二 詐欺師クロマ
「詐欺師……?」
マロク改め、クロマの口から出た意外な言葉に、ロシュは更に当惑する。詐欺師は、つまり他人から金品を騙し取る犯罪者。そのような人間が、王宮に使用人として入りこんでいたということなのだろうか。
「ああそうだ。大臣が裏ルートで怪しげな術具を買い込んでるって話を仕入れて、王宮に潜り込んだんだ」
「信じがたい話だな……。王宮の使用人は身分や経歴を調査されている筈。犯罪目的の人間がそう簡単に入りこめるとは思えない」
「何で俺が王宮に入りこめたのか、か。それはな……」
クロマはにやりと口角を上げる。そして、おもむろにロシュの耳元に顔を近づけた。
「俺様が天才だからさ」
囁くクロマの吐息が、ロシュの耳を撫でる。自身の体から出ているものの筈だが、妙に気持ち悪く感じられた。思わず顔をしかめ、耳を抑える。
ロシュの反応を愉しむかのように、笑みを崩さないクロマ。身を乗り出した体勢から、再びソファに腰掛ける。
「ま、流石にそれだけじゃない。……そこに鏡があるだろ」
クロマは部屋の片隅を指さした。確かに壁に鏡が掛かっている。
「自分の顔を見てみろ」
不信に思いつつも、ロシュはクロマの言うことに従った。
鏡を見て、今日何度目か分からない驚きを感じるロシュ。鏡には、物置で見た使用人とは全く異なる容姿の男が映っていたのだ。
弱々しく、冴えない印象はどこにもない。精悍ながらどこか妖し気な、非常に整った顔である。
「これは……」
ロシュはクロマを振り返る。クロマは、またもロシュの反応に満足そうな表情を浮かべていた。
「大臣の娘……プレナといったか、あいつは『二者の精神を入れ替える』という特殊な能力を持っている。実は俺も、こういう特殊能力を持っているんだ」
クロマはパチンと指を鳴らす。
次の瞬間、クロマの顔が使用人、マロクの顔に変わった。
「この能力を使えば、声や背格好の範囲内で、自在に別人になることができる。王宮の審査なんざカンタンに抜けられるのさ」
「な……なるほど……。だけど、何であんたやプレナはそんな能力を使えるんだ……」
ロシュの質問に対し、クロマはフフ、と鼻で笑う。
「悪魔だよ」
「悪魔?」
「ああ。特定の人物に憑りついて、一つ特別な能力を与える存在の事をそう呼ぶ。姿形は色々で、動物かもしれないし、アクセサリーかもしれない。憑りつく条件も、能力も色々。全くわけのわからない存在だ」
「そんなのが本当に?」
「そうだ。俺の場合、これだ」
クロマは右手を上げて見せた。人差し指には指輪が嵌っている。ロシュの体の指に嵌っているが、当然ロシュには見覚えのないものだ。
「偶然見つけたものを、何の気なしに嵌めたら、この力が使えるようになった」
「そんなに簡単に憑りつかれるのか?」
「ものに依るんだろ。複雑な手順が必要なものもあるらしい。そして……」
クロマは一旦言葉を切り、ロシュに椅子に戻るよう示した。ロシュは大人しくそれに従う。
「大臣の娘があの能力を持っている以上、王宮内の人間が正規の方法で大臣の不正を暴くのは厳しいってわけだ」
突然大臣の話になったため、ロシュは思わずはっとした。そして、目の前の男が詐欺師と名乗り、大臣を騙そうとしていると言っていたことを思い出す。
「さて、どうだ? ここまで話せば、この状況も飲み込めたか?」
「あ、ああ。正直、眩暈を起こしそうなくらいだが……」
「なら、その上で一つ提案がある」
「提案?」
クロマの表情から、先ほどまであった軽薄さが無くなった。
「もしお前にまだ大臣の悪事を止める意思があるなら、俺に協力しないか?」
「協力って……」
