96話 フェアリーテール・玄霧の魔竜
最初に…、其の竜の姿を見た者は居なかった。
抑も、竜かどうかすら解らなかった。
其れは、黒い霧に覆われていた。
霧は小さな国一つ程ならば軽く覆ってしまう程の規模だった。
霧の中からは、竜と思わしき咆哮が時折聞こえる事から、辛うじて其れが竜だと連想させるものだった、否、他の三頭が竜であった為にコレも竜であるのではないか?と思うしかなかったのだ。
大きさの解らない其れの姿を確出来なかった人々は、咆哮だけを頼りに其の姿を捕えようとした。
しかし其の姿を見る事は無かった、人々は姿の見えない竜に対して考え得るありとあらゆる方法で攻撃を試みる。
しかし、物理的な攻撃も魔力的な攻撃も一切通じなかった、当然だ、姿の見えない相手にどうやって当てる事が出来ると云うのか。
抑も黒い霧の正体が解らなかった、得体の知れない霧に、人々は恐怖し、触れる事さえ叶わなかった。
誰かが霧その物が人体に影響を及ぼすかどうかを調べる為に、霧の中に飛び込むしかなかった。
意を決して1人が霧の中へと飛び込む、入って直ぐに大きく息を吸って霧を吸い込む、霧に毒素があるかどうか文字通り体を張って確かめる為だ。
霧を吸い込んで凡そ1分程が経過した時、其れは突然起こった。
何かが身体を蝕んでいった、徐々にでは無く急激に…、即効性のある何かに…。
最初の1人が霧の中へ入って2分足らずで命を落としたのだ。
人々は其の命を無駄にしない様、様々な可能性を想定し、対策を取って霧の中へと飛び込む、人々は次々と其の命を散らしていった。
だが、全ての人が命を落とした訳では無かった、幾人かの生き残りが居たのだ。
生き残った人々の身体に受けた影響を調べ始める。
受けた影響は様々だった、身体に不調を訴える者が殆どで症状の重い者から軽い者、一切影響の無かった者まで居た。
其の結果を得た人々は、霧その物の正体を見極める為の研究を始めた。
当たり前の様に一筋縄ではいかなかった、研究とは云っても霧を採取しようにも霧に触れて死ぬ者も居るのだ、そんな簡単な事では無いのは解りきっていた。
一向に先に進まない研究を繰り返し続ける。
しかし時間を掛けている場合で無い事に気付かされる。
霧の範囲が広がっていたのだ。
緊急を要する事態と判断した人々は、研究を続けたまま他の竜と戦っている者達に此までの研究の成果に対する意見と知恵を借りる為に各地の仲間の元へ送り込んだ。
時が流れる事、幾星霜。
黒い霧に覆われた此の大地に、1人の女性が数千もの仲間を引き連れて現われた。
薄紫の長い髪を風に靡かせ、ヴァルキリーメイルを身に纏った女性は…。
『ああ、成程、此は…駄目ね。』
味方の陣営が設置されている場所は霧の発生場所から30キロ以上の距離を取った所にある、霧が何時接近してきても云いように距離を取っていた。
『魔力の塊、其れも魔法の才能や教養を受けていない者にも見える程に具現化した魔力。』
女性は到着早々に、研究者達が理解出来なかった謎を解明してしまったのだ、其れもその筈、研究者は魔力と云う言葉に聞き覚えが無かった、此の地で戦ってきた人々は、魔法と云う存在がある事を知らなかったのだ。
『治療師隊、此処の医療班を連れて魔力に触れて制御出来なくなってしまった人の魔力の調整を、素質のある人も無理をしていないかしっかり診察する事。
