71話 ミューレィ=ギルバレア=ナーディアル
ガラガラガラ。
木製で出来た車輪が地面を転がる音と。
パッカパッカ。
馬の蹄が地面を踏みしめる音が、東に山脈、西に森を望む広い平地に響き渡っていた。
敷き詰められた舗装された路面を軽快に移動するのは3台の馬車と馬に乗った騎士甲冑を纏った30人程の護衛達である。
2台の馬車の内、1台には1人の少女が馬車の中から窓の外を眺め、終始溜息を付いている。
「はぁ。」
もう何度目か解らない位の溜息を付く少女。
もうすぐカレーパゴに到着するのですね。
御父様の視察のお仕事と言っていましたけれど、本当は私にお見合いさせる為の口実でしかないのですよね、お相手は公爵の長男とか…。
「…ふぅ。」
懲りずに溜息が漏れる。
少女の名はミューレィ=ギルバレア=ナーディアル、ギルバレア伯爵の娘で、整った顔立ちに青い瞳に薄い桃色の髪はどんな髪型にも結える様に膝まで伸ばしている、ミューレィは今の髪型が嫌いであった、何をするにも邪魔なのである、せめて括らせて欲しいと頼んだ事もあったが髪の毛が痛む、と言われて却下された。
お見合いの相手が自分の好みに染めれる様に、なんて、完全に駒扱いである、実際に貴族の娘等その程度の扱いなのだろう、とはいえ写真で拝見した分では好感を持てそうな人物ではあった、好感は持てても結婚までしたいとは思わない。
思わないが、それでも父親と家系の将来を考えると結婚しなければならない、そんな葛藤がミューレィの口から数え切れない程の数の溜息を付かせていた。
暫くして馬車がゆっくりを速度を落とし、軈て止まると、1人の従者が馬車の外から。
「ミューレィ御嬢様、カレーパゴ村に到着致しました。」
と、声を掛けられた。
ああ、ついに村まで来てしまいました。
引き返す事等出来る筈も無かった訳だが、其れでもミューレィの心は決心仕切れない中途半端な状態のまま来る処まで来てしまったのである。
抑もお見合いをするのに何故こんな国境近くの村まで来なければならないのだろうか?名目が視察だとしてもこんな遠くまで来る必要性が全く見出せない、馬車を降りると小さな村の住人達から歓声が上がった、ミューレィは微笑んで村人達を見渡し乍ら手を振って応える。
其の笑顔は貴族令嬢としての躾から自然に出来る様になったものであり、悪く言えば作り笑いであるが、村人達はそんな事も梅雨知らず先程よりも更に歓声を上げていた。
「此方へ。」
従者に先導されて歩き出すと、ミューレィの耳に歓声とは違った言葉が入って来る。
「…何だ?…アレ?」
そう聞こえた、聞こえた様な気がした、此の歓声の中、たった1人の、それも大声で叫んでいる訳でも無い小さなつぶやきの様な言葉がミューレィの耳にはハッキリと聞き取れたのだ。
「?」
ミューレィは不思議に思い、其の言葉を発せられたであろう方角に眼を向ける。
群衆の中を見渡し、声の主を思わしき人物を発見した、男の人であった、男性はたった1人、東南の空を指差していた、ミューレィは其の男性の差している指の先を、振り返って見上げてみる。
「………え?」
空の彼方に一つの影が見えた、其の影は西に向かって移動していた、影からは煙の様なモノが吹き出している。
「?ミューレィ御嬢様?どうかなされましたか?」
急に立ち止まって全く関係の無い方角を見上げる女性に、従者が尋ねた。
「あ、あれは何でしょうか?」
従者の問いに問いで返すミューレィ、言われた従者は直ぐ様彼女の見ている方角に眼を向けると。
「……?…あの影、ですか?…何でしょう?私には解りかねますが。」
ミューレィと従者が見ているのが自分達では無い事に気付いた村人達が、次々と其の影に気付き出すと、今度は護衛の騎士から声が上がった。
「飛行船?こんな処を飛ぶ飛行船等あったかな?…いや違う!あれは飛行艇だ!」
ザワッ!
