7.長く長い無関係な話
「それで、どうします?」
「……あの男、完全に狂っていたな」
「ええ、まあ、そうなんですけどね……」
王太子殿下が狂っているという表現はかなり近い。前回の時に比べても異常と言っていい。
考え無しではあったが、ここまでではなかったはずだ。
「原因は……思い当たる部分はあるが、とりあえずは聖女試験の方か。第一試験は問題無いのか?」
「前回と同じであれば適性試験のようなものなので大丈夫かと」
「ふむ。他の者を見た限りでは全員問題は無さそうだったな。高い適性となると極僅かだが」
「やっぱり分かるんですか?」
「勿論だ」
流石『冥府の王』。生命を司る『偉大なる竜』の眷属でもある彼からすれば造作もない事なのだろう。
「やはりアンスラックスの姉妹はかなり適性が高い。あの二人に関しては貴様より上だ。後は、ミーティス・ウォークスか。あの娘は貴様程ではないがなかなかだったな」
「後はどうです?」
「それ以外となると……コルリス・ウィンクルムか。普通は適性は伸びないが、アレは努力次第で何処までも伸びるぞ」
「そうなんですか?」
記憶を辿る。確か眼鏡の地味な子だ。男爵令嬢で前回はいなかった。
そういえばこちらの方をちらちらと見ていた気がする。他の人とは違って若干、好奇心が隠せない様子だったが。
「『災厄の王』の『試練』の加護だな。努力を重ね、困難を乗り越え、襲い来る『試練』に打ち勝つ事で常人には至れない領域に到達することも可能な加護だ」
つまり試練に打ち勝てなかったら死ぬんですよねそれ。
私の顔を見て察したのか、何とも言えない表情をする『冥府の王』。
「ああ、まあ……大体の人間は10を数える前に『試練』で死ぬが……あの歳まで生きているということは相当な才覚の持ち主だぞ」
「そうなんですね……」
とてもそうは見えなかった。人は見かけによらないというわけか。
魂自体が見えるらしい『冥府の王』からすると私とは違うものが見えるのだろう。
「ああ、『試練』を越える度に比較にならない程肉体と魂が成長する。一度だけ『最終試練』に打ち勝った者を見た事があるが……人類史において唯一、カルブンクルスに並んでいたかもしれん。魔法抜きなら同等だろうな」
それは尋常ではない才能だろう。というより、『冥府の王』ですら1人しか見た事が無いのか。
おまけに押し付けるのに全く心が痛まないというのがいい。聖女も王太子殿下も『試練』としてぜひ頑張って欲しい。
「まあ、控えめに言っても聖女どころか人類の英雄足り得る器だな。奴なら放っておいても聖女になりそうだが」
「なら、聖女役は任せても良さそうですね。……後は王太子をどうするべきか……」
「そうだな……」
ドアをノックする音。一体誰だろうか。従業員が勝手に入るということも無いだろうし、食事にはまだ早いはずだ。アウロム様から連絡があるとすれば『冥府の王』に直接来るだろう。
『レジーナさん?リーデレ・マルモルですわ。突然申し訳ないのだけれど、よろしいかしら?』
婚約者様だ。恐らくは記憶を引き継ぎ、王太子殿下に対しては別段恋愛感情も持っておらず話の通じる貴重な人だ。
「はい、すぐ開けます!」
「ごめんなさいね。本当はちゃんとした時間を取りたかったのだけれど、急いだ方がいいかと思ったの。……貴方達は下がってなさい、この方達と大事な話があるの」
「はっ、かしこまりました。何かあればお呼び下さい」
動きの端々からちゃんとした訓練を受けた護衛なのが分かる。
王太子殿下の護衛は殆ど取り巻きと言った方が良いような面々だった。本当に酷かった。
安全面から言えば素性の知れた者を使うというのは道理なのだが、縁故が強すぎて差別意識は高く能力の低い方々が集まってしまったのはいただけない。
リーデレ様は護衛が下がり、ドアが閉まったのを確認すると私達に向かって深々と頭を下げた。
「この度は殿下がご迷惑をおかけして本当に……」
「あ、頭を上げてください!」
「うむ。貴様が頭を下げるようなことでも無かろう」
彼女程の貴族が平民に向かって頭を下げるなどというのは殆ど無い。
それに、彼女に全く非はないのだ。全部王太子殿下が悪い。こんな素晴らしい女性を放っておくとか一回死んだ方が良い。
「いいえ、カルブンクルス公爵にとって大事な方です。礼を尽くすのは当然の事ですわ」
「あの、私はもう侍女も辞めたので別に……」
