60話 騎士達の戦い
生き残った騎士達は、モアムダンの駐屯軍兵が待機場としている駐屯所に来ていた。
モアムダンの町には3000人のクトリヤ国の軍が在駐している、其の軍を指揮する騎士が100人、此はクトリヤ国の全兵力の1割に当たる。
其れほどの軍勢を集めるだけの重要性がモアムダンと云う町にはある、と云う事を意味している。
モアムダン駐屯所、司令室。
四方が4、5メートル程の広さの部屋は、扉を潜った正面に明りを入れる用とは別の用途で取り付けたのだろうか、小さな窓が二つ設けられている、両壁際には本棚が置かれていて、棚の中には様々な専門書の様な本が数え切れない位並べられていた。
部屋の中央に細長いテーブルと、其のテーブルの周りにはソファーが置かれており、北側には仕事用の机が置かれている、机に備え付けられている椅子に、50代後半位と思われる男性が机に両肘を付けて両手を組み、手の上に顎を乗せたまま、深刻そうな表情をしている、モアムダン駐屯兵団を纏めている騎士団長だ。
男性から机を挟んで、2人の傷付いた男女の騎士が立っていた。
「…そうか、ツァイが逝ったか。」
男性は静かに呟いた。
「申し訳ありません、多大な犠牲を出したにも関わらず、討伐を失敗した上、何の成果も得る事が出来ませんでした。」
そう語ったのはマオ=カーステルと云う名の女性騎士だ。
「無論、霧の魔物についての報告は受けている、しかし常軌を逸する存在だから仕方が無いと云う訳には行かないぞ?16人もの優秀な騎士を失った代償が討伐失敗の上に何の成果も得られなかったのだ…。」
「…はい、覚悟は出来ています。」
難しい表情をする男性、生き延びた4人の騎士の中で、責任を取らされる立場に立っているのは、隊の副長であったマオだ、出してしまった損害に対しての何かしらの罰則が与えられるのだろう。
報告だって?…此の騎士団長はあのモンスターと出会った事が無いというのか?
「失礼します!モアムダン駐屯騎士団団長殿!意見具申宜しいでしょうか!」
何故かマオに付いて来る様に頼まれたシグが、騎士団長に対してもの申す。
騎士団長はシグを一度睨み付け。
「…なんだね?申して見よ。」
さも仕方無さそうな態度で発言を許した。
「はっ!有り難う御座います!失礼ですが今は放置されている驚異の対処を先にする冪ではないでしょうか?少なくともあの魔物は此のモアムダンの町の近辺で彷徨いているのは変えようも無い事実です。」
「ふむ?そんな事は解りきっている事だが?」
団長はさも当たり前の様な態度で信じがたい言葉が帰って来た。
「!?」
「其れは町に被害が及ぶ事態になった時に対応すればよい、そんな事より君達の処罰を考えねばなるまい。」
何を言っているんだ?此の男は?あの化け物が町の近くを彷徨っていると云うのに処罰だと?状況が理解出来ているのか?
くそっ!此だから古臭い騎士の規律なんてものを大事にしている奴等は話が通じないんだ。
いや、規律がどうのこうのよりも、此の男が問題なのか?何故こんな奴が騎士団長など務めていられるんだ?
俺の気持ちに気付いたのだろう、マオがそっと俺の左手に右手を添えた。
マオを見ると、彼女は小さく首を横に振る。
「内容は追って知らせるものとする、今は傷付いた身体を休めるといいだろう。」
そうして、2人は司令室から追い出される様に立ち去ったのだった。
司令室から離れ、マオは女性であり副長と云う立場もあってか、1人部屋を容易されており、「今は、兎に角休みたいわ。」と言い残して部屋の中へと姿を消した。
シグは逃げてきた残りの騎士2人が休ませて貰っている部屋に入り、騎士団長に言われた事を伝える。
「何なんだ!?あの男は!?」
シグが感情を露わにして毒づいてると。
「ふん、此処の騎士団長は余り良い噂を聞かん、アレを実際にその目で見るまではあの重い腰を上げる事は無いだろうよ。」
「知っているのか?あの男の事を?」
「噂程度にならな、モアムダンはクトリヤの中でも最重要拠点の一つだ、其処の司令官を任される程の人物だ、一癖も二癖もある者じゃないと務まらんのだろうよ、規律を第一に重んじる姿勢が此の町を護って来たんだ。」
「だからってあのモンスターを放置するってのは別の話だろうよ!?」
