第三話-報酬-
草原エリアの特徴は、遮蔽物が少なく、遠くまで見渡せることにある。離れたところにいる敵や他のプレイヤーを見つけることも容易だが、逆に言えば相手からも発見されやすい。不用意に歩いていると、思わぬところからモンスターに襲われてしまう。
多量の草を踏みしめる、現実ではほとんど味わったことのない感覚に、妙な高揚感を覚えつつも、周囲の警戒を欠かさない。知識だけなら無駄にあるとはいえ、実際に戦った事はない。レベルも低く、下手に不意打ちなどされたらひとたまりもないだろう。
「な、なんだか、いつ敵が来るのかと思うと……ドキドキしますね」
「ちゃんと周囲を警戒してれば平気だよ。……ほら、あっちだ」
フィアレスが指差す。その先には、草原を歩く四足のモンスターがいた。狼風のモンスター、「ウルフ」だ。逆立った毛並みに、鋭い牙、ギョロリとした目。いかにもモンスター、といった風だ。
そんな敵の姿を見て、ビク、とセシウスの肩が震える。
「そう怖がるなって。簡単に倒せる。……さあ、行こう」
今にも逃げ出しそうなセシウスの肩を叩く。剣を引き抜き、ウルフへ近付いていく。後ろから恐る恐る、セシウスも歩いてくる。ある程度の距離まで行くと、足音に反応したか、それとも狼らしく臭いをかぎつけたか、モンスターが二人の方を向いた。遠吠えをした後、走り寄ってきた。
四足歩行による疾駆。ある程度あると思っていた距離が瞬く間に縮んでいく。
「こいつは火が弱点だ。火の魔法、頼む!」
ゲーム開始直後、プレイヤーは技を使えない。しかし、魔導士だけは、戦闘のため、火の魔法と回復魔法を一つずつ使うことが出来る。
向けられた爪を避ける。が、その一部が頬をかすめた。舌打ち混じりに振り向いたところへ剣を振るうが、素早いステップでかわされてしまう。グルルと鳴らした喉が、こちらを挑発しているようでイラッと来る。
「ヤロー……」
「あのっ、私、どうすれば……!」
またも飛びかかるウルフ。左手で打ち払おうとするが、逆に相手に噛み付かれてしまう。ダメージが蓄積される前に急いで引き剥がし、一度下がってセシウスへ指示を送る。
「簡単だよ。杖をあいつに向けて、魔法を使うぞ、って念じればいい」
魔法に限らず、さまざまな特技の使用は「使いたい」と思うだけでいい。脳からの指令を汲み取って、それらの技・魔法が発動される。
「杖を向けて……! えいっ!」
セシウスが気合を入れて杖を振るうと、その先端からバスケットボール大の火球が放たれた。魔導士の初級魔法、「ファイアーボール」だ。
「で、出来た……!」
狙われていることに気づいたウルフが火球を避けようと走りだすが、ファイアーボールには追尾性能がある。ウルフを追い、見事に命中した。悲痛な叫びとともにウルフが地面を転がる。ウルフを始め、野獣系モンスターは総じて火属性が弱点だ。序盤のRPGにありがちな、初期技が効く敵だ。
立ち上がろうともがくウルフへ剣を突き刺し、トドメの一撃を加える。モンスターは死体を残さず、紫の煙になって消えた。同時、経験値と金が手に入る。この辺りは、一般的なRPGと変わらない。ただ、初期状態では相手モンスターのHPは確認できない。相手の状態を探るアイテムか、専用スキルが必要だ。だが、今のような最序盤ではあまり必要ないだろう。
「ま、こんなもんだよ」
お疲れ、とセシウスの肩を叩くと、糸の切れた人形のように、急に地面にへたり込んでしまった。息荒く俯いたままだ。
「おいおい、大丈夫か?」
「は、はい。……なんだか、疲れちゃって……」
まさしく緊張の糸が切れた、ということだろう。立ち上がる腕を取ってやる。
「怖かったか?」
「はい、少し……。でも」
「でも?」
息を整え、顔を上げると、そこには何かをやり遂げた後のような、スッキリとした笑顔があった。
「楽しかったです。……とっても!」
それを見て、フィアレスも笑みを浮かべた。楽しさの共有は、ゲームの醍醐味だ。どうやら、最初の目的は達成できたようだ。
「よし、じゃあとりあえず回復だな」
今の戦闘で減ったHPとAPを回復する。HPは体力だ。自分の命のゲージで、これがなくなることは、この世界では死を意味する。APは技を使うためのポイントで、技や魔法を使う度に減少し、時間経過か、もしくはアイテムで回復できる。
