私、霊感が強いんです
「ねえ、知ってる? 終電の後に来る最終列車。それは、死にゆく人を乗せているの」
「ああ、よくある。定番だね」
男性の相槌に、話し手の若い女性が気色ばむ。
「定番なんかじゃない。その列車に乗り遅れると助かるの。そしてついうっかり乗り込んでしまった場合は途中下車するのよ」
「なんだ。じゃあ、仮に乗ったとしても助かるってこと?」
今度は中年女性が合いの手をいれる。彼女はいくらか真剣に聞いているようだ。
「運よく、途中下車が出来て、過去の清算をすませられればね」
「過去の清算?」
「人は思わぬところで恨みをかっているのものなの」
待ち時間になぜか怪談話が始まった。この業界は必ず現場に一人、「私、霊感が強いんです」とかいう奴がいる。今回は20代前半の女性だ。
くだらないと思い。ペットボトルの茶を飲む。有名な都市伝説らしいが、もう充分だ。飽き飽きした。そろそろ、席を立つころあいだ。
「あの、佐藤さん、最近トラブルありませんでした」
出し抜けに、その霊感があるという20代半ばの女が話しかけてきた。すると話の輪に入っていた数人が振り返る。思わぬところで注目を引いた。
「特にこれと言っては」
関わりたくないな。それが本音。
「右肩重くありません?」
「ちょっとやめてよ」
自称霊感があると言う奴は自己承認欲求が強い。それを満たしたいがために私を巻き込むのはやめて欲しい。迷惑だ。
「最近、というかここ数年、いかがわしい場所に出入りしませんでしたか?」
「はあ?」
「そこから、憑いてきてますよ」
「馬鹿らしい」
鼻で笑って席を立つ。生まれて20年たつが、幽霊など見たこともない。それにいかがわしいのはこの業界全体だ。
「あなた、恨まれてる。霊はそうやって、あまり馬鹿にしない方がいい。じゃないと引きずり込まれるよ。特に終電に気を付けて」
信じない私のことが面白くないようだ。脅し文句を投げかけてくる。こういう輩いつもそう。
どうも最近なめられているようだ。こういう系の女子によく絡まれる。だから、エキストラの仕事は好きじゃない。
撮影は深夜に終わった。
もう終電には間に合わないからと、深夜のファミレスで時間をつぶす事をすすめられたが、私は誘いを断って駅へ向かう。
もしかしたら終電に間に合うかもしないから。
仕事だって済んだのに、朝まであんな連中といるなんて時間がもったいない。あなたに霊が憑いているなどというおかしな女がいるから余計だ。一晩中くだらない怪談につきあわされるなどごめんだった。
撮影と言っても、私は女優ではないし、タレントでもない。ただのエキストラだ。今いるのはモデル事務所。しかし、モデルの仕事はほとんど来ない。いいとこWEBCMの仕事が来るくらいだ。演技は素人だし、少しまともにできるのはポージングだけ。
高校の頃は友達に「里紗は美人でスタイルよくて羨ましいよ」などといわれ調子に乗って勘違い。見た目に過剰に自信をもち、モデル事務所を受けた。しかし、面接では特待生に選ばれなかった。
やむなくバイトで貯めた十万を分割で払い込んでレッスンを受ける。特待生ならば、無料なのに……。
レッスンは毎週原宿で行われた。私はくすぶる。なぜ私の良さが認められないの? あんな子よりよっぽど私の方が綺麗。モデル事務所に入って初めて嫉妬心に苛まれる。この頃の私はいろいろと勘違いしていた。この業界可愛い子など掃いて捨てるほどいる。
そんな時、スカウトから声がかかった。レッスンへ行く途中声をかけられたのだ。ここで芸能人がよくスカウトされると聞いたことがある。スカウトマンは男性一人で見目がいい。彼は布田と名乗った。
もらった名刺にはアーバン・クラフトあった。聞いたことがない。少し不安に思っていると、母体は別にあると大手事務所の名を告げられた。それを聞いて私は少しほっとする。
