神々の住まう国
少女は夢を見た
それはぼんやりとしたものだった
それは懐かしいものだった
それは少女を呼んでいた
日本にはその昔八百万の神がいたという。
人々は神を信仰し、時には恐れ鎮めようと祀った。
人々は自然だけではなく、モノにも神が宿ると祀った。
神は人々に近い存在だった。
セミの鳴き声が聞こえる。
私は道を歩いていた。そこは昔来たことのあるような見覚えのあるところだった。
脇を通り過ぎる子供たち、ベビーカーを押しているお母さん、ジョギングをしている男の人、生暖かく吹く風、どうやら今いる所は公園のようである。きょろきょろと周りを見回しながら歩き続けていると、ふとセミの鳴き声が消えた。
いや、セミの声だけではない、遊んでいる子供たちの声も、走る人の足音も、風の音さえすべての音が消えた。
なにも音が聞こえないのはおかしいことなのに、周りの人たちは普通に話をしたり遊んでいる。
無音の中で何か聞こえる音はないかと耳を澄ましてみる。
『…鈴の音?』
鮮明に聞こえたのはチリチリと鈴が鳴る音だけだった。
音のありかを探そうと後ろを振り返る。
そこにいたのは…
………
……
…
「すず!いつまで寝てるの!学校遅刻するわよ!!」
「…ん?……もう少し…。」
「もう少しじゃないの!八時よ!」
「はち…じ…?…はちじ!?」
時計を見るとそれは家を出ないといけない時間を示していた。
「お母さん、どうしてもっと早く起こしてくれなかったの?!」
「何回も声かけたわよ、なのにあと五分―とかいって結局寝てるんだもの。」
お母さんの小言を聞きながら、いつもの数倍素早く支度をして家を飛び出る。
『どんな夢みてたっけ…。…ま、いっか。』
寝坊騒動と無事に遅刻したせいで学校から帰るころには私の頭から夢の事は消えていた。
その日から同じ夢を見るようになった。
懐かしい景色
消える生活音
そして、鮮明に聞こえる鈴の音
音の主を見つけようと振り返った時に目が覚める
「っていうのを最近毎日見るんだけど…。音の犯人見る前に目が覚めるから、もやもやして気持ち悪い。」
「なるほどね、すずが最近寝不足なのはそのせいか。」
「もー笑いごとじゃないから。私の死活問題だから。」
二度寝しても繰り返し見るようになり、寝不足で仕方がない私は、夢のことを友人の鏡花に話した。話した結果、カラカラと笑われたのだが…。
「ごめんごめん。公園だったっけ?心当たりはないの?」
「うーん…。振り返るときに大きな木と、鳥居?なのかな、小さくてそれっぽいものがあったような、なかったような…。」
「曖昧すぎ。そのくらい毎日見てたらわかりそうなのに。」
「記憶力がなくて悪かったな。」
「そこまでは言ってないって!
…そうだな、公園に大きな木と小さい鳥居、か。」
「鏡花は心当たりない?」
「んんんん。あ、西山公園じゃない?」
「西山公園…。」
「そう、西山公園。小学校の時さ、帰りに寄り道して遊んでたところ。忘れた?」
「あ、あー!思い出した!確かに雰囲気そこに似てた!」
「懐かしいなー。小学生か。すずがここに転校してきてね、転校生が珍しくてみんな群がってたけど結局逃げられて…。」
「逃げるって…。まあ、そうね。引っ越してくる前の全校生徒とクラスの人数おんなじだったんだもん。そりゃ逃げたくもなるよ。極度の人見知りだったし、尚更ね。」
「すずが夏の終わりくらいに風邪ひいて学校休んでさ、すずの家にプリント持って行った記憶有る。」
「合ってる合ってる。夏だったかは忘れたけど。」
「夏だったよ。帰るときにすずのお母さんからアイス貰ったからね!バニラアイス!」
「それは知らん。」
「あははー。美味しかったバニラアイス…。」
「バニラアイスは美味しい。…そこからここまで話すようになったんだもんなー。」
「話してみたらこんなだったっていうね。」
「こんなは余計です。」
「そういえば今度その公園のところにビルが建つってお父さんに聞いたな。」
「え。」
「もうあそこの公園で遊ぶこともなくなるのか。…どした、すず?」
「…いや。なんでもない。」
公園が無くなる…。私の中で何か引っかかるものがあった。
無くなる前に公園に行かないと。頭のどこかでそんな声が聞こえてくる。私は授業終了の鐘が鳴った直後その公園に向かって駆け出していた。
その公園についたのは空が夕焼けに染まるころだった。
弾む息を整えながら、公園の入り口に立つ。そこは既に工事が始まっており、中に入れないようになっていた。小さい頃は沢山の人が住んでいた公園周辺も、大きなマンションが別の場所に出来ていつの間にか閑散としてしまった。どこか公園に入れるところが無いかと足を進めた時
―チリン
「鈴の音…!」
夢で見たように、後ろで鈴の音が聞こえた。振り返ると、通った時には人がいなかったはずのところに老人がいた。老人は植込みのレンガに腰かけていた。
『あんな人、通った時にいたっけ…?見落としてた?』
「あの…。」
おそるおそる声をかける。その老人が顔を上げた時、沢山の記憶の中に埋もれていたある記憶が一気に引っ張り出された。
「つまんないな…。」
周りが田んぼだらけの田舎から、建物が立ち並ぶ都会へと引っ越してきた。お父さんもお母さんも仕事に行ってしまい、家に帰っても誰もいない、もちろん引っ越してきたばかりで遊び相手もいない。
