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第三王子の旅

何か書いてみたくなって、つらつらと

 冷たい風が頬を撫でていく。さらりとした空気は湿り気など微塵も感じない。生き物の匂いもなく、自分が呼吸を止めてしまったのではないかと錯覚するほどである。城下町の活気溢れる人混みが懐かしい。

「朝の市は皆爽やかで良かったな。収穫祭の夜も賑やかで違った楽しさがあったものだが」

 足を止め、外套の下から辺りを見回してみた。ごつごつとした岩肌がむき出しの丘陵、風に舞う砂塵、朽ち果てた樹は点々とその亡骸をさらしている。動くものの姿など、在りはしない。唯一の希望のような太陽も、もうかなり西に身を預けている。

「今日も野宿か。どの辺りにしようか。……まあ、どこでも変わりはしないが」

 慣れない一人旅で独り言だけが達者になっていく。以前隠居した家老を訪ねた際、『話す者がいないと独り言が増えていけない』と笑っていたのを思い出した。話し相手がいないと笑うに笑えないことに気付いてしまった。生きて帰れたらまた訪ねてやろうと心に決めた。

「さて、暗くなる前に――ん?」

 荒涼とした大地を突き進むこと三日目の夕方だった。丘の陰になった場所に、ポツンと立派な家が建っていた。小さいけれどレンガ造りで、煙突からは煙が上がっている。その建物の周辺だけ青々とした草木が茂っている。不自然で不気味でもあるが、久々に感じる生き物の気配が胸を躍らせた。

「あれが荒野の中心か」

 こうして第三王子は、目的地である魔女の住処を見つけたのだった。


「魔女殿はご在宅か!」

 茂る草花の手前で叫んだ。十歩もあれば辿り着きそうな距離である。この声も恐らく届いているだろう。

「突然の訪問で申し訳ないが、頼みがあって南の国より参った旅の者だ!」

 夜を運ぶように風が吹き抜けていく。荒野に似合わない可憐な白い花が揺れている。夜間に咲く花だろうか。国立図書館の図鑑など好んで読む方だったが、そんな自分でも見たことのない花だ。

「話だけでも聞いてもらえないだろうか!」

 堅牢な木製の扉はなかなか開かない。黒に近い茶色の木。取っ手と上部の小さな鐘は落ち着いた金色だ。

 もう一声かけるべきかと悩む。すると扉の隣の窓から、カーテン越しだが人の動く気配がした。待ってみるとドアノブが音もなく回されるのが見て取れた。

 華奢な少女が一人、扉の向こうから姿を現した。貴族や資産家の娘たちのような華やかさはないが、離れていても端正な顔立ちをしているのがわかる。良くも悪くもつくられていない、自然的な美しさだった。

 少女は堂々と背筋を伸ばし、肩に付くくらいの深い色の赤毛は風の自由にさせている。生成り色のシャツは古くも質の良いものだろう。丈の長い焦げ茶のスカートも解れなど見当たらず、大事にしているのが想像できた。

 宝石のような碧の瞳がじっとりとした視線を寄こしてくる。

「どちら様ですか」

 少し低めの、落ち着いた声音だった。警戒されているのもあるだろうが。

「王命によりトポスリアから参った。トポスリア国第七王位後継者、名はフィンアと申す」

「王子様? なんでこんなところに」

「魔女殿に頼みがあり参った次第だ。お目通り願いたい」

「……魔女はしばらく留守です」

「待たせてもらうわけにはいかないだろうか」

「いつ戻るかわかりません。何日かかるかも……」

「自分も魔女殿と話すまでは帰れない。外で構わないから待たせてもらいたいのだが、良いだろうか?」

「外で? 王族の方が? 野宿ですか?」

 困惑した様子の少女へ、身体を捩って背負ってきた荷物を見せる。

「そろそろ慣れてきたところだ。敷地には踏み入らないので許可してもらえないだろうか」

 相手が気兼ねしないよう軽い調子で尋ねた。まだ数日分の食事はあるし、水だけでも分けてもらえたら何日かは持ち堪えられる算段だ。

 返事を待っているうちに空は大分暗くなってきた。光の強い星は遠慮もなく瞬き、夜を告げてくる。

「……どうぞ」

「?」

「どうぞ、その境界を越えてこちらへ入ってみてください。部屋は用意できませんが、草の上の方が、剥き出しの大地に寝転がるよりはいくらかマシだと思います。簡素なもので良ければ、食事もお裾分けしますよ」