「だとしても、です。普通の侍女であれば護衛に彼を付けるということは無いでしょう」
「ん?我を知っているのか?」
「勿論です。改めて……初めまして、偉大なる『冥府の王』。リーデレ・マルモルと申します」
「ふむ、いかにも。我こそは偉大なる『冥府の王』。レクス・フィエリドラコ・グランフォレス・ネテルウォールドだ。……軽く姿を偽っていたとはいえ、よく分かったな」
驚いた。カルブンクルス領では学校の社会見学の授業で一回は見るから大体知ってはいるが、王都の住人、それも貴族の方が角を隠した状態の彼を一目見て当てるとは。
「その魔術紋、目の色、御尊顔から『冥府の王』だと分かりました。文献に残る記述通り素晴らしい方で光栄ですわ」
「うむ。奴の婚約者にしておくのが勿体無い程出来た女だな。……本当に勿体無い」
「勿体無いお言葉、ありがとうございます」
彼女曰く、過去の文献や目撃情報、神話などの情報から前々からカルブンクルス領に『冥府の王』が度々訪れるというのは知っていたそうだ。
特徴的な身体の入れ墨、目の色、肌の色などの特徴と人間離れした魔力で『冥府の王』だと判断した、ということらしい。
「マルモル家の3代前の当主の姉が、詳細な姿絵を残していたのが大きいかもしれません」
「3代前の姉……ああ、あの女か」
「御存知なんですか?」
「貴様の名前の元ではないか。レジーナ・レガリア・グロウメイズ……レジーナ・マルモルか」
「レジーナ王妃殿下ですか!?」
当時の第2王子のみを残して継承権のある王族を1人残らず処刑し、王の血をほぼ根絶やしにした女傑。
コーラルお嬢様の暗殺を企てた連中も根こそぎにして仇を討ってくれた大恩人だ。
何の因果か、今生での私の名前でもある。名付けたのは孤児院の院長なので私にどうこう言われても困るのだが。
「……なんで王太子殿下なんかと婚約を」
「……レジーナさん。流石に不敬が過ぎますわよ」
「いえ、つい、その……流石に今日のアレを見ると」
「気持ちは分かりますわ。"前回"の影響なのか、私が何を言っても聞こうとはしませんのよ」
「やっぱり、記憶がお有りで?」
「カルブンクルス公爵様は公平な方ですもの。殿下だけに有利になるような事はしないとは思ってましたが……『冥府の王』を婚約者にするというのは想像を遥かに越えましたわね」
「うん?それはカルブンクルスとは関係無い。我がレジーナが良いと思ったから婚約を申し出たまでだ」
リーデレ様が扇を取り落とした。ポカンと口を開け、とても令嬢らしからぬ状態だ。
「……そう、なんですのね。羨ましいですわ」
「そうでしょう。見ての通り顔も良くて凄く強いですからね。国が束になってきても敵わないですよ」
「比喩じゃないのが恐ろしいですわね」
「おまけに、私の為に同じ時間を生きてくれると言うんです。恋愛を考えていなかった私も、少し思うところがありまして」
「良いですわね……私も、公爵家に生まれなければそういった道もあったかもしれませんわね」
「……婚約を解消するというのは?」
「悪くありませんが、あの様子だと王族が絶える事になりそうですわね」
確かにそれは問題だ。今現在、王太子殿下以外に継承権のある王族はいない。
遠縁の遠縁、という具合に探す羽目になるのだろうが、王族の血がほぼ絶える事になる。
「絶えんぞ?」
「え?」「はい?」
「王太子とやらを見て分かったが、奴が死んでも初代国王の血は絶えん。血の濃さで言えばリーデレ、貴様が一番色濃く引いているくらいだ」
……どういうことだろうか。というより、聞いていい話なんだろうか。
「どういうことですの?」
「どうやら途中で王族の家系を乗っ取った輩がいるようだ。今の王家は隣国の血を引いている。『冥府の王』として断言しよう。……奴に初代国王の血は流れておらん」
大問題だ。王家の正当性が全く覆る話だ。
通常であれば証明する方法など無いが、『冥府の王』が言うとなれば話は違ってくる。
「……では、絶えてもいいと?」
「我が味方するとすれば、貴様の方を味方するぐらいだ。初代と同じように"正当性"を与えてやっても構わん」
初代国王はカルブンクルス家の後援を受け、『冥府の王』よりあらゆる命を絶つ『断命剣』を与えられたのが始まりだという。
もし『冥府の王』が正体を明かし、今の王家から『断命剣』を取り上げ、別の一族に渡したなら?