ぶらぶらと歩いていると、公園にたどり着いた。暇つぶしになるかと思って散策してみることにする。
普通の公園のようにブランコや滑り台、砂場…。あ、あんなところに小さい鳥居がある。
『いいかいすず、鳥居やお地蔵さんを見たらちゃんと挨拶をするんだよ、小さくてもそこには神様がいるんだから。』
前の家にいたころ、おじいちゃんと一緒に散歩をするといつもいわれていたことを思い出す。
挨拶しなきゃ。おじいちゃんがやっていたように、鳥居の前で手を合わせる。
「神様こんにちは、神楽鈴音です。引っ越してから一人ぼっちで寂しいです。すずとお話してくれる人が出来ますように。」
挨拶と、少しの願い事をして小さなため息をつく。空を見上げると赤く染まりかけていた。
家に帰ろうと立ち上がって公園を出ようと足を進めた時、うしろから肩をたたかれた。
「!?」
肩をたたいたのは物語に出てくる仙人のような、白髪で白いひげを長くはやしたおじいさんだった。あまりの突然さに驚いてしばらく声をだせずにいると、おじいさんは何かを差し出した。
「あ、これすずのハンカチ!ありがとう、おじいさん!」
おじいさんは優しい笑顔を浮かべた。
遠くの方で夕方を告げる音楽が聞こえてくる。
「もう家に帰らないと…。おじいさん、さようなら!」
おじいさんにさよならをいうと、優しい笑顔を浮かべながらひらひらと手を振ってくれた。
次の日、おじいさんにまた会えないかと学校が終わった公園に行った。昨日のお礼にとおやつの煎餅を持って。
おじいさんは昨日会ったところの近くにあるベンチに座っていた。
「おじいさん!昨日はありがとう。あのね、おれいに煎餅持ってきたからあげるね!」
おじいさんは少し驚いた表情をみせたが、いただきますというように手を合わせてから煎餅を受け取った。
二人でおやつを食べながら、私は学校のこと話した。久しぶりに話し相手ができたのがとても嬉しかった。
それから毎日とはいかなかったけれど、公園でそのおじいさんに話に行くようになった。もちろんおやつも一緒に持っていく。
話は私の学校のことや、前にいたところの事、友人が出来ないとか、テストで悪い点とってしまったとか、近況報告やお悩み相談をしていた。おじいさんは話を聞いて頷いたり、時には首を振り、時には頭をなで、でもいつもあの優しい笑顔で話をきいてくれていた。
おじいさんとのお話会がしばらく続き、夏も終わりに近づいたある日。
いつものようにおやつを食べながら話していると、突然大雨が降って来た。おじいさんとのお別れもそこそこに慌てて家に帰る。
―確かその後ひどい風邪をひいてしばらく学校に行けなかったんだっけ。ああ、鏡花がプリントを届けてくれたの、あの時か。そこから鏡花と話すようになって、一緒に遊ぶようになって…。あの公園に行ったけどおじいさんいなくて…。…いつの間にか忘れちゃってたんだ。
「あの時の、おじいさん…?」
座っている老人は昔と変わらない笑顔を浮かべて頷くと、私の手にそっと何かを握らせた。
「これ…。無くしたと思ってたキーホルダー。」
老人が渡してくれたのは、私がこっちに引っ越すときに学校の友人たちがくれた宝物のキーホルダーだった。風邪を引いたころから付けていたはずのカバンからなくなっていて、家の中をいくら探しても見つからず、大泣きしたことを覚えている。キーホルダーに浮いている小さな鈴が私の手の中でチリチリと音を立てた。
「鈴の音…。これを渡すために夢をみせていたの?」
老人は嬉しそうにこくりと頷く。
「…また。また話にきてもいいかな。おじいさんに話したいことが沢山あるの。おやつも持ってくるから、ね?」
おじいさんは寂しそうに笑うと、あの頃のように私の頭をなでた。
「おじいさん…?」
目を閉じて懐かしさを感じ、再び目を開けた時、そこには誰もいなかった。辺りを見回してもあの老人の影すら見当たらなかった。
「お嬢さん、さっきから誰と話しているんだい?工事中で危ないからここにはあまり来ない方がいいよ。」
不意に声をかけられた。その人の服装から、工事現場で働く人だとわかった。
「え…?誰と?ここにおじいさんいましたよね?」
「いや?お嬢さん一人だったよ。」
何か嫌な予感がして、もしかしてと夢の中の記憶と結びついた。
「…!あの、この公園にあった小さい鳥居と大きな木はまだありますよね?残ってますよね?!」
「なんでまたそんなこと。…あー鳥居は撤去されて木は切られたんじゃなかったかな。」
「そんな…。」
あのおじいさんはずっとあそこで待っていてくれた。
でも次にあの公園に行った時には鏡花も一緒だったから会わないようにしてくれていたのかもしれない。
やることが終わったかのように、キーホルダーを渡された日からあの夢を見なくなった。
その後あそこに祀られていたのは「失せ物が見つかる」と言われて人々が信仰していた神だと知った。
あの夢は神様としての最後の仕事におじいさんがみせてくれたものだったのかな…。
『ありがとう、おじいさん。』
『今度こそ、おじいさんのこと忘れないから。』
日本にはその昔八百万の神がいたという。
人々は次第に彼らの存在を忘れ、彼らの家を取り壊した。
果たして何人の神が今に残っているのだろうか…。