁寧な仕草で一枚の紙を差し出した。皺まみれになってなお、艶を失わない宣誓の記された紙だ。
「こちらが貴方様が誓った、宣誓の書類です」
「なぜ弟子が持っている」
「さあ? 師匠からの手紙に同封されていたので、宣誓の魔女と会ったんでしょうね。よく読んで下さい」
ひったくるようにして金色の王子様が紙を受け取った。
他の三人も覗き込むようにして書類に目を通している。
「ランジーに誓って――声を取り戻す?」
「声、戻りましたね」
しれっと言ってやる。
「俺が魔女の前で誓ったのと文言が違っているぞ」
「確かに。歌声を、と明言されたと伺っています」
従者の男も顎に手を置きながら首を傾げている。
ラグランジェは「え、え?」と戸惑った様子でキョロキョロ周りの顔色を伺っている。
「良かったじゃありませんか、お城に帰れますよ」
「こんな適当が許されるのか!」
適当なのは王子様本人だが、そのことには気付いていないようだ。
「宣誓の魔女は書類を作成したあと、王子様に内容の確認をするよう促したのでは?」
「ああ」
「そして確認した上で署名されたのでは?」
「……違いない」
「書面は隅々まで確認された方が良いですよ」
勉強になりましたね。
「あの魔女め、俺がランジーの歌を取り戻せないと最初から馬鹿にしていたのか」
「それは違うと思いますけど」
いけ好かない王子様と師の友人だ。肩を持つ相手も決まっている。
「本人じゃないのでなんとも申せませんが、宣誓の魔女もラグランジェさんの事情を分かっていたのかもしれません。その上で、あえて間違えたのかも」
ついでに王子様のうっかり具合を確認、または指摘したかった可能性もある。人間の国に属する魔女も楽じゃなさそうだ。
「あと一応、こちらもお渡しておきますね」
「何だ?」
「紹介状です。北の国の手前、東寄りの森。そこに治癒の魔女と呼ばれる方がいます。彼女はどんな傷、病気なども治せると言われています」
「な! 最初からその魔女のところへ行けば良かったじゃないか!」
「彼女は面識がある魔女からの紹介状がなければ会えませんよ」
恐らく宣誓の魔女は調剤などの技術がなく、治癒の魔女とも面識がないのだろう。そして空間の魔女ユークレッドと相談し、こちらへ寄越したのだと想像できる。恐らく、ケリィの修行を目論んだ師匠の手引きで。
空間の魔女ユークレッドは副業、というか生活のために薬の調合なども請け負っている。そしてケリィは調剤の修行で、一時期治癒の魔女の世話になっていたことがある。治癒の魔女は、ある意味もう一人の師匠といえる。自分からの手紙なら受け取ってくれるだろう。
「これが紹介状です。署名は私のものですが、師匠からも声が掛かっているはずなので診てもらえると思いますよ」
封をした手紙を渡してやる。
「もちろん治さない、という選択肢もありますが」
今度こそきちんと相談してから向かって欲しい。
「そうか。そうだな。……ランジーはどうしたい?」
「わたくしは……まだ、気持ちの整理が、つかないのです」
「なら、城に戻ってからでもゆっくり考えよう」
「はい。ディカルド様」
一件落着、と言って良いだろうか。
「世話になったな」
薬と紹介状の分の支払いを済ませ、王子様が頭を下げた。いきなり素直になられると反応に困る。
「とんでも御座いません。また何かございましたら、どうぞいつでもお越しください」
取り敢えずの定型文。
まあ、きちんと支払いをしてくれるならなんでも良い。
ケリィは旅支度を済ませた北国一行と向き合っていた。その右隣では、フィンア王子が人好きのする笑顔を浮かべている。
「ディカルド王子。時期が来ましたら、やはり何か送らせていただきます」
その言葉に、北の国の王子様がしかめっ面で返答する。
「その話は遠慮したはずだ」
どの話だろう?
「名目はラグランジェ嬢のお見舞いでしょうかね。うちの特産物の布をお贈りします」
確かにトポスリアの反物は高値で取り引きされると聞いたことがある。特に花嫁衣装に使われる上質なものは有名だ。
「わたくしに、ですか?」
意図の汲めていないらしいラグランジェが小首を傾げる。王子様の方は諦めた風に「勝手にしろ」と一言こぼした。耳が赤く見えるのは気の所為ではないだろう。
「ケリィさ、ん」
「けさ、は失礼しました。色々と、ありがとう」
「仕事ですから。お構いなく」
「それと、さいごに……もう一つ、お願いがあります」
「? はい、なんでしょう」
「わたくし、本当のなま、えは、ランジーと申します」
愛称ではなかったらしい。ラグランジェの方が王城で活動するための芸名だったと続けられた。
「良かったら、そう、呼んで」
今、もし庭にいたらどうだろう。
朝よりもっと近付けただろうか。荒野の地では分からない。それがずっと怖かったのに、今は久しぶりに穏やかな気持ちでここに立っている。
「……ランジーさん」
気恥ずかしく思いながら呼びかける。
ランジーはこの上なく嬉しそうに、相好を崩した。美しさより、愛らしさの際立つ表情だった。
「どうかお元気で、ランジーさん」
「ケリィさんも。魔女の修行頑張って」
またいつか会えたらいい。ケリィにとって、そう思える相手は貴重だった。
最後に「お世話になりました」と会釈して、従者が二人について行った。
眠い。徹夜明けで、さらに賑やかな人の相手をしたのだ。疲れて当然である。
「さて、私は少し休みます」
「それがいい。一晩中働いていたなら、心身ともに疲れているだろう」
何故こちらが徹夜したのを知っている。
声には出さなかったが、顔に書いたのを読まれたらしい。返事はすぐに返ってきた。
「やはりそうか。火の番のとき家の明かりが気になったんだ。朝も早く起きたが、相変わらず何かしているようだったから」
こわ。
よく見てるな、と思った。
「ラグランジェ嬢の薬、寝ないで作ったんだな」
「お急ぎのようでしたから」
二人揃って庭に戻る。自分は目眩など関係なく入れるが、フィンア王子はまた強烈なのが来たらしい。膝をついてうずくまっている。
きっと自分が近くにいたせいだ。急激な庭の調整が入ったのだろう。振り向くと二十歩ほど距離が開いている。
ふと気が付いた。
「そういえばフィンア王子のご用件を伺ってませんでしたね。先にお越しでしたのにすみません」
「いや、自分の用件は後回しでも構わないんだ」
こんな所まで来て随分と悠長な。
「今は他のお客様も、急ぎの依頼もありません。私で良ければお話だけでも伺います」
「大したことではないんだが……」
こんな荒野の果てまで来るだけでも大事なはずである。
「空間の魔女、ユークレッド殿に求婚しに来たんだ」
「…………」
「だから本人がいないことには、どうにも」
「………………えぇ?」
それはケリィが、未だかつて聞いたことのない用件であった。