この二つが文字通りこの世界での生命線であり、非戦闘中はメニューで、戦闘中ならば視界の端に、それぞれ緑と青のゲージと数値が表示される。回復アイテムでHPを回復。休憩がてらAPが回復するまで待ち、全回復したところで、改めて出発することにする。
「よし、そろそろ行こう。次はきっと、もっと楽しいぞ」
「はい!」
そう、冒険は楽しい。見知らぬ世界を見て回る。まるで本物の戦士のように。それが、この世界。この、『The Earth』。
「あ、ありました!」
草原の中に一つだけある祭壇。それを探しだすのがこのエリアの目標だ。いくつかの雑魚敵を倒し、無事祭壇を見つけると、そこにはご褒美の宝箱が置いてある。中身はランダムで選ばれることが多いが、完全固定で中レア程度のアイテムが手に入ることもある。
「開けていいよ」
モンスターからのアイテムドロップは、各プレイヤーごとに行われるが、祭壇など、エリア固定の宝箱は一つしかないため、パーティで行動するときは、誰が取得するか考えておかなければならない。
「いいんですか?」
「ああ。頑張ってくれたからな」
「ありがとうございます!」
オドオドして気弱になっていたセシウスも、ここでの冒険で自信をつけたか、ハキハキと元気な印象になった。きっとこちらが本当のセシウスなのだろう、とフィアレスは思う。
宝箱を開ける。中から飛び出してきた光がセシウスの手の中に収まった。今頃、セシウスの視界には入手アイテムの詳細が表示されているはずだ。
「何だった?」
セシウスの元へ寄り、尋ねる。セシウスは何かを操作しているかのような間を置いた後、その手に大きな白い物体を出現させた。パラメーターに影響を及ぼさない、コスチュームアイテムだ。
「これ、えっと……帽子、みたいですね」
大きく丸い帽子だ。水色のラインと、緑の宝石が飾り付けられていて、頭に被れるような穴が一つ、空いている。
「へえ。ならレアアイテムだな。普通なら武器とか防具とか、もっと安っぽい物だからな」
「へえ……珍しい物なんですね。なんだか、嬉しいです」
そう言うと、セシウスはその帽子を被ってみせた。
「どう……ですか?」
「うん、よく似合う」
そんなセシウスがはにかむ姿に、フィアレス自身も、思わず笑みをこぼすのだった。
「それじゃ、街へ戻るとしますか」
「はい」
祭壇の横には街へ戻るための魔方陣がある。そこに入れば、後は自動的に、城の中へと戻っている。一瞬のブラックアウトで城へ。ふう、とフィアレスは一息ついた。
「さて、次は……」
そう言いかけたところで、あっ、とセシウスが口を抑えた。
「すいません、フィアレスさん。私、そろそろ帰らないと……」
「時間か?」
メニュー画面を開けば時刻を確認できる。当然ながら時刻は現実と連動していて、それに合わせてこの『The Earth』も日が沈む。確かに、窓からは月が輝いていた。
「はい。……あの、明日また、会えますか?」
明日は土曜日。午前中は授業があるが、半日授業なので午後からなら問題はない。学生であることは隠し、そのことをセシウスに伝えると、またも嬉しそうに笑った。
「じゃあ、また明日、お願いします。それでは……」
「あ、ちょい待ち。これ、渡しとかないとな」
メニューを開き、「パーソナルカード」を取り出す。それをセシウスへと手渡した。
「それがあれば、メールとか電話とか、連絡取れるようになるから。何か伝えたいことがあったらそれで頼むよ」
どちらもこの『The Earth』専用のものだ。現実の端末でもメールの送受は出来るが、さすがに通話まではできない。
「はい。今日はありがとうございました」
「ああ。じゃあな」
最後にフィアレスは笑った。また会おう、と。返す笑顔で頭を下げて、セシウスの姿は消えていった。ログアウトしたのだ。
「……セシウス、か」
帽子を被って笑った、あの顔を思い出す。きっと彼女は、今日の日のことを楽しんでくれていたに違いない。そう思うと、フィアレス自身も本当に楽しかったと思えてくる。思い通り、ゲームの楽しさを誰かに教えてやることが出来た。それが、とても嬉しいのだ。
「さてと……経験値稼ぎでもするかな」
こちらはまだまだ時間がある。明日に備えて、エリアに繰りだそう。そう思い、フィアレスは一人、魔法陣へ入るのだった。