「あの、レッスン料とか登録料とかかかるんですか?」
場所によっては20万くらいする。
「まさか、君はスカウトだから、ただでレッスンを受けてもらうよ」
私は二つ返事でOKした。きっと今いるモデル事務所のカラーではなかったのだ。妙に腑に落ちる。
すると契約書を交わしたいからと事務所に誘われた。聞けばすぐ近くにあるいう。いいや、今日のレッスンはさぼってしまおう。私は早々に決断した。
言われるままについて行くと古ぼけた雑居ビルの一室に連れていかれた。オフィスビルと言う感じはなく、造はマンションのようだが、どの部屋にも表札はなく、会社名が書かれたプレートがかけてある。今いるモデル事務所とそこらへんは同じだ。疑う気持ちもあったが、別段違和感はない。
入ってすぐが応接室になっていた。中には五、六人の男性がいて、電話対応など忙しそうにしている。
少し奥を覗くと、少し化粧は濃いが綺麗な女性事務員がいた。きっとモデルあがりだろう。男性ばかりではないことに少し安心した。しかし、女性が一人とは……今いる事務所は女性の方が多いので、少し気になる。モデル事務所にしては男女比率おかしくない?
「コーヒーがいい? 紅茶がいい?」
紅一点の女性事務員は山田名乗り、私に声をかけてくれる。
コーヒーをお願いする。茶菓子もだしてくれたが、生憎いまはダイエット中で手を出すわけにはいかない。
彼らはとても感じがいい。今のモデル事務所の人は、みな仏頂面で感じが悪い。スカウトだとこうも違うのなのだろうか。久しぶりにちやほやされて、ちょっとした満足感を味わう。
コーヒーとともに契約書も出された。考える時間もないことが気になる。そしてとにかく彼らは私を褒めてくれた。
「私、今日、印鑑持ってないんですけど」
契約書を書きかけた手を止める。いつも判子を持ち歩いて人間などいないだろう。
「ああ、いいよ。拇印で」
「え? ぼいんって何ですか?」
すると指に朱肉をつけて押すと笑いながら説明してくれた。手が汚れるのが嫌だなと思う。それに、どうしてそんなに急いでいるんだろう?
そのときスマホがバイブした。ちらりと確認すると今いるモデル事務所からのメールだ。きっと仕事のメールだ。何だかんだ言って、今のところは大手事務所だ。内容が気になるが、ここで見るのは失礼だろう。
「ちょっとトイレに」
私は、そう断って私は席をたつ。
すると女性事務員が「ここの事務所のトイレちょっと今使えないのよ。ビルのトイレでいい? 一回事務所をでなくてはならないけれど」
彼女が先に立って案内してくれる。私は廊下をついていく。トイレは廊下右手奥にあった。ついてきてもらうほどでもない。やけに親切だ。
「あの、大丈夫です。場所さえわかれば一人で行けますか」
「そう?」
そういいつつ彼女はトイレの入口の前で待つようだ。そこまでされると、なんだか違和感がある。監視されている? 私は個室に入って、すぐにメールを開けた。
『アーバン・クラフトの布田と名乗る。偽モデル事務所のスカウトに注意してください』
そんな注意書きから始まるメールを読み私は慌てた。同じ事務所の子が被害にあったとのこと。私は今とてもやばい状況にいる。とりあえず深呼吸をして気持ちを落ち着かせる。
個室の扉を少し開け外を窺う。トイレの入口の廊下に山田がこちらに背を向け、待機しているのが見えた。
彼女は私が逃げないように見張っているのだ。やばい、どうやって逃げよう。トイレの窓を開けて下を見る。ここは二階だが、幸い隣の建物の室外機を伝って逃げられそうだ。
荷物はどうする? レッスンバッグを事務所に置いてきた。しかし、貴重品は身に着けている。契約書の住所も途中までしか書いていない。私は覚悟を決めて窓から逃げることにした。