魔術師隊は研究者に魔法の知識と魔力の制御の方法を叩き込んであげて、決して無茶はさせない様に、呉々も治療隊の手を煩わせないでね。』
女性は連れて来た配下達に的確に指示を伝える、まるであの霧の正体が解っているかのように…。
『さて、まずはあの霧の正体を突き止めないとね。』
『え?正体…解っていたんじゃ?』
女性に口を挟んだのは、傍に居た大柄な男だった、其れだけで凶器となりそうな鍛え上げられた全身の肉体、動き安そうな軽鎧を身に纏い、見た事も無い様な装飾を施された、盾の様な、篭手の様な防具が両腕に装着されていた。
『馬鹿ねウルス、此が何かは理解したけど正体が解った訳では無いでしょう?相手は四竜の一角よ?こんな誰の眼にも見える様な魔力の塊、見た事も聞いた事も無いわ、其れをこんな広大な規模で展開させるなんて、ルーンはどうか知らないけれど私の理解の範疇を遙かに凌駕しているわ、此が魔法によって作り出された霧なのか、自然に生まれたモノなのか…まあ其れは有り得ないか…、竜の何かしらの力に影響されて発生したモノなのか、先ずは其れを最優先に確かめなければ、私達は此の戦いに敗北するわ。』
遠目に見ただけで感じた霧に対する感想を述べるシルヴィアナ。
『後で近付いてみましょう。』
そう云って踵を返して陣営内の状況を細かく把握して連れて来た配下達に一通りの指示を出し、霧の視察をする為に3人の男を共に連れて霧の近くまで移動してきた。
『さてと、どうやって採取しようかしら。』
此の霧が物体を通り抜けるのか否かで採取可能かどうかが決まる訳だが…。
其れを試す為には霧に近付かなければならない、触れた者や肺に吸い込んだ者達が死んでしまっている事から不用意に近付く訳には行かない。
『ルーン、魔法でどうにかならない?』
シルヴィアナは連れてきていた共の1人、ルーンと呼ばれた長い耳をした美形の顔を持つ男、ルーン=クリムゾンに相談してみる。
『どうにもなりませんよ、魔法に関する研究はまだ始まったばかりなんですから、大体シルヴィアナ、貴女は魔法に過度な期待を寄せ過ぎですよ?』
男は溜息を付いて自らの上官に当たるシルヴィアナに具申している。
『そんな事言ったって、魔法って凄いじゃない?私は好きよ?奇跡の力みたいで。』
シルヴィアナは瞳を輝かせて子供の様にはしゃいでいる。
先程まで陣営内でテキパキと配下達に指示を出していた人物とは思えない位、砕けた態度で会話している。
『奇跡って…。』
呆れた表情をする男、しかし男はシルヴィアナを軽蔑する様な真似はしない、彼女の力が本物だからである。
『もうっ!貴方は本当に頭が堅いんだから!』
頬を膨らませて怒るシルヴィアナ。
ルーンはヤレヤレと云った感じで呆れている。
『シルヴィアナ、ルーンの頭の堅さは置いといて話が先に進でおらん、遊びに来ている訳ではないぞ?』
別の1人がシルヴィアナを咎める。
『うっ、ファネルまで、…わ!解ったわよ!ちゃんとやればいいんでしょ!?周囲を探るわよ!ルーンとファネルは西側!私とウルスは東側!最初だから何かあっても深追いはしないように!1時間で此処に集合!解散!………いや、ちゃんとやっているつもりなんだけど!?』
ファネルと呼ばれた男に促されて真面目に指示を出して探索する事となった…。
いやだから!私は真面目にやってるんだって!?