「つまり、俺とお前で協力して、あの大臣を騙すんだ。俺はあいつから大金を巻き上げ、お前はあいつの悪事を暴き、この身体に戻れる。そういういい策があるんだよ」
彼の提案に、ロシュはどう答えるべきか悩んだ。他に頼れるものがない現状で、クロマの提案は乗る価値があるものかもしれない。しかし……。
「それって、お前の詐欺に加担しろってことか?」
「そういうことになるな」
何の問題が? とでも言いたげに、すました顔で言うクロマ。
「……一応聞くけど、金を騙し取るのは無しって言ったら?」
「そしたら俺があの王宮に潜入してる意味がないだろ」
「そうだよなぁ……」
ロシュは頭を抱えた。
悪事を暴くという大義名分があるとはいえ、そして標的が大臣とはいえ、詐欺行為に加担するのはいかがなものかと、ロシュは内心葛藤する。近衛騎士の家を継ぐ者としての矜持が、乗るべきではないというように、ロシュの心に語っているのだ。
そんなロシュの心境を察したのか、クロマはしつこく勧誘するようなことはしなかった。その代わりに立ち上がり、廊下へと繋がる扉に向かう。
「ま、そんなにすぐ決断できることじゃないのは俺にもわかる。何日かしたらここに戻るから、返答はその時でいいぞ」
「何日かしたらって、これからどこに?」
「王宮に決まってるだろ。今の俺は王女付き近衛騎士長のロシュだぜ。非番の時間でここに来てるんだから、王宮に戻らねえと」
「わ、わかった。ただ、ちょっと待ってくれ……」
次の行動を起こすのに、何日も待ってはいられない。今決めなければ。
ロシュは椅子から立ち上がり、クロマをまっすぐ見据えた。
「お前の計画には協力する。ただ、あくまでこの状況を脱する為で、詐欺に加担する気は毛頭ないことを忘れるな」
ロシュの言葉を聞き、クロマの表情には再び軽薄そうな笑みが浮かんだ。
「よし、それじゃあ早速、俺様の考えたパーフェクトな作戦を説明するぞ」
クロマは、ソファに戻る。
「ちょ、ちょっと待て」
「なんだ?」
「今説明するのか? 王宮に戻るって……」
「ああ、それなら……」
悪戯っぽい表情になるクロマ。
「嘘だ。あと何時間かは戻る必要はない」
「はあ?」
「ああしたほうが、話が早かっただろ」
つまり、ロシュを焦らせて無理矢理決断させようととった行動だったらしい。まんまと嵌められたことに、ロシュは思わず不満げな表情になった。
「よし、じゃあ気を取り直して説明するぞ」
目の前で意気揚々と説明を始めんとするクロマに、冷ややかな目線を送る。
「何だその浮かない顔は」
「いや、説明をするのはいいんだけれど、そのテンションは何とかならないのか?」
「どうして」
「気になる……というか、正直言って気持ち悪いんだよ。俺の恰好をした奴がそんなノリでいるのが」
クロマは、まったく、と言わんばかりに大げさな動きで額に手を当てた。
「これだから任務命の真面目クンは……。あのな、普通に説明してもつまんねぇだろ。俺はつまんねぇ事が一番嫌いなんだよ。というか、お前も俺の体で真面目クン続けてるんだから、俺の振る舞いに文句言う筋合いないだろ? そんな他人のノリに合わせられないカタブツだから、20手前でロクな恋愛もできないとかいう可哀そうなことになるんだ……」
「あー、面倒臭い! もういいから、さっさと計画を説明してくれ」
顔を顰め、話を戻すようクロマに手のひらを突き出すロシュ。
その様子に、クロマは呆れたように肩を竦めてみせた。
「じゃあ説明するぞ。お前は、これからマロクが過去に関係を持っていた黒魔術の商人になってもらう。そして俺の紹介でクソ大臣に取り入って、偽の術具でぼったくる。以上だ」
