79話 鬼の正体
『………さ、……いふぁ?』
「!?」
な、…何で僕の名前を?
『さい…、…ふぁ。』
「き、君は一体?」
嫌な感じがする、何か途轍もなく嫌な感じが…。
『さいふぁ。』
聞き覚えのある声が、僕の名前を呼んでいる…。
全身に冷や汗が流れ出す、考えたくも無い、最悪の事態が脳裏にこびり付いて離れない。
ドクン!ドクン!
「ハァッ!ハァッ!!」
心臓が高鳴り、息が詰まり苦しくなって呼吸が激しくなる。
何だ!?何が起きている!?鬼って何だ!?僕は鬼と云う存在を知っているのか!?其れとも此の鬼を知っているのか!?
否、サイファーは鬼を知っているのでは無く。
『さいふぁ、…つり、…やる。』
ドクン!
…つり?…やる?
『さいふぁ、…さかな、…くう。』
ドクン!
さかな?…魚?…つりって?まさか釣りの事…か?
ドクン!
「あ、…ああ。」
鬼になり果ててしまった友人を知っていたのだ。
「うあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!?」
想像していた最悪の事態が現実のモノとしてサイファーを襲い、サイファーは其の場にうずくまって泣き叫んだ。
『さいふぁ?さかな…、くう…、はら…、へった。』
鬼はサイファーを気にするも、先程自身で発した魚と云う言葉に反応し、食欲が勝る。
『…はら、…へった、さいふぁ?………たべていい?』
「サイファーさん!?」
状況が飲み込めなかったが、サイファーが危険な状態であると云う事は確かだった、しかしミューレィの傍を離れるとミューレィを襲いかねない。
そんな心配を余所に、鬼はサイファーの傍から離れ、大勢で固まっていた騎士達に向かって行った、質より量を取ったのだ。
「ひっ!?」
騎士達は反撃しようと剣を抜くが、剣毎一瞬で飲み込まれ…、そして。
「来るか化け物!私はディアレスドゥア公国に此の身を捧げたギルバレア伯爵である!そう易々と喰わ…。」
其処まで宣べた処で、ギルバレア伯爵は両足を残して鬼の肚の中へと消えて行った。
「お…おとう…さま?…い、…いや、いやああああっ!?御父さ…ま………ぁ。」
其の光景を目の当たりにしてしまったミューレィは、叫ぶと同時にショックの余り気を失ってしまった。
「え!?ミューレィさん!?」
倒れ込むミューレィを抱き抱える、鬼はギルバレア伯爵を喰った後、周りに居た騎士達を襲い始めた、主を失った騎士達は烏合の衆と化し、反撃すらまともに行えずに次々と鬼の胃の中へと消えて行く。
「ば、馬鹿な、ギルバレア伯爵は類い希なる剣技で武功を上げられた御方、…其の方が何も出来ぬまま喰われるなんて…。」
ニイトスが声を震わせて怯えながらブツブツと独り言を喋っている。
メルラーナが安全と思われる場所にミューレィを寝かせた時だった。
鬼がニイトス目掛けて突進した。
「ひっ!?」
吃驚して身体が縮こまるニイトス、手には剣を持っているが、剣先が震えてカタカタと鳴っている。
「逃げて!?」
メルラーナは叫ぶがニイトスには聞こえていない様だ、喩え聞き取れたとしても動く事等出来なかっただろう、そんなニイトスの前に一つの影が現われる。
「カルラさん!?」
『コンジェラール=ヴァンド。』
カルラは心の中でイメージしたものを空間に具現化させる、周囲の気温が急激に下がり、ニイトスの口から白い息が漏れ始めた、パキパキと云う音を立て始めた矢先、カルラの前方に放射状に氷の壁が出現した。
「!?…こ、これって!?」
サイレルさんに聞いた、あの時の私が作った氷と似た様な魔法!?