シグは騎士団長の言葉を思い出し、マオに一度抑えられた怒りが再び熱を帯びだした。
「脅威とすら思っていないのかもよ?モアムダンには初めて来たけれど、此が町?要塞の間違いじゃないのか?って思ってしまったからね。」
此までずっと黙っていたもう1人の騎士が、此処に来て唐突に重い口を開く。
其れは確かにシグ自身も思った、町の外側から見ると巨大な湖の真ん中にポツンと浮かんでいる様に築かれており、全体に大きな石の壁が湖の一部毎スッポリと町を覆っていた、町への入り口は一本の橋だけで、其の橋には線路も敷かれている。
近くまで来ると、石の壁は見上げても天辺が見えない程高く建てられており、上に行く程、町の外側に向かって反り建っていた、壁から登る事を防ぐ為だろう、壁には砲台が設置されていて、登れたとしても打ち落とされるのが関の山だ。
此だけの防衛設備が整っていれば、モンスターを一切気にしないのも頷けなくもないが、あの化け物に其の常識が通用するのか甚だ疑問ではある。
その日、激戦を生き延びた4人の騎士は、激しい疲労からか、まるで死んでしまったかの様に眠り付いた。
翌朝。
駐屯所内がやけに騒がしく、其の騒動で目が覚める。
「…?何か騒がしいな?」
何かあったのか?と思い、騒動の現況を探為、シグは部屋の扉を開いて外に出た。
駐屯所内部では兵士達が騎士の指示の元、戦闘の準備を始めていた。
シグは眼の前を走り抜けようとした兵士を引き留める。
「おい!一体何があった?何の騒ぎだ?」
「はっ!モンスターが町の門前で暴れているとの報告を受け、今は其れの対処をするための命令で動いている所であります!」
兵士は騎士であるシグに対して敬礼をし、現状を簡潔に説明する。
「モンスターが?」
シグの頭に、霧の魔物の姿が浮かぶが、振り払う様に首を横に振った。
「其れにしてはえらく慌てている様子だが、こう云う事は頻繁に起きたりはしないのか?」
「はい、そうですね、大体は門に辿り着くまでの橋の上で砲台によって討伐されるのですが、門前まで来たモンスターは少なくともここ十数年はありえませんでした。」
町の防衛を固める前に一度、町の門の付近までモンスターが攻めて来た事は、大分前にあったらし、其の時の教訓から壁の装備を強化したのだそうだ、其れからは門前に到達する前にモンスターを倒し切れる様になったとの事だった。
この町の強固な防壁と迎撃装置は、モンスターが門前処か橋に足を踏み入れる前に倒しきる事が出来るかも知れないと思う程の防衛ラインだろう。
其の話を聞いて、昨日の騎士団長の態度に漸く合点が行った、つまりは絶対防御壁を自負していた町の防衛ラインに、突破される事など有り得ないだろう、と云う思い込みが怠慢を生んでしまったのだ。
一通りの話を聞いた後、兵士に「ありがとう。」と礼を言って任務へ戻すと、踵を返して直ぐ様司令室へと向かった。
丁度其の頃、司令室ではマオが騎士団長に呼び出されていた。
「お前はあの化け物と戦ってきたのだろう?此は命令だ、生き残りの騎士達を連れて早急に出撃したまえ、ああそれと、隊長に任命してやろう、期待しているぞ?」
あの3人と私で一つの小隊として戦えと云う事か。
「了解しました!直ぐに出撃致します!」
マオはそう言い残し、司令室を後にした。
司令室から出て来たマオに、丁度シグが合流した、どういった類いの命令が出されたのかを訪ねると、思わず頭を抱えてしまった。
「マオ副長…、いや…隊長か…、貴女は我々4人だけでアレを何とか出来ると思うのか?」
マオはシグの言葉の意味が理解出来なかった、そんなものは無理に決まっている、20人もの精鋭で挑んでも敗北したのだ、4人で何とかなる筈が無い。
「え?そんなの、無理に決まっているわ?何故そんな事を今?」
マオはクトリヤ国内では有数の名家の生まれ、ご令嬢と云う存在である、つまりは世間知らずなのだ。
「あのなマオ、『貴女は我々4人だけであの化け物と戦って来い。』って云う命令に従ったんだぞ?」
ハッキリとマオに命令の意味を理解させた。
…え?どう云う事?シグの言い方だと、私達4人だけで戦って、モアムダンの騎士や兵士は戦いに参加しない…、そう言っている様に聞こえる、けど、そんな、まさか、一つの町を護る騎士団が、勝てもしない戦力で挑めと云う命令を下したと言うの?