多くの者は困惑するだろうが、カルブンクルス家は恐らくその一族に味方するだろう。
『冥府の王』がそうすると決めたのであれば、アウロム様はきっと受け入れるはずだ。
そうなれば今の王家は実権を無くす。カルブンクルス家と『冥府の王』。神話の存在を相手にして正当性の証明を争う人間はいないはずだ。
仮にいたとしても、すぐにいなくなるだろう。『死』を与えられれば実に物分かりが良くなるものだ。
「……最悪の事態となれば、お願いするかもしれません」
「そうならないことを願うばかりだ。……考えたくはないが貴様とアレが子を成せば、初代国王の血を引くことにはなる。そうなればこの国が滅びる事もあるまい」
思わずリーデレ様と顔を見合わせる。滅びる?国が?
「え、あの、滅びるんです?初代国王陛下の血ってそんなに大事なんですか?」
「『冥府の王』のお言葉を疑うわけではありませんが……国が滅びるとまでは聞いた事がありませんわ」
血統からなる正当性は大事ではあるが、それが原因で滅びるということがあるのだろうか?
「我とカルブンクルスと初代国王と当時の聖女の四名で行われた契約儀式は王族の血に宿る。血が絶えれば契約も無くなる。契約が無くなればこの地にかけられた魔術も解ける。かけ直す事は可能だが、それまでに起こる災害は防げんだろうな」
「あの、具体的には何が起こるのですか?」
「封じていた神獣と『迷宮』が復活する。神獣は手間がかかるだけで大した事ではないが、問題は『迷宮』だ。アレは『災厄の王』の『大試練』の1つでな、我単独では封印もできない代物だ」
「……そんなものがあるんですね」
「曲がりなりにも我と同格の存在が全力を尽くして創り上げた代物だ。大半の魔法は封じられる上に、一定以上に強い存在を感知すると強力な魔獣を生み出す。流石のカルブンクルスでも苦戦するだろう」
楽をしようとしてはいけない、ということか。『災厄の王』の試練だけはある。
「……私の血がそれほど重要とは思いませんでしたわ」
「あまりに薄まると我にもどうなるかは分からん。が、貴様程色濃く受け継いだ者がいるのであれば問題はないだろう。伝えておいた継承の儀を行えば多少薄くとも王族の血が活性化するからな」
「あっ」「えっ」
リーデレ様も思い当たったらしく、顔色が悪くなった。
すみません『冥府の王』。その儀式何十年か前に廃止されてます。
その事を伝えると『冥府の王』は椅子に深く腰掛け直し、天を仰いだ。
「そうか……我も奴も干渉しない事を決めたとはいえ、ここまで手が及んでいたか……」
少し落ち込んだ様子の『冥府の王』を見て、リーデレ様が立ち上がった。
「……偉大なる『冥府の王』、ご安心下さい。私が何とか致しますわ」
「リーデレ様……」
「私が女王となります。現在の怠惰な王族を廃し、真なる王家を創り上げます!」
素晴らしい。素晴らしいがぜひとも私の関係無いところでやって欲しい。
私の思いを他所に、リーデレ様は『冥府の王』と今後の作戦について夜遅くまで話し合うのだった。