 相変わらず声が硬い。しかし話の内容は意外にもこちらを受け入れてくれている様子だ。

「それは助かる。ありがとう、お嬢さん」

「ただし」

 感謝の言葉に、強い口調が被さってきた。

「足を踏み入れる際はお気をつけて。目眩など起こさないよう」

「めまい?」

「遠くを見るようなぼんやりとした認識で。それでいて体幹は崩さず、足下に力を入れると良いそうですよ」

「よく分からないが承知した! 助言、感謝する!」

 そう叫び、フィンアは右足で草の茂る領域を踏み締めた。


 昔、父王やすぐ上の兄と海の近い領地の偵察に行ったことがある。兄と自分はまだ子供だったため、仕事というより勉強の一環で。早朝のひとときに自由時間がもらえて、兄弟そろって海辺を裸足で歩いた。

 砂浜を舐めていく波が海へ戻る時、砂がさぁあっと自分を引き寄せてくる感じがして、強烈にクラクラして、尻餅をついた。笑った兄もすぐあとに転んでいた。

「大丈夫ですか」

 遠いような近いような少女の声。あまり心配そうではない。

「子供の頃、海に行った時のことを思い出した」

「そういう人もいるようですね」

 草の青々とした匂いを一杯に吸い込む。空は完全に夜だ。

 頭を打たなくて良かった、と上半身を起こしながら少女の姿を探した。

「……どういうことだ」

 荒野から家屋までは十歩ほどの距離であったはずだ。それが今見てみれば随分遠くに建っている。連れに高齢の者がいたら背負っていかなければならないくらいの道のりだ。それでいて、家の扉の前にいる彼女の声はすぐ近くに聞こえる。

 なんとも不思議な感覚だった。

「ここは空間を司る魔女、ユークレッドの庭です。外から見た通りにはならない。足を踏み入れても思った通りにはならない。そういう場所です」

 なるほど。これが魔法の力。

 魔女ユークレッドは、西に位置する魔物の森と他の地を隔てる番人なのだ。その魔法を身をもって体感する機会が来るとは想像もしていなかったが。

 辺りを見回すと、庭と言うにはあまりにも広かった。草原と言っても差し支えない。家屋の向こうには小さく畑らしいものが見え、家屋の後方には木々の姿もある。井戸も掘っているようだ。生活資源はそろっているらしかった。

「魔女殿はすごい力をお持ちなのだな」

 声は張らずに褒め称えた。恐らく相手には聞こえているはずだ。

「すごいのは魔法だけです。それ以外のことはからっきしなので」

 やはり聞こえるらしい。見た目通りの距離感ではないようだ。

「後ほどパンやスープを持って行きます。お好きなところで野営してください」

「世話を掛けて申し訳ない。ありがとう」

「感謝されるほどのことはしません。どうぞ気にしないでください」

 そう言って彼女は扉の向こうへ消えようとした。

「待ってくれ! もし良ければ、君のことを教えてくれないか。その、なんと呼べば良いかと」

「あら、申し遅れました。私の名前はケリィ。魔女の弟子です」


 テントを準備していれば、とっこ、とっこ、という音が響いてきた。地面からも音に合わせて微かな振動を感じる。

 顔を上げると、魔女の家の方からロバが向かってきていた。奇妙にして愛らしいことに、ロバの手綱を咥えて引いているのは黒猫だ。でっぷりした身体をしなやかに揺らしながら、ロバの主人然としてこちらへ歩いてくる。

「やあ、こんばんは」

 人語が通じるかは分からないが、取り敢えず挨拶くらいはしておこう。

 すると猫から返事はないものの、フィンアの眼の前でロバの手綱が離された。ロバは大人しく草を食み始めた。その背にはいくつかの荷物が積まれている。

「ケリィ嬢からの届け物だろうか。自分が受け取っても構わない?」

 猫に尋ねる。

 すると相手は欠伸をするような、やる気のない鳴き声を漏らした。ケリィと同じ碧の瞳が見つめてくる。じとりとした眼差しは彼女に似ている。

「ありがたく頂戴しよう」

 猫とロバに会釈し、ロバの背から荷物を下ろす。中身は固いパン、瓶に詰められた微温いスープ。それ以外にも干し肉や野菜のピクルス、当然のように飲み水もあった。随分ともてなしてくれているな、と思った。

「届けてくれてありがとう」

 握手するような気持ちで、猫に右手を差し出した。相手はフンフンと匂いを嗅いでくる。中指をザラリと一舐めされた。

「ケリィ嬢はご多忙か? 直接礼を言いたかったが、会えないようなら謝意を伝えてもらえたら助かる」

 フィンアの言葉に「なーあ」とはっきり鳴いて、猫は踵を返した。もちろんロバの手綱を引いていくのも忘れずに。

 猫の後ろ姿は気怠そうだが、尻尾は機嫌良さげに振られている。手を振ってくれているような気になって、フィンアは自然と口角が上がった。

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