表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ヘッドホンガール  作者: 麻空
8/10

ヘッドホンガール 8

 チャイムが鳴った。

 スクールバックから弁当を取り出して机に置いて。

開ける気にはなれずにいた。喉を通る気がしないから。

 見ないふりしてきた昼休みの喧騒が私の耳へと流れ込んでくる。

知らない誰かの笑い声が、共感する声が、私の耳にも届いている。

情報量が私に酔いをもたらしている。


 耳を塞いでしまいたい。


 それだけで喧騒が無いことになるのだから。

ずっとそれで私を守ってきたのだから。


 朝の私は迂闊だった。

 没収した張本人の前でヘッドホンをつけて歩くなんて、

今思えば愚かなこと。昨日から私はどうかしている。

 思わせぶりに帰ってきたヘッドホンのせいだ。


 あの少年のことを思い出す。

 彼のせいで今苦しんでいる。

一時の苦痛だけでやり過ごせたはずなのに、

今も私は苦しみ続けていた。


 でも、嫌悪感はなくて。

 むしろそれは。


 「ねえ、中村さん」


 私の心臓はぴたりと止まった。

 その声は間違いなく私に向いていたから。

遮るものを私は持っていなかったから。


 「お昼ご飯、一緒に食べない?」


 一つ前の席の女の子。

 ちょっとの緊張と、丁重さが混ざった声だった。

そのことが私なんかでもよくわかった。


 少年の方、橋本啓太の背中がある方を見る。

彼はクラスメートと輪になって弁当を開く。

 彼は世界の中にいた。


 私も頷く。


 「やった」


 彼女は小声でそう囁き自分の机をこちらに回す。

それは私を見るための方向だった。


 足の置き方が、指の姿勢が覚束ない。

どこを見れば良いのかわからなかった。


 「私ね、中村さんと話してみたかったんだ」


 私は弱く笑う。

 そうすることしかできない私にも彼女は丁重だった。


 私は世界の中に踏み込まなきゃいけない。

目の前の少女だって、橋本啓太だって、世界の中にいる。

彼らは世界が少しは優しいことを私にわからせる。


 「私も話せて嬉しい」


 挙動不審な私の声。それでも彼女は嬉しそうに笑った。


 こういうことを人は成長と呼ぶ。

それなら、踏まなきゃいけないのだと思った。

動悸があることは確かだけどそれでも。


 「よかったぁ。話しかけるの緊張したんだよ」


 彼女の言葉が一つ軽くなる。


 「そうなの?」

 「うん、すごくした」


 冷凍のカニクリームコロッケを一口で頬張る。

とろりと舌の上で溶けて広がった。


 その間、目の前の少女が口下手であることを語る。

友達を作るのが苦手だと私にそっと打ち明ける。

私だって得意じゃないって彼女に伝えると、

「一緒だね」ってヒソヒソ声で笑っていた。


 「中村さんが良い人でよかった」


 同じ世界に私も行かなきゃいけない。

そんな気がした。みんな一つ段階を踏んでいる。


 一緒なんだねって言おうとした。


 「あやか、何してるの?」


 快活そうな女子が彼女に話しかける。

両方の肩に手を置かれてどちらも親密そうな顔をした。


 「中村さんと話してたの」

 「お、ヘッドホンの子じゃん。よろしくね」


 その人は手際良く私にひらりと手を振った。

私が声を出せない間にまた口を開いて続けた。


 「あやか、今日の部活室内練だって」

 「ほんと?ラッキーじゃん」

 「え、多分筋トレだよ?」

 「私以外と嫌いじゃないんだ」


 口下手なはずの少女も手際良く会話を繋げていた。

その人は風みたいに去っていく。

 私はちょっとぐちゃぐちゃになる。


 「あの子、入学式の日に仲良くなったんだ。

 すごく良い人だから、中村さんもきっと仲良くなれるよ」

 「そうなんだ」


 あやかという少女は人懐っこい笑みを浮かべて言った。

私にはできない顔の形を上手に作っていた。

この人は世界でちゃんと生きられている人だ。


 「中村さん、いつも音楽聴いているよね。

どんな曲聴いているの?」


 ほら、私とこの人は違う。


 口下手でも、気にしいなのだとしても。

打算と称えるべき思い切りで動けるような人なのだ。

 そういう、品がある人間なのだ。私とは違う。


 喧騒が私の中に流れこんでいることに気づく。

ここは深海みたいだった。目の前の少女の言葉をうまく聞き取れない。

私の目がどこを見ているのかもわからない。溺れている。

 逃げ場がなかった。


 この空気だまりは私が居ていい場所じゃない。


 怖かった。


 立ち上がる。椅子が床と嫌な音をたてた。

その音はこの教室で少し異質だった。いくつか私の方に針が向く。


 それがどうにも痛かった。


 「ごめんなさい」


 どうせ誰にも聞こえない声でそう囁く。

 水面を探さなきゃいけない。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