【366日】
始めての投稿になりますが
ちょくちょくと更新していきたいと思ってます。
それから一応ハッピーエンドでは終わらせたいです(笑)
人が生きる意味と言うのは人それぞれ考えが違うと思う。快適に過ごすこと、他人を救うこと、国が違えば宗教に入ることだったりもするだか、その中でも多分一番生きる意味と答えるのが多いのが"人を好きになること"僕も生きる意味はこれだと思っている。
だから、何億人も居る人の中からお互いがお互いを好きになる両想いだとかは中々ないし大事にすべきだと思う。その両想いの人をもし、何かがあって会えなくなってしまうなら、後悔のしないようついて行くべきだし連れていくべきだと思っていた。
それが例え死後の世界だろうと
例えば、心中や後追い自殺とかだ。それが出来ないのなら心からその人の事を好きではいと思っていた。
そんなことを言うと「重い」だとか「お前なんか誰も好きにならない」だとか本気か冗談か分からないことを言われるのが大概だ、そういう風に考えるのも人それぞれだし、あくまでこれは僕の個人的な考えだ。
だから僕は、"好きでいてくれる好きな人"と出会うまでは死ねない
しかし、死ねないと心で思っても死というのは唐突にやって来るものらしい 余命2年僕に告げられたのは、後2年しか生きていけないということ。
生き物というのはいつか死ぬのが世の常と言うのは分かっていた。だが、その死を人が持つ科学の力で回避できるようにもなった。昔まで原因不明の病も今となっては、原因が分かりいつまで生きれるかも分かるようになったけど、病を根本から無くすことは進歩した医療でも出来ないようだ。
僕がかかったのは今までも数10人しかかかったことのない原因不明の病、現代の医療を駆使してもその原因は未だにわからないが分かっていることは、その病にかかった患者がみんな閏年の2月29日に死亡していること。次の閏年は2020年今は2018年
不幸中の幸いというべきか痛みはなく死ねるらしいだから病院には定期的に検診に行くだけで医師からは「残りの人生を満喫しろと」投げやりなことを言われて取り敢えず何事もなかったように残り少ない日常を過ごしている。
この事を知っているのは、両親と医師と学校の先生方だけにと両親に頼みそれを了承してくれた、他の人に迷惑をかけたくないというのもあるが単純にめんどくさいことに巻き込まれなくないのもある。
両親は「自分たちに出来ることがあったらなんでも言ってくれ」と言ってくれたがいきなりなんでもと言われたって特に浮かばなかったので「取り敢えず死ぬまで普通に日常を送りたい」と言ったら両親は哀れんだような表情をして部屋に戻っていた。
そんな、生きる気力も無くなってしまった僕に生きる希望を思い出させてくれた少女が居た彼女の名前は小柳栞
僕の初恋であり最後の恋をした少女だ。