「に、似てるけど、規模が違うよ!?」
メルラーナがエバダフの街でぶっ放した氷の壁は精々全長50メートル程だったが、今カルラが行使したと思われる魔法は100メートルを悠に超えていた、400メートル…、いや500メートルは有ろうかと云う氷の壁は、鬼の突進を見事に止めてみせたのだ。
「カルラさん凄い!?」
素直に感動しているメルラーナに…。
「いや、メルラーナさんが最初に鬼を止めた方法を見たからね、此なら止めれるんじゃないかと思っただけさ。」
「…で、でもこんな大きな壁、カルラさんこんな魔法使えたの?初級程度しか使えないって聞いてたけど…。」
「え?歴とした初級魔法だぞ?此…。」
「………はい?」
「氷結系第捌階級第壱位、コンジェラール=ヴァンドって魔法だけど、魔法の効力って術者の魔力と操作に影響するからな、っと、説明している場合じゃないぞ、此の壁もそんなに持たない、今すぐ此の場を離れよう。」
「え?離れるって!?…どうするの!?此!?」
氷の中に居る鬼に指を差してカルラに詰め寄る。
「放っておく、このままじゃあ全滅しかねないからな。」
其れを突っぱねるカルラ。
「そんな!?こんなの放っておいたら被害が広がらない!?」
メルラーナは氷から解き放たれた鬼が周辺の村や町を襲う事を心配している。
「だったらどうするんだ?倒すのか?どうやって?騎士達は全滅、生き残ったのは君と俺、サイファー君と気絶してしまった貴族の娘さん、其れに俺の後ろで怯えて居る貴族の兄ちゃんだ、其れも…脚を怪我してる、鬼の突進を完全に防げなかったのか?」
自分で言って気付いたが、凍らせたつもりだったが衝撃で割れた氷の破片でも突き刺さったのだろうか、ニイトスの左脚から血が出ている。
「俺の魔法なんて微々たるものだ、俺は戦闘員じゃないしな、怪我人も居るし戦えそうだった少年は精神的にやられてしまっている、聞いていた話から想像すればあの鬼が彼の友人だったモノの可能性が非常に高い、とすれば彼が正常な状態で戦えるとは到底思えない、要するにだ、正直戦える様な状態じゃ無いって事さ、其れでも放っておけないって云うのか?討伐でもするのか?此の戦力にもならない戦力で?彼の友人だったモノを?」
カルラさんの言っている事は正しいと思う、けどこんな天災級の怪物を放置したまま普通で居れる程の器を私は持ち合わせていない。
何より、怪我人と気絶している人を抱えてアレから逃れられるとは到底思えなかった。
ピシッ!
氷の割れる音がした。
「チッ!もう限界か!?」
舌打ちをするカルラ。
バキバキバキ!
『…う、…うおああああ!またこおり!』
氷を割って這いずり出て来た鬼は、メルラーナとカルラを交互に見比べ、次に首を後ろに向ける、其処には友人のサイファーが俯いて呆然と立ち尽くして居た。
『さいふぁ…、くう。』
「!?」
何て言った!?鬼は今、サイファーを食べるって言ったのか?
鬼は既にサイファーに向かって走り出していた、あっと云う間にサイファーの目の前まで辿り着き。
「サイファーさん!?」
「…村の皆を喰った様に、…今度は僕を喰うのか?」
視線は鬼とは別の処に向いている、このままでは確実に喰われる、そう思った時。
ドゴッ!!
『…うっ!…ごっ!』
サイファーの右腕の拳が鬼の肚にめり込んでいた。
…サイファーさん、すごっ!?
あの鬼の速度は尋常では無い、まず動く瞬間と辿り着いた時しか姿を捕えられない、間が早すぎて見えないのだ、眼で追う事が出来ない、サイファーの眼には見えていたのだろうか?其れとも姿が見える瞬間を狙って肚を殴ったのか、どちらにせよ突進しかしてこなかった鬼の攻撃を凍らせる以外の方法で完璧に止めたのだ。
そして。
「いいよ、食べてみればいい、けど。」
ゴッ!!
今度は鬼の顎を目掛けて左腕の拳が突き上がり、鬼は天を仰いで身体毎後ろに倒れた。
「食えるものなら…な。」
サイファーは此処で友人…、鬼と討伐する事を選んだ、此以上、友に罪を被せない為に。