92話 雪が吹き荒れる町で…
砦を脱出したメルラーナ達一行はリースロート王国側にある国境の砦へ向かって雪が積もって真っ白になった街道を歩き続けていた。
元々北部である此の街道は真夏の時期でも雪が残る程の気温の低い土地である、ディアレスドゥア公国の砦からリースロート王国の砦までは馬を使っても一週間はかかる距離が有り、徒歩であれば10日以上はゆうに掛る為に移動は推奨されていない街道である、そんな危険な道を歩き続けるメルラーナ達、砦を発ってから既に2日が経過していた、メルラーナは魔人としての覚醒を果たした事で寒冷地で薄着の状態でも全く寒さを感じなくなっていた、寒さを感じなくなったからと云って自身の体温が奪われると云う事も無く体調を崩す様な事も無かった。
一方でミューレィとサイファーは体温の低下により体力を奪われ、疲労が溜まり睡魔にも襲われていた、特にサイファーは左脚をゼノディスに引き千切られ失いまともに歩く事が出来ず、先の戦いで手に入れた槍を杖代わりに使い、更にメルラーナの肩を借りて辛うじて歩いている。
抑も3人は何故徒歩で雪道を移動しているのか?其れはミューレィの提案であった、理由はどうであれ公爵の息子であるニイトスを殺した事は事実であり隠し通す事は不可能である為だ、欠片で暴走した等一体誰が信じるだろうか?ニイトスに留めを刺したメルラーナとサイファーは真実を明かされる事無く処刑されるだろう、2人に同伴していたミューレィにも罪を被せられる可能性がある、喩え伯爵の娘だとしても公爵と伯爵では身分が違いすぎる、下手をすれば有りもしない罪を被せられるかもしれない、追手が掛っているのも確実であり、ならば覚悟を決めて国を去った方が遙かに安全である筈、そういった理由から馬にも乗らずに砦を後にしたのだった。
唯一気に掛るのは残してきた家族の事だ、父親の死も知らされず、ミューレィが姿を消した事で連帯責任を取らされたりしないだろうか?等と最悪な事態を想像してしまう、リースロート王国に保護を求めれば家族の身の安全も保証されるかも知れない、そんな一縷の望みを持って雪道を進んで行く。
それにしても追手が姿を見せないのが気に成る、追手ならば馬を駆って来る筈だ、徒歩と馬では雲泥の差がある、普通に考えれば馬に乗らずに追手を振り切る等出来る筈も無いし、徒歩では疲労が積もるだけで余り先へ進む事等出来ない、2日も経過した今ならとっくに追い付かれてもおかしくない筈なのだが未だに追い付かれている気配が無いのも疑問に感じていた。
只の愚策としか思えない状況だがミューレィには考えがある、砦まではまだ遠いが国境そのものまでは其れ程距離は無く時期に到着する予定だ、其の先はリースロート王国でありディアレスドゥア公国の兵士や騎士と云った軍属が立ち入る事は出来ない領域となっている、通常は国境の傍に両国の砦を建設して違いに見張り合うものだが、山に囲まれた此の国境はリースロート王国側の兵士が物見櫓と山壁を利用した十数人が居住できる建物が建っているだけで壁も何も無い、世界四大国家と呼ばれる国は只強大な力を持っているとか、広大な土地を所持しているとかと云う理由では無く、世界で最初に建国された国家であり、他国からすれば聖域の様な国なのである、故に其処さえ抜けられれば後は安全に移動する事が出来る、其れこそしっかりと休憩を取りながら一歩一歩着実に進んで行けるのだ。
3人は疲弊しながらも何とか国境に辿り着いた。
物見櫓から3人の人影が見えていたのだろう、壁に張り付いた様に見える建物から数人の人が出て来てメルラーナ達に近寄って来た。
