決めるのは誰か
短め? だけど話は少し進みました。
四人の客が朝食を終えたのち。
次の食事までの時間を各々が自由に過ごしていた。
王子様と従者の二人は本を読み、何か意見を交わしている様子だった。意外にも金色の王子様が質問などして、返ってきた答えには素直に「なるほど」「勉強になる」と相槌をうっている。すごく年相応に見える。
ラグランジェは先ほどまで家の裏で水浴びをしていたが、今は花や虫など観察している。草からテントウムシを手に移らせ、指を天へと伸ばす。登っていったテントウムシは風に乗って次の拠り所を探しに行った。その姿を見るに、やはりお嬢様育ちといった身分ではないのだと実感する。
位置的に庭に入れない王子様からは見えないし、落ち着いて話せば声も聞こえないはずだ。
「ラグランジェさん」
腹を括るしかない。魔女の弟子として。ユークレッドを継ぐものとして。
「薬が完成しました」
グラスを差し出す。
「!」
ラグランジェは目を見開いた。こんな短期間で用意されるとは思っていなかったのだろう。
「貴重な薬草を使っているので、今ご用意できるのはこの一回分だけです。でもこれだけでも充分かと思います。……飲まれますか?」
「……」
紫色の液体が揺れている。彼女は表情をなくして、それをじっと見つめている。
「貴方が喉を治さないと、王子様は国に帰れないんじゃないんですか」
ラグランジェの唇がわずかに引き結ばれたように見えた。
慎重に草の上に置く。底が広いグラスだから倒れる心配はない。
彼女の方を向いたまま後退っていく。昨日よりも距離を取って、ラグランジェの動向を見守った。
「苦いため飲みにくいと思いましたので、葡萄酒に混ぜています」
昨夜男どもに差し入れたものと同じ酒だ。
「お酒は駄目ですか?」
そんなはずはない。
「飲めますよね。毒を盛られた時も葡萄酒だったそうですし」
ラグランジェは表情をなくしたままグラスに歩み寄る。
「毒を飲んだ時のことを思い出してしまいますか」
グラスを持ち上げようとする手が震えている。可哀相なほど。
「それとも治したくないからですか」
ラグランジェは流れるような仕草で、静かにグラスを傾けた。地面へ向けて。
「――昨夜、私の質問に答えてくれなかったのはそういうことですよね」
ケリィは大きく溜め息をつく。
「ごめんなさい。嘘をつきました」
先に謝っておく。騙したのには違いないから。
「先ほどお渡ししたのはただの葡萄酒でした」
「……!」
「ここに、本物の薬があります」
ケリィの人差し指程度の小さな瓶には栓がしてある。その小瓶に入った無色透明の液体を振って見せた。
本当ならこの薬を北の王子様に渡してしまった方が早いだろう。しかしそれでは、ラグランジェが薬を飲む飲まないの判断ができない。彼女自身の気持ちを無視するわけには行かない。
「治療を望まれていないようだったので、もしかしたらと思って」
どういう流れで話を持って行くべきか。
黒い髪の王子様――フィンア王子に少し相談させてもらった。彼の提案のように上手く持っていけるかは分からないが、とりあえず頑張ってみるしかない。
昨夜届いた手紙に同封されていた紙を取り出す。二つ折りになっているが、それ以外に折れ目や破れなど見当たらない。
「ここに美しい一枚の紙があります」
ケリィは艶やかな紙をぐしゃぐしゃと乱暴に丸めた。
「?」
「これが今の貴方の喉です」
「……」
そして今度は紙を丁寧に伸ばしてやった。折れ目のついた部分は歪だが、一枚の紙として見れなくはない状態まで戻る。
「ここまで戻ると、字が読めるくらいになります」
だが全くの元通りとはいかないのだ。
「貴方が薬を飲むとこうなります」
「……?」
ラグランジェが訝しげに首を傾げた。
「その薬は喉の状態をある程度整えるだけ。つまり声を取り戻すのが精々です。私の師匠によると、壊れたものを完全に元に戻すのは難しいそうで。以前のようにお仕事で歌うのは不可能かもしれません。というか、前と全く同じ声でお話しするのも、もしかしたら……」
症状と薬、本人の相性。あとは訓練すれば多少マシになるだろうという程度だ。
「それでも、意思の疎通に無理がない程度には発声できるようになる薬です」
手の中の小瓶を軽く降ってみる。とろみのある液体だ。師匠の手紙には「ちょっと甘め」と書いてあった。
「……王子様とお話ししなくていいんですか? このままで、ずっとこんなところで立ち止まっていて」
それは自身への言葉のようにも思えた。
「どうして歌いたくないのか、伝えてあげないんですか?」
あの王子様はいけ好かない。このまま居座られるのも困る。
でも、それ以上に――。
「あの人は、貴方に誓ったのでしょう? 必ず歌声を取り戻すと」
ケリィの手元には宣誓の魔女が作った書類。先程の行為でグシャグシャにはなったが、それくらいで魔法の効力はなくならない。内容は彼女――ランジーに誓って、と書いてあった。
その心意気くらいは報われてほしいと、そう願ってしまうのだ。
ラグランジェは俯いていて、何を思っているかなどわからない。
それでもケリィは改めて彼女の方へと進む。適当な場所で小瓶を置き、踵を返した。
そして振り返らずに、家へと引き返して行った。