卯月の息吹【6】
演劇部の会場は生物講義室だ。近くまで来ると、何やら騒がしい。既に説明会が始まってしまったのだろうか。文芸部が思いの外早く終わったので、まだ定刻八分前だが。
扉を開けると左手に壇があり、その上に五人ほどの演劇部員と思わしき人達が立っていた。その内の一人の女子が俺らを確認した途端、駆け寄ってきた。
「ボンジョルノ〜!あっ、それともスラマッパギが良いかな?」
……いきなり何だ、その挨拶は。イタリア語だかインドネシア語だか知らないが、俺らはれっきとした誇り高き日本人だ。
「あ!さなっち来てくれたんだ〜!ありがとっ!」
こんな奇天烈な登場の仕方にも関わらず、小鳥遊は驚きはしたものの、怖がってはいないようだ。だいぶ親しいのだろうか。
「あっ…雛田先輩。こんにちは…。」
「まさか本当に来てくれるとはね〜。で、その男子誰よ?まさか彼氏?」
雛田さんとやら。あまり変な冗談を言わないで頂きたいね。見ろ、小鳥遊が今にも蒸気を発しそうな顔で慌てふためいているではないか。
「どうも。一年A組の永瀬聡です。彼氏ではないんですが…。」
「まっ、そうだよね!さなっちに彼氏なんて出来たら、あたしが知らないはずないし。」
そこまで言って、ふと自分がまだ名乗っていないことに気付いたようだ。
「あっ、そうそう名前ね!あたしは雛田愛美。演劇部の部長で、さなっちとは小さい頃からの付き合いなんだ!」
「さっき言ってた先輩か?」
そう訊くと、小鳥遊は我に返ったようで、小さく頷いた。
およそ察しはついていた。どう見ても彼女は『明るい変人』そのものだ。巻かれた長髪に、花の髪飾りを付けている。
「ささっ!適当なとこに座って!もうすぐ始まるからっ。」
と俺らに着席を促すと、彼女は壇上に上がり説明会を始めた。
「時間なので始めます!演劇部へようこそ!私は演劇部部長の雛田愛美。まあ大体分かってると思うけど、演劇部はその名の通り、演劇をする部活。年に二回の公演に向けて日々練習しています!今日は、わざわざ説明会に足を運んでくれた皆に、短い劇を披露するね!」
そうなるであろうことは分かっていた。しかし、俺は興味のないものに集中することが苦手なのだ。小学生の頃、芸術鑑賞の学外授業で児童向けミュージカルを観た際に、あまりの退屈さに眠ってしまった記憶がある。だが今回の場合は、あくまで我々が演劇部に興味があるため赴いた、という体だ。この場で眠ってしまうのは、あまりに失礼だろう。
俺が睡魔への決死の抵抗を決意したと同時に、劇が始まった。三人の不良らしき格好をした男子が壇上に上がる。どうやらバイクに乗っているという設定らしい。一人の兄貴分と二人の舎弟のようだ。
「ブンブン!おめえら、ぶっ飛ばすぜ!」
「ブンブン!兄貴、法定速度3kmオーバーっすよ!」
「ブンブン!兄貴、俺ぁまだ減点されたくないっすよ!」
随分と臆病な不良もいたものだ。まあこの様なネタは以前にも見た気がする。しかし、何で見たかは思い出せない。思い出せなくても構わない。
━━気付けば劇は終わっていた。眠っていたわけではない…と思う。真面目に見ていなかったのだ。
「ありがとうございました!今の劇で少しでも興味を持っていただけたら、是非仮入部にお越しください!」
挨拶を終えて降壇した雛田先輩は、俺らに謎のウィンクを送った後、既に教室前に待機していた次の説明会参加者の列を捌きに行った。
生物講義室を出た俺らは、そのまま社会科講義室へ向かう。
「悟くんは演劇、あまり好きじゃないの?」
突然、訊かれる。
「いや、好きでも嫌いでもないが…どうしてそんなことを?」
「凄くつまらなさそうだったから……。」
付き合わせてしまって申し訳ない、という思いが声色に滲み出ている気がして、俺は何だか悪いことをした気分になった。
「いや、こう見えて演劇とかそういった類のものは好きな方だ。そうだな、小学生の時にも見に行ったぞ。」
こう見えても何も、出会って一時間程度の彼女に自分がどう見えているのかなど、知る由もないのだが。
「そうなの?良かった〜…。」
どうやら安心したらしい。なかなかに気を遣う性格でもあるようだ。しかし、面倒だという印象は感じられなかった。何故なのか。
やめだ。他人の分析をするには、まだ早すぎる。俺は彼女のことを知らないし、彼女も俺のことを知らない。そう思い直し、出会って一時間程度の小鳥遊沙奈枝と肩を並べ、眼前の忌々しい階段を登り始めた。
お久しぶりです。
誰も読んでいないと思うので、自分の小説を読み返しているかもしれない未来の自分へ宛てて後書きを書いています。
今回は演劇部の説明会の様子をえがきました。
ちなみに階段を忌々しいと形容したのは、聡の体力を使うことは嫌いであるという性格による表現であって、決して私が階段を登るのが嫌いだとか、はたまたエスカレーター付きの学校もあるのになぁ…とか思っていたという訳では無いですよ?