クロマは口を閉じる。
ロシュはクロマを見上げたまま、何も言わない。
数秒の静寂が流れる。
「えっ」
静寂を破るロシュ。
「なんだ?」
「それだけ?」
「そうだが?」
「本当に?」
「完璧だろ?」
思わず口を開いたまま、ロシュはクロマを見つめた。開いた口が塞がらないとはこのことか、と、内心で思う。
クロマは、一体何故ロシュがそんな表情をしているのか分からないとでも言いたげに、きょとんとした顔をしていた。
ロシュは一瞬、その顔に拳を喰らわしてやろうかと考える。しかしその顔は自分のものであることを思い出し、思いとどまった。
「いやいや、どう考えても杜撰過ぎるだろ。例えお前の能力で変装したとしても、俺なんかが他人に成りすませるわけないし」
「何でそんなに自信無さげんだ?」
「そ、そりゃだって、俺演技とか全然、したことが……」
どんどん声が小さくなっていくロシュ。
その様子を見て、クロマは愉しむような笑みを浮かべた。
「任務一筋の真面目クンに、ハナっから演技なんて期待してねぇよ。最低限の台本覚えてくれりゃ、後は俺がフォローするって」
ロシュは既に、クロマの侮辱に一々反応する気力が湧かなくなっている。その代わり、深く大きなため息をついた。
「とりあえず、詳しく説明するぞ。まずマロクについてだが、過去に黒魔術に関連する組織に所属していたという設定にしてある。大臣がその事に気づくよう仕向けて、懐に入り込んだってわけだ」
「なるほど……。他に聞くことが多すぎて流してたけど、一使用人として潜入したお前が大臣に接近できたのは、そういうことだったのか。黒魔術に関連した組織とのコネクションを餌にしたわけだ」
「そうだ。これから俺は、大臣に昔付き合いのあった術具商として、能力で顔を変えたお前が、偽の術具を売りつけるんだ」
暫く黙って、ロシュはクロマの計画を脳内で反芻する。
「ありきたりな方法だけど、あの男から金をとることはできそうだな……。でも、悪事を暴くことはできるのか?」
「勿論。あいつが俺をこの身体に入れてくれたから、計画を立てるのは楽だった」
「俺の身体?」
「そう。王女付きの近衛騎士長。あんたの部下は基本的に王女と行動を共にしていて、大臣も付け入る隙がない。だからお前を嬉々(きき)として俺と入れ替えたワケだが……。まず、あんたは大臣と何度か取引をして、大臣の信用を得て、かつ演技にも慣れてもらう。そして頃合いを見計らって、あんたと大臣が取引をしている間に、あの大臣が根城にしている隠し部屋を、俺とあんたの部下達で抑える。そしてそこにいる大臣の娘に、能力を解除させるんだ」
「なるほど……」
一言言ったきり、ロシュは黙り込んでしまった。大臣の信用を得て、クロマが大臣の根城を抑える隙を作り出せるかは、ロシュにかかっている。この作戦は本当に成功させられるのだろうか。
そんなロシュの様子に気づいたらしいクロマ。彼の肩に腕をまわし、顔を覗き込んだ。
「そんなに心配するなって。あんたの記憶を見られる俺が、あんたの実力を見誤る筈ないだろ? この天才詐欺師クロマ様に任せておけって。万事上手く収めてやるって」
得意げなクロマ。そんな彼に、ロシュは冷ややかな目線を向けた。
「その態度がどうにも信用できないんだよ。失敗したら承知しないからな……。本当に頼むぞ……」
それを聞いて、クロマはまるで少年のような笑顔になる。
「おうよ!」
そういって、ロシュの肩にまわしていた手をどけ、その手でロシュの背中を叩いた。
【メモ】
クロマ
酒場デダーファーの地下をアジトにしている詐欺師。正確なプロフィールや経歴は一切不明。容姿から20代後半と思われる。