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愚かな心

気まずい中で発言できる人はすごいと思います

 聞き覚えのないか細い声。

 それが聞こえたのは井戸を借りたあと、そのまま桶一杯の水を荒野残留の王子一行へ届けようとしていた道中のことだった。

 声は庭の片隅から聞こえた。ラグランジェ嬢だった。うずくまるようにして、軽く咳き込みながら声にならない声を出している。

「? ――あぁ」

 合点がいく。早朝、ケリィから相談されたあれだろう。

 少し見守っていると、ラグランジェはすっくと立ち上がり、急ぎ足で自国の王子の元へ向かっていった。

「はじまったのか」

 フィンアは知らぬ素振りで彼らに近付いた。大股で歩けばすぐに追いつくだろう。

 倒れ込むように庭から荒野へ抜けた元歌姫は、すぐに気が付いたディカルド王子が受け止めていた。

「ランジー? どうした?」

「……カル、ド……」

「!」

「ディ……カルドさ、ま」

 けほけほと苦しそうに声を絞り出すラグランジェ嬢。

 北国の王子は目を見開いた。それは喜びよりも怒りの色が強い。何故だ。

「あの半人前! ランジーに中途半端なものを……!」

「まっ」

 思わず自分が間に入ってしまうところだった。

 しかし王子の腕の中、銀髪の乙女は大きく横に首を振った。そしてディカルド王子の腕を強く引き寄せた。

「……お待ち、くださ、い」

 苦しそうに声を出している。

 想像していたより、低く、しゃがれた声だった。ケリィの話通り完治させるのは難しいのだろう。

「ど、どうか……聞い、てください……わたくしの」

「どうしたんだ、ランジー」

 ディカルド王子は彼女の背を撫でてやりながら、折り畳みの小さな椅子に座らせてやった。

「……わたくしの、愚かな心根を」

 ぽつりぽつりと彼女は話し始めた。

 その話を、北国の末の王子は決して急かすことなく、何度も相槌を打ちながら聞いていた。


 今はもう北の誰もが知るところ。孤児として過ごした幼少期。たまたま聴いた吟遊詩人の歌を真似たら生活費を稼げるようになったこと。師を見つけ、毎日歌に励んだこと。すぐに独り立ちして、あちこちの村や町を旅したこと。

 そしてあの町でディカルドに拾われて、初めて世界が広がった日のこと。王城の侍女たちが、自分を身綺麗に洗い流し、着心地の良い布に包まれた。忘れようとも忘れられない思い出深い一日だったこと。

 王城で歌いながら、王子のことをだんだんと理解していった日々。妾腹で末の王子、身分などあってないようなもの。微妙な立場に加え、芸術面で天性の能力があること。裏表もなく、素直で、いつまでも子供のような王子様だった。国に持て余されるこの高貴な子の為、力になりたいと思うようになったこと。

「……はじめて、でした」

 ディカルド王子に拾われるまで、自分が生きていくためだけに歌っていた。いつの間にか、少しでも他人の為に、相手の力になるように歌おうなどと考えるようになった。それは不思議で幸せな気持ちだったこと。

 しかしある頃から――それは、王子様の婚約者の話などが本格的に出始めてからのこと。

 本当は自分が関わり合うような方ではなかったと思い知った。彼と同様に貴い身分の女性が側にいるのが当たり前だと、そう気付いてしまった。

 北の至宝とまで称えられた歌を武器に、ディカルド王子の力になりたい気持ち。

 ディカルド王子が他の女性と歩んでいくのを素直に見守ることができない気持ち。

 二律背反に、当たり前だった日々が苦しくなった。

「わたくし、は……ほんとうに、愚かで」

 自分を敵視している集団と行動を共にしたのは故意だった。断ることもできたのに、それをしなかった。そして、毒が入った酒を口にしたのも――。


「まさか……! 自分から毒をあおったというのか!」

 ディカルド王子が唖然としている。

 側で聞いていたルネ・テーリングも眉をひそめて聞いている。

 自分はケリィからの相談でいくつか予測を立てていたから、さほど驚かないが。しかし自ら毒を、というのは流石に鼓動が早くなるのを感じた。


「存じて、おりましたの……喉、を、声をつぶす毒が、入っている……と」

 それでも良いと思った。歌を捨ててしまいたくなった。そしてディカルド王子に捨てられてしまいたかった。そうすれば、もう苦しまなくて済むと思った。

 自分の卑しい身分のことも。彼がこれから歩んでいく道のことも。何も考えたくなかった。

「……それなのに、あなた、様はっ」

 どうして己のことなど二の次に、自分に構うのか。自分にはもう、利用価値などないはず。

 もう放っておいて欲しい。


 しゃがれていても分かる。涙混じりの声音だった。

 何度も咳き込みながら、苦しそうにしながらも訴える。その姿は哀れにも美しさが際立って見えた。

 フィンアは側に置いていた桶から、グラスに一杯の水を汲む。それを邪魔にならないように、ディカルド王子へ手渡した。

「飲めるか」

 王子の問いかけにこくりと頷き、彼の傾けるグラスに口をつけるラグランジェ嬢。多少は落ち着いただろうか。

「まずはじめに言っておく」

 ディカルド王子が強い口調で、はっきりと宣言した。

「俺がランジーを手放すことはない」

「!」

 はっと顔を上げるラグランジェ嬢。目尻には涙が浮かんでいた。

「どれだけ美しくとも、愚かでも、歌えなくなったとしても。それは絶対だ」

「そん、な……」

「俺も、ランジーに初めて会った日に世界が変った。歌で心を動かされることがあるのだと、はじめて知ったんだ。ある村の子供が何度も挫けそうになりながら夢を叶える、そういう内容だったな。城でもたくさん聴かせてもらった」

 遠い眼差しで昔を懐かしむように語っている。

「そしていつだったか、ランジーが、歌うことで俺を支えようとしていたのも知った。それが嬉しかった。心強い、そういう感覚もはじめてだったんだ」

「……」

「歌いたくないならやめていい。でも、俺への感情を捨てようとするのは駄目だ」

 ディカルド王子はラグランジェ嬢の肩を強く抱いた。目を細め、相変わらずはっきりした口調で彼女に囁く。

「国に帰ったら、父上に改めて報告する。そして成人の儀を終えて、領地を治める時には――いや、その先もずっと、側にいてくれないか」

「……ディカルド様っ」

 グラスを持ったままだったディカルド王子の手に、ラグランジェ嬢の指先が触れる。

 二人だけの空気だ。残った男二人はなんとも気まずい。

「……こほん。殿下、お話がまとまったのは結構ですが」

 ルネがその空気を壊しに掛かった。勇気がすごい。

「なんだ、情緒も何もない男だなテーリング卿」

「宣誓の魔女には()()()()()()()と誓ってきたのではありませんでしたか」

「……そうだったか」

「道中でそうおしゃっていました」

「…………そう、だったか?」

 一応、()は取り戻したのだけれどなぁ。

 フィンアは大きく空を仰いだ。

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