2.理不尽に復讐を
目を覚ますと私は、つい数週間前に引き払ったはずのカルブンクルス領の侍女棟の自室にいた。
「いや、何でもありですかあの人」
時間を戻すのも、記憶を消すのも、理屈の上では可能だ。
必要な術式や魔力を考えれば人類総出で数千年の時間をかけて数秒戻せたらいい方だろう。
記憶を消すのも良くて廃人、悪くて幼児化だ。
勿論、それらの魔術も個人個人に抵抗された場合は必要な魔力は倍以上になる。
……『やってみてできなかったのは"やってみてできなかった"ことくらい』というのも、あながち冗談では無さそうだ。
「……準備、しなきゃいけないかなあ」
外を見るに時間は夜。部屋の日記から日付は聖女試験に向かう一ヶ月前。
これは準備期間に当てろというアウロム様の優しさだろうか。
記憶が消えないのは分かっていた。アウロム様はこういった場合に不公平な事はしない方だ。
ああ言ったのは恐らくは王太子殿下に対する牽制だろう。
王太子殿下以外の記憶が消えていると思えば行動は慎重になるはず……なるはずだ。
ともかく、私が解決しなければいけないのは4つ。
『1.聖女になるのを阻止する』
これは簡単だ。
一次試験は『適性試験』。
結界の展開と維持を実践形式で行った。
元々適性がある人達な以上、ほぼ最終確認のようなもので当然、全員合格だった。
二次試験は『祈りの試練』。
人の感情で育つ特別な植物に祈りを捧げた。カルブンクルス領で見た覚えのある植物だったので簡単だった。
何人かが辞退し、数人が期限の3日を過ぎても育たず、脱落した。
三次試験は『選別の炎』。
と言っても、神殿にある『選別の炎』の中を通るだけだった。
あまり知られていないが『選別の炎』は『冥府の王』の神器であり、罪を犯した者を焼き尽くす。
ここで他の候補者に嫌がらせをしていた人間が残ったせいで私が残ってしまい、試験終了となった。
つまり、三次試験の『選別の炎』で私以外の候補者が"焼かれた"のが問題なのだから、焼かれない人間を最終試験まで残せばいい。
二次試験終了までで嫌がらせや"事故"などで辞退してしまった彼女達を残せばいい。
後は最終試験まで持ち込めば、適当な理由をつけて聖女の座を辞退すればもう聖女補佐だ。
『2.王太子からのふざけた求婚を回避する』
好意を持たれた理由が分からない。
二次試験から様子を見に来ていたが、他の候補者と違い私はまともに関わっていなかった。
むしろ冷たく、粗雑に扱っていたと思ったがそれがよくなかったのだろうか。
だからと言って媚びを売る気にもなれない相手だが。
『3.王太子の婚約破棄騒ぎに巻き込まれないようにする』
……厄介だ。私が原因で婚約破棄騒動が発生したとなれば王太子を振ったところで平民の私は殺されかねない。
私が聖女にならない以上、結婚難易度は跳ね上がるのだがあのボンクラ王太子は気付いているのだろうか。
勿論も妾も側室もごめんだ。政治に関わりたくない。個人的にも関わりたくない。
私にとって王家は唾棄すべき存在でしかない。
『4.カルブンクルス領での侍女復帰を阻止する』
一番厄介だ。もし、アウロム様が本気ならどうしようもない。
幸い、私の自由意志を優先してくれるだろうが聖女補佐になれなければ場合によっては侍女に復帰しなければならないかもしれない。
侍女にならなくても生活はできるが、生活のレベルは下げざるを得ない。
そしてそれは、私の幸福には程遠い。
「……どうしてこうなった」
手帳に一通りの情報を記入し、私は1人溜息をついていた。
聖女試験を受けない、という手もある。現時点では応募しただけなので辞退は可能だ。
けれどそれは良いとは言えない。
悠々自適な生活がしたいのもあるが、王太子殿下が私を探し始めたら一巻の終わりだからだ。
思わず唸り声を上げると、ノックの音が聞こえてきた。
『どうしました?唸り声が聞こえましたが、具合でも悪いのですか?』
「……いえ、なんでもありません」
侍女長だった。相変わらず神経質なくらいに耳が良い。
そして部下思いで察しが良い。
こういうところは、この領は150年前から何も変わっていない。
同僚とも争うことは無く、陰湿なイジメや嫌がらせもない。