………
……
…
其れから少なくとも100年は経過した頃。
様々な方法を試した結果、霧の正体が判明する、其れは竜の身体から溢れ出ている竜の持つ魔力其者だった。
気が付いたのは様々な研究の元に安全に霧の中に入れる様になっていた時の事であった。
竜と思わしき咆哮が聞こえたと思った瞬間、視認する事は出来なかったが潜入隊の真上を竜が横切ったのだ。
潜入隊に加わっていたルーンが上空を横切る余りにも膨大な魔力を感知、其処から導き出した結果であった。
其処からは早かった…、異常と思える程の魔力を垂れ流しにしている竜をシルヴィアナは遂に其の竜の姿を捕らえたのだ。
漆黒の鱗を身に纏い、他の三頭とは違う小さな身体、二本の腕と二本の脚、身体から伸びる細長い首の先に付いている頭には二つの眼と二本の角が生えていた。
背中から生えている巨大な二枚の翼は、小さな身体の何十倍もあるかに見える。
其の竜はまるで、人々と共存している竜種、ドラゴンと呼ばれる種族と殆ど見分けが付かない姿をしていた、只一つを除いて。
小さな身体から伸びる細く長い尻尾が、全部で七本あったのだ、太さに余り違いは無かったが、其の一本一本の形が全て異なってた。
竜は云いました。
《我が姿を捕える者が現われようとは思いもよらなんだ、汝、何者か…。》
『我が名はシルヴィアナ!シルヴィアナ=イシュラムノ=リースロート!主神ガルバード=ウィル=ネクロライア=スレイハイドールの配下の1人!』
《シルヴィアナか…、其の主神ガルバードとやらが何者かは知らぬが、我が前に立った者は汝だけである。
汝が其の力、我に示せ。》
こうして漆黒の鱗を纏う竜と直接対決を果たす事となった。
激しい死闘が繰り広げられた、シルヴィアナの傍にはたった2人しか生き残っていなかった、長い長い戦いの末…。
《良かろう、しかと其の胸に刻み込むがよい。
我が名は、幻竜・クレイヴァネアス。
深淵の幻影を司りし、玄霧の魔竜なり…。》
………
……
…
空になったティーカップにメイドが新しいお茶を注ぐ、其れを手に取り口へと運ぶサーラ、音を立てる事無くお茶を啜ると、ティーカップをテーブルの上に置いて…。
「嘗て神々が戦った四頭の竜の一頭、幻竜・クレイヴァネアス、其の名はシルヴィアナと共に戦ったウルス=ユースファストとファネルの3人、其の末裔にしか知らされる事は無かったそうよ。」
御伽噺を聞き終えて。
「クレイヴァネアスは…四竜………、あ、あの、其れで決着は付いたんですか?」
まだ此の御伽噺の結末を聞いていなかった。
「シルヴィアナの末裔として受け継いで来た伝承では戦いは其処で終わったらしいわ、但し、決着が付いた訳では無くクレイヴァネアスは其の場から姿を消し、後の世の歴史の中で遂に登場する事はなかったそうよ。」
何処か誰も知らない場所で眠りに付いている、と云うのが伝えられている、しかし此の数百年の間にある程度の場所の特定が出来ているらしい。
今まで様々な話を聞かされてきたが、此まで知り得た真実の中で大き過ぎる話に衝撃を受けていた…、難し過ぎて頭が痛い。
「…!?」
ふと脳裏に背筋が凍る様な想像が生まれる。
「じゃ…じゃあ欠片って!?」
クレイヴァネアスの欠片って呼んでいたあの欠片は…!?
「そう、貴女が此まで戦ってきた欠片の正体は・・・、神話の時代に神々が戦っていた竜の一頭、クレイヴァネアスから剥がれ落ちた身体の一部よ…。」
サーラから告げられた真実はメルラーナの想像通りだった、先程受けた衝撃に更に衝撃が重なってしまう。
じゃあ私は…、四竜の身体の一部と戦ってきたと云う事!?
「…だ、だって、…そんな、カ…カルラ…、ううん、ゼノディスって人は!?レシャーティンって云う人達は!?鬼って一体…!?そ、其れに何故そんなモノを持っていたんですか!?何の為に!?」
メルラーナは問い詰める様な勢いでサーラに詰め寄る。
「レシャーティンが欠片を持っている理由…か。」
其れは先導者がどう云う存在なのかを伝えなければならないのだけれど、さてどう話したらいいものかしら?メルラーナはディアレスドゥア公国の砦で顔合わせしたのよね?けれど今はまだ関係の無い彼女においそれと話をしていいものでは無いのだけれど…、でも開示すると言ってしまったし。
「…メルラーナ=ユースファスト=ファネル。」
フルネームで呼ばれた、大事な話をする時はよくフルネームで呼ばれる事がある。
「はい。」
メルラーナは姿勢を正して聞く準備をした。
「今の貴女はまだ私達の戦いに巻き込まれただけの少女にしか過ぎないけれど…、此の話をすれば貴女は引き返す事が出来なくなるかも知れない…、強制は出来ないしするつもりも無い、ジルも貴女が巻き込まれる事を望んではいないしね、だから、今からする話を聞いた後で決めて欲しい。」
意味深な前置きを綴り。
「私に託された運命を、私達と共に背負えるかどうかを…。」