騎士風の男性が1人と回りに兵士と思われる人物が4人、メルラーナ達と少し距離をとった位置で兵士は立ち止まり、騎士だけが近寄って来る。
騎士は3人を素早く見渡し…。
「申し訳ないが、此処を通るのであれば身分証を提示して頂けるかな?3人共疲れ切っているのは見て解るのだが一応規則なのでね。」
ディアレスドゥアの言語で丁寧な対応してきた。
「あ…、3人共リースロート語を話せます。」
ミューレィが騎士の前に出て身分証になる様なモノを探し始めた。
「ほう?其れは助かる…ん?貴女は…、ギルバレア伯爵の御令嬢?」
「あ、はい、そうなんですけれど、身分証が…。」
ミューレィは自身の着ている服の全身を触るが、身分証に代わりになりそうなモノが見当たらない様だ。
ミューレィは父親に連れられて何度か此の国境を越えた事がある、しかし通るには喩え顔見知りになろうとも身分証を提示しなければ通して貰えない、規則とはそう云うものである。
「あ!あの!こ!此を読める人は居ますか!?」
メルラーナがサイファーに肩を貸したまま騎士の前へ出て小さな鉄のプレートのような物を差し出した、騎士を差し出された其れを手に取ると。
「んん?此は…労働者ギルドのメンバープレート?身分証としては打って付けの物だが…何処の国の文字だ?」
解らなかった様だ。
「トムスラル国の文字なんですけど…。」
騎士の問いにすかさず答える。
「おお、此は読めないな、誰か読めるか?」
騎士は振り返り、後ろで待っている兵士達に尋ねる。
「!?」
騎士の行動に驚いたのはサイファーだった、自国の文字なら国民でも読めるだろうが、他国の文字をたかが兵士如きに読める筈が無い、兵士にまで教養をする資金等ある筈も無いと云うのが通常の国の考え方である、故に此の騎士の行動は不可解なモノでしか無かった。
そして…サイファーの其の考えは一瞬にして崩壊させられたのだ。
「ああ、解りますよ、一寸宜しいですか?」
1人の兵士が言うと、騎士からプレートを手渡され。
「ええっと、メ…ル、ラーナ、ユ…ス、ハ…スト?ハネル…かな?」
読んだ、間違っている処は有ったが、サイファーの眼の前で読んで見せた。
一般の兵士が文字を読む教養を受けているのか元々読めたのか、少なくともディアレスドゥア公国の兵士では有り得ない事をリースロート王国の兵士はやってのけた。
「あ、えっと、ハじゃなくてファです、ユースファスト=ファネル、メルラーナ=ユースファスト=ファネルです。」
後は云うまでも無かった。
「しょ!?しょ!?将軍閣下の御息女であらせられますか!?」
メルラーナ達は客間に案内され、彼等に出来うる精一杯の持てなしを受ける事となった、場所が場所だけに決して豪華とは云えない食事でお腹を満たし、疲労している身体を少しでも休める為に部屋に用意された布団に潜り込むと、瞬く間に深い眠りに付いた…。
明け方…、ミューレィは眼を覚ますと、隣で寝ていた筈のメルラーナの姿が見当たらないのに気付く。
「メルラーナ様。」
部屋の中を見渡してみるも人の居る気配が無い、胸騒ぎがして布団から出て部屋の扉を開けると暖房が効いている部屋の中に冷気が入り込んできた。
「寒…。」
扉を開けて廊下へ出ると、扉の両脇で騎士2人が見張りで立っていた。
「あ…あの、お早う御座います。」
「ハッ!!お早う御座います!!」
ミューレィが朝の挨拶をすると、騎士は敬礼をして答えた。
「あの…、メルラーナ様はどちらへ行かれたのでしょうか?」
「メルラーナ様でありますか?あの御方でありましたら深夜に此処を発たれましたが。」
「!?」
深夜に!?
