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otonasisu  作者: じばしば
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000/記録

「ねぇお兄ちゃん。お母さんが爆発しちゃった」


 事実確認が成されている記録の中で最古の報告例は幼い少女のそんな言葉から始まる出来事だったと言う。

 夏休みの最中、エアコンの聞いたリビングで一人、当事者であるラルフ少年はソファに沈みながら好きだったテレビアニメを見ていた。

 いつも厳しい父親も今日は朝から出かけていて、母親は寝室で妹の相手をしているらしい。

 今だけは誰も邪魔されない自由な時間を謳歌できるチャンスだった。


 そんな時間に滑り込んできたのがその言葉だった。


 ラルフには三つ歳の離れたエマという妹がいた。

 感情表現の乏しい大人しい子供だったが、嘘をつくような子供ではなかったらしい。


 そうでなくともラルフはそんな妹の、現実味のない言葉をただの冗談だとは受け取らなかっただろう。

 その言葉と共にリビングに現れたエマは、全身を真っ赤なペンキでも浴びせられたみたいに赤く染めていたからだ。


 ラルフはエマのその姿に血の気が引いた。

 言葉の意味がすぐには理解できなかったラルフだが、その尋常ならざる妹の姿に何か恐ろしい予感を感じ取り、すぐにソファから立ち上がった。エマの手を引いて母親がいるはずの寝室に駆けた。


 そしてそこで、エマと同じ色に染まった両親のベッドを見た。

 原型の欠片もないそれらが、恐らくは自分の母親だったものなのだろうと察し、ただ絶叫を上げた。

 鉄臭い異臭が立ち込めていたのに気づいたのは、叫ぶ力も失って床にへたりこんだあとだった。


 ラルフの悲鳴は近隣の民家にも届き、大きな騒ぎになった。

 そして警察に連絡が入り、事件が記録される事になる。


 最初に現場への移動指示が出されたのは当時、現場であるウォルド家に最も近い区域に配属されていたオーとヘンリーのペアであった。


 二人はすぐに現場へと急行した。

 だが、二人がウォルド家に到着した時には、すでに被害は広がっていた。


 報告にあった宅内の寝室だけでなく、ウォルド家の敷地そのものが赤く染め上げられていたのだ。

 庭の芝だけではない。住宅の壁にも赤い何かがべったりとくっついて滴り落ちている。

 それは窓の内側からも染み出ているように見えた。


「おいおいヘンリー。一体なんなんだこれは? ドジなペンチ屋が派手に転んだか? それとも空からチェリーパイでも降ってきたってのかい?」

「……ふざけてる場合じゃないわよ、オー。住宅の中には子供がいるはずだわ。行きましょう」


 無線の報告を聞いた時から子供の悪ふざけだろうと踏んでいたオーの軽口を、しかしヘンリーは神妙な顔で一蹴する。

 そうしてヘンリーは腰のピストルを抜き、弾丸が装填されているのを素早く確認すると、安全装置を外してパトカーを降りた。


「ヘンリー! おいおい正気(マジ)かよ、相手は子供だぞ? どうせ性質(たち)の悪い悪戯(イタズラ)さ」


 落ち着けと宥めようとするオーの言葉は無視してヘンリーはピストルを手にウォルド家に向かう。


「ったく、何だってんだよ……。女の子の日でも来たのか?」


 仕方がないとオーもパトカーを降りてヘンリーに続いた。


「オー、気を引き締めて」


 女のカンとでも言えばいいのか。ヘンリーはただならぬ予感を感じていた。

 駆け付けた現場は確かに冗談みたいな状態だった。

 オーの冗談の方が現実味も説得力もあるだろう。


「現地の子供から母親が爆発したとの連絡が入っている。近隣住民も集まって小さなパニックになっているようだ。至急、現場へ急行して状況を確認せよ」


 頭の悪い田舎暮らしの老人達が子供のイタズラに巻き込まれでもしているのか。

 そんな風に呆れながら「了解(ラジャ―)」と答えたヘンリーだが、現場を目の当たりにして妙な寒気を覚えたのだ。


 そして庭に足を踏み入れようとしたとき、それは確信に変わった。


「おい、おいおいヘンリー、マジだぜ! こりゃあ人間の血だ!」


 むせかえるように立ちこめるのは鼻をつく鉄の匂い。

 眉間に皺を寄せたオーの目つきが、警官としてのそれに変わる。

 自身も腰のピストルを抜くと安全装置を外していつでも発砲できる姿勢を作った。


「おかしいわね……」

「あぁ、おかしいぞ。無線じゃ近隣住民が集まってるって話だった。パニックになってるなら声の一つや二つは聞こえてくる……だろ?」


 ヘンリーの言わんとする所をオーが的確に返してきた。

 普段は"テキトー"が警官のコスプレをして歩いているような男だが、一度、警官としてのスイッチが入ればこれ以上になく頼りになる相棒だった。


「えぇ、そう。それに子供もいるはず……」

「この現場は静かすぎるってワケだ」


 ウォルド家の玄関は開いていた。

 二人はそれぞれ扉の両脇に隠れるように張り付いて、一度、視線を合わせた。


 オーの視線に、ヘンリーがコクと小さく頷く。

 瞬時、オーは体を屈めた姿勢で素早く玄関の中へと銃口を向けた。

 視線が遮蔽物を探しだし、同時に人の気配を探る。


「誰もいないぞ……」


 玄関の先は、真っ赤な世界だった。


「なんなの、これは……」


 遅れて中を覗いたヘンリーが思わずこぼした。

 