騎士の言葉に一気に周囲が警戒態勢に入った。
「クトリヤ国の飛行艇だ!伯爵閣下とロード!レディをお守りしろ!」
隊長と思われる騎士から命令が飛ぶ、ロードとは場合によって使い分けられるが此の場合、『王』では無く公爵の息子を差している、レディはミューレィの事である、隊長の命令に護衛の騎士達が各々に与えられた任務を全うする為に、護る冪人物の周囲を固め、周りの警戒を始めた。
「見た処一隻だけか、其れに煙りも出ている、味方の飛行船に攻撃されたのか?」
隊長は眼の前で飛んでいる飛行艇を友軍の飛行船が撃墜したものだと判断し。
「よし!10名は私に付いて来い!アレが墜落する場所を特定し、先回りする!」
「待てっ!私も行こう!」
声を上げたのは将来ミューレィの夫となるかもしれないキーマロア公爵家の長男、ニイトス=キーマロア=トメスである。
「お待ちをニイトス殿、貴方が行く必要が何処にあると言うのです?」
そう言ったのはミューレィの父、ギルバレア伯爵である。
「ギルバレア伯爵閣下、アレは敵国の船です、何故我らが母国の上空を飛んでいるのか、何故墜落しようとしているのか、父に代わってこの身で確かめなければならないと思うのです。」
ニイトスは公爵家の一員としての職務を全うしようとしているのだが、此処はギルバレア伯爵領であ、公爵は伯爵の二階級上の爵位となるが、例え公爵の子息と言えども伯爵の許可無く勝手に行動するのは越権行為に他ならない、王に与えられた領地と云うのは時には爵位を凌駕したり得る存在なのである。
「ふむ、…承知致した、では私も行くとしましょう、護衛隊長!我等も共に行く!」
「はっ!では5名をレディ・ミューレィの護衛に残し、残りの総員で赴くと云う形で宜しいでしょうか?」
…。
あの方がニイトス様、まるで御自身の武勲を上げたがっているかの様な振る舞い。
あんな人が私の未来の夫となる方なのでしょうか?抑も公爵家の御長男が何故こんな辺境の地を納める伯爵家の娘を妻に娶るのでしょうか?理解が出来ません。
そんな事を考えて居いる間にも5人の護衛と従者、身の回りの世話をする執事やメイド達が残り、父親である伯爵とお見合い相手であるニイトスは20数名程の騎士を連れて飛行艇の墜落予測の場所へと赴いて行った。
完全に放置されると云う状態にされてしまったミューレィはもう一度飛行艇の影を見つめた。
ボンッ!
と、村にまで聞こえる位の音で飛行艇の一部が爆発、炎上し、更に部品の一部が散らばって落ちて行くのが見えた。
「!?」
其の音に村人達は悲鳴を上げ、周囲は騒がしくなる。
ミューレィはそんな落ちて行く部品の中に人影を見つけた。
「!?…誰か!私の馬を!!」
「!?御嬢様!?何をなさるおつもりですか!?」
「人影が見えました!助けに行かないと!」
「な!?」
従者達は一斉にミューレィを見て、何を言っているんだ?此の御方は?と云うような表情をした。
「あ、あの飛行艇に乗っているのは敵やも知れぬのですぞ!?」
「敵じゃ無いかも知れないでしょう?例え敵であったとしても命を落とすかも知れない人を放っておくのは人道に反するのではなくて?」
ああ、駄目だ、此は何を言っても聞かない状態だ。
付き人含め、伯爵家に連なる者達は全員そう思った、そして、止める間も無く白い馬に跨がり、今も落下している人影の落ちる先へ向かって走り出したのだった。
後ろから騎士達が馬に乗って追いかけてくるが、無視して走り続ける、ミューレィは女性でありながら乗馬の腕は優れたものであった、騎士達は段々とミューレィから引き離されて行く、目的の場所に向かっている最中。
キィィィッ………ドカァァァァァァァァァァァァンッ!!
と云う爆発音にも似た音が周囲に響き渡った。
「!?」
手綱を引っ張る、すると馬は前の両足を人の頭の上を軽く越える位に高く上げ、其の場に停止した、ミューレィは馬の首を撫でて落ち着かせて音のした方を見ると、黒い煙が立ち上っていた。
飛行艇が墜落したのだろう、ミューレィは馬を其の場で一周させてから自身の向かおうとしていた場所へ再び馬を走らせた。