窓から入り込む朝日に眼を細め乍ら外の様子を伺う、外では雪がチラホラと降っており視界は良好ではあったが積もっている雪は昨日よりもその嵩を増していた、こんな状態で夜遅くに外に出るのは無謀としか言い様が無い。
「だっ!?誰もお止めにならなかったのですか!?」
「いえ!流石に我々も無謀である事を解いたのですが聞く耳を持たず…、致し方無く上官への報告し本部への伝達を行って頂いたのですが、最終的に返って来た返事が…。
好きにさせ賜え…。
でありましたので見送る事に致しました次第であります!!」
「な!?」
誰がそんな許可を出したのか?仮にも将軍の一人娘を夜の街道を1人歩かせる等…。
「馬は!?馬には乗っていかれたのですか!?」
メルラーナは乗馬が出来ないが歩くよりは何倍もマシだろう。
「いえ!馬に乗れないとの事でしたので!徒歩で出て行かれました!」
「そんな!?許可が出たからといって身体一つで行かせたのですか!?貴方々なら雪が降り積もる夜の街道がどれ程危険な場所か解っているでしょう!?許可を出したと云う上官は何方ですか!?」
余りにもずさんな対応だと思った、一言もの申してやりたかったので名前だけでも聞いて直ぐ様メルラーナの後を追おうと決めた。
「ハッ!私が直接的な許可を受けたのは此処の責任者でありますが!最終的な判断をされたのは南部地域の管理を任されているギャザー少将閣下であります!」
ギャザー少将…、聞いた事がある、確かリースロート魔軍兵団の団長とか云う人物。将クラスの人物がこんな辺境の地の出来事に口を出して来るのだろうか?しかし今は考える時間が惜しい、サイファーは後で連れて来て貰うとしてミューレィ自身は先に先行しようと考えていたが。
「意見具申をさせて頂いても宜しいでしょうか?」
「…なんでしょうか?」
騎士が物申したい様子、急いでいるのだ、手短にして欲しい。
「此はギャザー少将が許可を出された時におっしゃった事らしいのですが、今のメルラーナ様なら全力で走れば国境の砦まで半日で辿り着くだろう…と。」
「!?」
考え難かったがそれ以前に、ギャザー少将がまるでメルラーナの今の状況を全て知るかの様な言葉だった。
ミューレィが騎士とそんなやり取りをしている間、メルラーナは既に砦を越えて最初の町に辿り着いていた。
これ程早く着けるとは自分でも思ってもみていなかった、実際に走って来た訳だがかなりの距離があった様に思う。
町の中は家の屋根まで雪が積もり、まるで白い彫刻で出来た巨大な芸術品の様に思えた。
「…。」
美しい風景を見つめるも、メルラーナは感傷に浸る気分では無かった、暫く町中を歩いていると、チラホラと降っていた雪が徐々に吹雪き始め、軈て強風が吹き荒れ一瞬の内に視界を遮る、まるで自身の今の気持ちを表しているかの様に。
「…。」
吹雪は更に激しくなって来た。
町の人々は人っ子1人居ない、窓を閉じて外に出てくる事も無く閉じこもっている。
突然誰かがメルラーナの肩に手をそっと乗せる。
其れは一切の気配も無くメルラーナの背後から近寄って来た、けど其れは嫌なモノでは無く、寧ろ自身の全てを預ける事の出来る程安心出来る感覚に襲われていた。
振り返ると見た事の無い筈の女性が立っている、薄い紫色の髪が吹雪きで勢いよく靡いている、深い青色の瞳が優しくメルラーナに微笑みかけて居た、見た事が無い筈なのに、何故か懐かしく想った…。
女性を見ると何故か唐突に自然と瞳に涙が溢れ、頬を濡らす。
「…!…!!」
泣いていた、溜め込んでいた感情を全て吐き出す様に泣き叫ぶ。
吹き荒れる吹雪で泣き声が掻き消され、幸い誰にも聞こえる事は無かった。
涙は留まる事を知らず滝の様に流れ落ちる。