 玄関の先に続いているのは一つに連なったリビングとキッチンだった。

 そのどちらも、真っ赤に染まっている。

 庭先と同じ人間の血液だ。


 リビングの中央には丸いガラスのテーブルが置かれ、テーブルを挟むようにテレビとソファが配置されていた。

 テレビには最近の子供に人気のアニメ番組が流れたままになっていた。音量は小さいがつけっぱなしだ。

 テーブルの上には食べかけに見える中身の減ったポップコーン。ストロベリーソースでもぶちまけたみたいに赤い色が染みこんでいる。


 至る所に赤色が飛び散っていた。

 テレビの音量が小さいのも、スピーカーに飛び散った液体のせいだろう。


 具体的なイメージは、真っ赤なペンキを詰め込んだ巨大な水風船。

 それが所々で破裂して中身をぶちまけたのなら、きっとこんな景色になるに違いない。

 それは住宅の中だけでなく、庭の景色にも通じるイメージだった。


 ヘンリーの脳裏にはその水風船がハッキリと見えた。

 自分たちと同じ大きさの、肌色の風船。

 表面に青白いミミズのような線を走らせながら、加速度的に膨張して、弾け飛ぶ。


「うっ……ゲェ……!!」

「おい、大丈夫か?」


 ヘンリーは思わず嘔吐した。


「お前がそんなになるなんて珍しいな。確かにヤベー景色だが……やっぱり生理か?」


 ふざけないで、と返す気力もなかった。


 これまでにもいくつもの悲惨な現場を見てきた二人だ。

 大量の血をみたくらいで気分を崩すような素人ではないハズだったが、なぜか今回は妙な寒気に耐えられなかった。


 同じ現場にいるはずのオーが、なぜか遠く感じる。

 オーはなぜかいつも通りだ。


「平気、もう大丈夫よ……」


 胃の中でシェイクされたランチを全て出し切ると、少しは体が楽になった気がした。


「リビングからでた所に夫婦の寝室があるはずよ。確認しましょう」

「あぁ、俺が先行する」


 リビングとキッチンの間に、別の部屋へと続く通路が一つ伸びていた。

 オーがゆっくりと通路の中を覗き見る。


 その顔に、影が落ちてきた。


「っ!?」


 気配に気づいて咄嗟に銃口を向けた先には、部屋と同じ赤い色に染まった人影があった。


「動くな!!」


 銃口の先にあったのは皺だらけの顔に、白髪の混じった頭髪。

 それは小柄な老人だった。

 銃口を向けられ、年老いた男は素直に両手を開いて頭上に掲げる。


 老人は急にピストルを向けられたというのに、声一つ上げない。

 だが、その体は震えていた。


「ここで何をしている? 一体なにがあった?」

「……あんた警察か! 男だよな? 良かった!」


 老人が凶器を持っているようには見えなかった。いかにも非力そうで、危険も感じられない。やけに落ち着いて見える表情には、しかし恐怖の色がハッキリとにじみ出ている。

 だが、まだ判断を下すには早かった。


 この場所で何かがあったのは間違いない。

 散乱する血液の量から考えれば、おそらくは、近年では類を見ない程の大量殺人。


 この老人がその犯人でないとは言い切れない。


「オー?」


 オーの声を聞いてヘンリーも銃を構えて駆け付けた。


「大丈夫だ。生存者一名を発見。気を抜くなよ」


 事件の犯人の可能性もある、とは口には出さなかったが、ヘンリーには通じていた。

 ヘンリーは頷いて銃を構え直す。


「おい、あんた……ダメだ……」


 だが、そのヘンリーを見て老人の様子が変わった。


「あんた、逃げろ……!」


 警官の姿を見て安心したのか、薄らぎつつあった恐怖の感情が、なぜか、まるでヘンリーの姿を見た途端に再び暴れだしたようだった。


「え?」


 意図がくみ取れず、思わず聞き返すヘンリーに、老人は構わず詰め寄った。


「おい!? 止まれ! 動くな!!」


 老人はオーが銃口を向け直すのも気にしない。

 言葉など届いていないようだった。


「逃げるんだよ! 今すぐこの家から離れるんだ!!」


 目が血走り、まともな精神状態ではないことが伺える。


「チィ……!」


 そしてそれは、凶器も持っていない老人相手にさすがに発砲するわけにもいかず、腕っぷしで引き留めようとオーが間に割って入ろうとした時だった。


「ちょ、ちょっと待って! 待っ……落ち着いて下さい!」


 グイグイと背中を押し始める老人の体を引き剥がそうとヘンリーが振り向いた時、通路の先で赤い扉が開いた。


 ギィ、と蝶番の金具が擦れる小さな音がなぜかヘンリーにはハッキリと聞き取れた。

 扉の奥には幼い少女が佇んでいる。

 その赤い瞳に、何かが映っているのが見えた。


 肌色の、大きな大きな水風船。

 弾けて通路を真っ赤に塗り替える。


「あ――」


 ヘンリーの体が、風船のように膨らんだ。

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