「あ、有り得ないわ、ちゃんと後から増援を出してくれる筈よ、そ、それに、命令として受けてしまったのだから。」
今此処で与えられた任務を放棄する事は、命令違反と判断される、当然、其れは重罪を意味するのだ。
だからこそ、シグも其れ以上、何も言えなかった。
そして、シグの言葉通りの状況に陥ってしまったのだった。
「おいおい、アレは本当に俺達が戦っていたグレイターゾルか?面影すら残っていないじゃないか。」
町の出入り口となっている列車も通れる程の巨大な門の脇に、人が1人通れる位の小さな扉が設置されている、その扉から橋の上へと歩いて出て来た騎士が、モンスターを見るなり、そう口にした。
「あの変異ぶりが、霧の魔物の特徴って事ですかねぇ?」
其の騎士の背中から、もう1人の騎士が口を開く。
グレイターゾルだったモンスターは現在、町の防壁に設置されている数十台の砲台によって集中砲火を受けていた、命中した砲弾はグレイターゾルの身体を粉々に砕く、砲弾は波状的に放たれ、グレイターゾルを一歩も進ませる事は無かった…かの様に見えた。
「砕けた身体が破壊された直後から再生しているな?」
2人の騎士に続いてシグが扉を潜って来た。
「其れに、少しずつだけれどあのモンスター、門に近付いているわね。」
最後にマオが橋の上に到着した。
「援護は…期待出来ないだろうな、やっぱり。」
同時刻。
リースロート王国、王城の執務室。
「あら?」
部屋の中で椅子に座り、机の上に大量に積み重ねられた紙の束を、一枚ずつ手に取って内容を確認していた、薄い紫色の長髪に深い青色の瞳、書類仕事をしているとは全く思えない様なドレスに身を包んだ女性が、ふと窓の外を見た。
「殿下?」
同室で殿下と呼ばれた女性の書類仕事を手伝っていた数名の男女の1人が、女性が窓の外を見つめている事に気付き、声を掛ける。
「どうかされましたか?」
女性に声を掛けた男性は、女性の行動で既に何かあった事が解っていた。
しかし男性は敢えて聞くしか無かったのだ、何せ、今手が止まっている女性の受け持っていた書類仕事は、此の女性にしか裁けないからである。
「…此は、欠片のモンスターが出現したみたい、私で感知出来る程だから、Categoryは3以上だけれど、恐らく此奴は、4はあるわね、場所は…クトリヤ国…かしら。」
「「「!?」」」
Category4だって?其の程度なら我らがリースロート軍率いる騎士団の一個小隊も集めれば十分に事足りるモンスターではないか、竜騎士ならば一人二人居れば対応出来るだろう、其れにクトリヤ国とは、遠すぎるではないか?いくら傘下国とは云え、援軍要請もされていないのに此方から勝手に向かってもよいのだろうか?
世界四大国家に数えられる国々の軍事力は、其の周辺国家の軍事力を頭一つ分を優に飛び出しているのだが、其の為か、非戦闘員である男性の考えとしては軍事力的に間違っている、戦局と云うものが解っていないので其の程度で人員を割く必要があるのかどうか云々は解らないのだ。
男性は既に、女性が直ぐにでも出発するかの様な考えで妄想を膨らませている。
…クトリヤって、今メルラーナが通過している国よね?
………おかしいわね、欠片のモンスターなんて、私達の様に探さない限りは通常なら一生に一度たりとも出会う事なんて無い筈なのに…。
何故こうも彼女の行く先々で現われるのかしら。
いくら何でも有り得ない…。
「…其処の貴女。」
女性は仕事をしている男女の周りで、彼等の補助的な事を行っているメイドの少女に声を掛けた。
「は、はい!サーラ王女殿下!」
「今すぐフィリアを此処へ呼んで来て頂戴。」
「はい!只今!」
メイドの少女は言われた通り、フィリアを呼びに部屋を後にした。
「殿下!?」
「安心して、私は此処を離れる訳にはいかないから。」
男性が何かを言おうとしたが、サーラの言葉が其れを遮る。
私個人が動かせる人材を最大限に動かせば問題は無い筈、今の現状、category4の欠片のモンスターとメルラーナが遭遇したとしても、今の彼女なら1人で十分に対応出来る、懸念材料が有るとすれば、category4クラスがもう一体居た場合。
其の時、バァンッ!と、大きな音を立て、部屋の扉が開かれた。
「サーラ殿下!たった今、クトリヤ国から欠片のモンスターの出現の報告と、我が国に討伐要請が届きました!」
青いフルプレートメイルを纏った騎士が部屋に入って早々に、大きな声で報告をする。
「フィリア、そんなに大きな声で叫ばなくても聞こえていますよ。」
サーラに注意され、部屋の中に居た男女の視線に気付いたフィリアは。
「…あ、し!失礼いたしました!」
謝罪と敬礼をして改めて報告を行うのだった。
橋の上では霧の魔物とマオ率いる小隊が戦っていた。
たった4人で挑み、既にシグとマオの2人だけしか生き残ってはいなかった。
「くそ!こんな所で終わっちまうのか!?」
「…シグ。」
「…いや、すまない、貴女の所為ではないさ、其れも此も全て、あの騎士団長の…。」
「シグ!それ以上は言っては駄目よ。」
2人の眼の前には、完全にグレイターゾルの面影が一切残っていない化け物が、腕の様な何かを振り上げ、振り下ろした。
…ああ、此は死んだな。
そう思った其の時。
ドオォォォン!!