困っていれば皆で助け支え合う。
それができるのは非常に豊かだから。
飢える心配はなく、寒さに凍えることも、暑さに倒れることもない。
仕事はいくらでもあるし、食うに困れば配給食もある(ただし栄養優先。曰く、『味は煮詰まった泥』)。
怪我をしても領民であれば払う額は一定、それも極少額。
現状にも、未来にも不安がない。
カルブンクルス領が平和な理由だろう。
『レジーナ。私としてはこれからも。貴女に侍女の仕事を続けて欲しいのですが、どうしても辞めるつもりですか?』
「……1人で暮らしていくだけの貯金はできていますから」
『そうですか。貴女がそこまで言うなら止めません。が、戻ってきたくなったらいつでも手紙を送ってきなさい。貴女程の侍女ならいつでも歓迎します』
「ありがとうございます、侍女長」
侍女長が遠ざかる気配がして、私は大きく溜息をついた。
私が侍女を続けない理由はもう一つある。
侍女を続けるのが辛くなったからだ。
150年前からの思い出が残るこの屋敷。
孤児だった私には選択肢はあまりなかったとはいえ、ここで過ごすのが苦痛だった。
『彼らの狙いは私です。さあ、早く……娘を連れて逃げて』
……嫌な記憶が蘇る。
お嬢様を置いて逃げた、150年前のあの日から私の時は止まっている。
幸いというべきか、私と私のお嬢様、コーラル・カルブンクルスの仇は既に討たれていた。
当時の王妃殿下と、コーラル様の娘であるアメティスタ様が計画の主犯と関係者を一掃してくれたらしい。
『血染めの女王』などという汚名を被せる羽目になってしまった王妃殿下には、申し訳無く思う。
まあつまり。私が討つべき仇は最早欠片程もなく、私が冥府で拘束されながら怨嗟を振り撒き続けた約150年は、全くの徒労だったということだ。
転生後の歴史の授業中にその事実を知り、思わず泣き出してしまったのは記憶に新しい。
早い話が、私は振り上げた拳を下ろす先を見失ってしまったのだ。
「偉大なる『冥府の王』。貴方より戴いたこの人生ですが、やはり私には『より良き死』は難しいようです」
窓から空を見上げる。
私にとっての『より良き死』。
満足行く人生。幸福な人生。未練無き最期。安息たる終焉。
私にとっての幸福とはなんだろうか。
思えば、振り回されてばかりの人生だった。
孤児に生まれた後は流されるままに学校へ通い、成り行きで侍女になり、推薦されて侍女頭になり、主の目に留まって侍女長補佐にまでなった、
言われるがままに仕事をこなし続けていた、愛も恋もない、理解できていない小娘だった。
そして今、金欲しさに選んだ聖女補佐の道も身勝手に振り回されている。
私を無責任に好きだと言う王太子殿下。
巻き添えで婚約破棄された令嬢からは怒りを買ったことだろう。
なりたいわけではなかった聖女認定も、結局は周りの候補者の身勝手の結果だ。
アウロム様ですら、私の侍女再任を遠回しに願っている。
私は、もう嫌になってきた。
顔色を伺う人生も、誰かの言いなりも、不要な好意も、無用な名誉も、立場も、地位も。
私に必要な物は多くない。
一つは金。遊び暮らすのに必要な金額があればいい。幸い、カルブンクルス領特有の『銀行口座』には金利が付く。一定額あれば十分だ。
一つは恋人。人生の潤いには恋人が必要だと、『冥府の王』が言っていた。あまりアテにはならないが仮にも死を司る『冥府の王』の言だ。無下にするには忍びない。きっとその手の後悔を抱えた死人が数多くいたのだろう。多分。
一つは平穏。前世における私はカルブンクルス家の侍女長補佐として様々な陰謀、犯罪に巻き込まれてきた。挙げ句の果てにはお嬢様を狙った賊に襲われ、結果として命を落とす羽目にまでなっている。そんなことは一度で十分だ。
私の人生は、私が決める。
不思議なもので、そう決意した途端にやる気が湧いてきた。
やってやろう。私に不可能は無い。
王太子殿下の心を折ろう。
聖女候補者の無駄な争いを封じよう。
アウロム様が二度と侍女にしたいと言わないようにしよう。
そして都合の良い男を捕まえて悠々自適の生活をするのだ。
空に輝く満月に、私は誓った。
―――――私を振り回す全ての人間に後悔させてやろう、と。