振り上げられていた霧の魔物の腕が吹き飛ぶ。
「!?…何だ?」
振り返ると、壁の上のほうから撃たれた様だ。
「援護射撃?今頃?」
ドオォォォン!ドオォォォン!ドオォォォン!
連続で砲撃が続く。
ドオォォォン!
砲撃が始まって1分程の時間が経過した頃。
『砲撃止めっ!』
壁の向こう側、町の中から誰かがそう言ったのをシグとマオの耳に飛込んで来ると、次に。
『門を開けっ!』
と云う声が響き渡り、ガコン、と云う音がした後、門が開き始めた。
「え?」
そして、門が開ききるまでに。
「総員突撃っ!!2人の《《勇敢な戦士》》を死なせるなっ!!」
門から現われた其の姿は、見慣れた我らが騎士団では無く、冒険者と思われる者達だった、多大な犠牲者を出していたにも関わらず、門前の橋の上で戦うたった4人の騎士に気付いて駆けつけて来てくれたのだ。
シグは思わず涙を流しそうになってしまった。
此だよ、此だから、俺は冒険者に憧れたんだ。
マオの表情にも、驚きの色が隠せないでいた。
「ど、どうして冒険者が?どうやって門を開けたの?」
マオの疑問は最もである、門の開閉は当然、町を管理している国の権限によるものだ、つまりはモアムダンの騎士団が其の権利を握っている。
しかしそんな事を考えている暇は無かった。
「急げ!町の中に避難を!」
「!?し、しかし!今此処を…!」
「あんた達はやれる事を十分にやった!俺達も仲間をあの化け物に殺されているんだ!だから解るさ!たった4人で立ち向かったあんた達が此の町を護ってくれている事をな!この町の騎士団じゃないぜ!あんた等だ!」
シグとマオの2人は、冒険者達に従い、町の中へと待避するのだった。
2人が待避したのを確認した後。
「砲撃隊!いいぞ!全弾撃ち尽くすつもりでぶちかましてやれ!」
門を閉じ、再び砲撃が始まった。
シグは助けてくれた冒険者に、「有り難う、助かったよ、所で此の後はどうするんだ?少なくとも此の砲弾だけで倒せるとは思えないんだが。」
冒険者達の考えはこうだ、モアムダンの騎士団と軍は、町に被害が及ばない限り、絶対に動く事は無い、だから、町中にあの化け物を引き込み、無理矢理騎士団を戦わせると云うものだった。
流石に其れは…と思ったのだが。
「騎士団なんざ、俺達の税金で肥え太った役立たずさ!」
町の外に出た父の身に危険が及んだ時も、助けてくれたのは騎士団では無く冒険者だった。」
「この町に騎士団なんか要らなくね?」
此はモアムダンの町の総意だと言わんばかりに、町の人々が口々に騎士団への不平不満を漏らしていた。
開門する前に既に行動を起こしていたのだろう、冒険者達が住人の避難活動を行っている、非戦闘員には近隣の町への移動をして貰い、町全体を戦場にしてしまうつもりなのだろう。
「貴様等!此は一体どう云う事だ!?」
騎士団の1人が叫びながら冒険者達に詰め寄って来る。
「何故此奴らを…いや、どうやって我々の許可無く開門出来たのだ!?」
出て来た途端、空気を読めていない騎士が喚き散らしている。
ドゴォォォォッン!!
唐突に町中に轟音が響き渡る。
「!?」
「門が破られたぞ!?」
其の言葉に其の場に居た全員が驚いた、扉を閉めてからまだ10分も経っておらず、砲撃音もまだ鳴り止んでいない状況で扉が破られたのだ。
「不味いな、まだ避難が済んでいないと云うのに…。」
「避難は続けて下さい!其処の騎士!貴方は自分の配下に民を護る様に伝令を!」
マオが現状を打破する為に、最初に町の住人の安全確保を最優先して命令を下す。
戦場が町中に移った事で、モアムダン軍を前線へと引っ張り出す事に成功したのだった。