第二話-冒険-
「とりあえず、舟に乗ろうか」
目的地を決めるでなく、舟でゆらゆらと川面を進む。セシウスは初め顔をあげようともしなかったが、話をしていくうちに、徐々にだが打ち解けることができた。
「……友達に誘われたはいいが、その友達が急用と。そんで、一人で?」
「はい。今までTVRなんて全然体験したことなくて、そんなだと友達にも迷惑をかけるかもって思って一人で入ってみたんですけど……案の定、でした」
なんでも、普段から付き合いのある友人たちがいて、彼らは大のゲーム好きなのだという。それで、彼らが今まさにドハマリ中のこの『The Earth』に誘われ、今日から始めることになったのだが……と、いうところだ。
セシウスは顔の前で手を握ったり開いたりする。動きはぎこちない。まだしっくり行っていないようで、小首を傾げる。
「このゲームのことについてはどれだけ知ってるんだ?」
フィアレスの言葉に、セシウスは首を横に振った。
「いえ、全く。友達から何度か話は聞いていたんですけど、そもそもゲームもやったことなくて。何が何だか……。現実とほとんど変わりない、みたいなことは、なんとなくわかるんですけど」
「……そうか。じゃあ、あんまり世界観の話とか、ゲームっぽい話はしても面白くないかもな」
この世界の根幹は、よくある剣と魔法の世界。剣士は剣を、魔法使いは杖を持って、魔物と戦う。ゲーム初心者はそれだけ理解していれば十分だ。当然、興味を持ったのならその世界観を調べてみるのがいい。なぜこの世界に人が生まれ、魔法があり、モンスターと戦うことになったのかが、伝承風に公式サイトにまとめてある。
「えっと、怪物と戦う、みたいなゲームなんですよね。……そうなると、私はあんまり好きになれなさそうです」
「いや、まあ確かに基本的にはモンスターと戦って、アイテムやら装備やら集めるもんなんだけど……そうだな。船頭さん、北区西へ向かってくれ」
フィアレスの声に、無言で舟を漕いでいたNPCが、気の抜けた返事とともに進路を変えた。ヴィーネの北区西は、『The Earth』の名物と言えるところだ。最新のTVRを余すことなく利用できる場所が待っている。水門を抜け北区へ。そして、そこから西へ流れる川へと乗る。すると、次第に二人の鼻に、今まで感じられなかった物がやって来始めた。
「あ……」
「ああ。いい匂いだ」
通称、バザー地区。様々な出店が並び、初めて街を訪れた者も、魔物刈りに疲れた熟練者も、どちらも優しく受け入れる、この街一番の名所だ。
「このゲーム……というか、TVRは、舌と鼻が感じる物を初めて再現出来たVRなんだ。となれば、それを利用しない手はない。プレイヤーはこぞって、ここで料理を作る。で、作らないプレイヤーはそれを飲み食いする。……らしい」
なにせフィアレス自身、実際に来たことはないのだ。セシウスに説明しながらも、自分自身、未知の世界への期待が高まっている。いろんな匂いが混ざって、何が何だか判別はつかない。だが、祭りの出店や、フードコートなんかに行ったときのような匂いだ。何から食べてやろうかと、ワクワクしてくる。
「まあ当然ながら、現実の腹は膨れないけどな。噂によると、現実に出店してる人がこっちでも同じ味を再現して、店に呼びこもうなんて戦略もあるらしい」
「……なるほど」
「……でも、同じ味だとこっちで食って満足しちゃうんじゃないかと思うんだけどな、どうなんだろ」
首を傾げるフィアレスの姿に、くすくす、とセシウスが笑う。初めて見せてくれた笑顔に、フィアレスはちょっとだけ、心が和らいだ。
舟着場へ到着する。フィアレスが先に降り、舟にいるセシウスへ手を伸ばす。
「足元、気をつけろよ」
「あ、はい」
その手を取り、セシウスは軽く引っ張られながら船を降りた。一度軽くつまづきながらも、なんとか無事に着地する。
「ありがとうございます」
「ああ。どうだ、少しは慣れたか?」
軽く足踏みをするように動きを確認する。だが、首を傾げて不満げだ。
「うーん……まだ、ちょっとダメみたいです」
「そうか。まあ、ここ歩いているうちに慣れるだろ」
セシウスのちょっとした動作は、狙っているのか天然なのか、小動物を思わせる。歩幅を合わせ、その横をゆっくりと歩く。様々な出店を横目に、バザーを進んだ。
「どうせなら何か食べてみたいよな。何か食べたいものとかある?」
「あ、じゃあ……何か甘いものでも」
「甘いものか……何かあるかな」
並ぶ店は様々。何せここは別世界なのだから、ファンタジーならではの食材を使っている。だが、やはり作る人間がリアルなこともあり、たこ焼きだのラーメンだのと仕方がないが日本風だ。しかし、使われている食材は「羽豚」・「角蛸」と聞き慣れない。果たして美味しいのだろうか。現実の食事を再現したものもあるが、どうせならこっちでしか味わえないものを食べたいと思う。
少し歩くと、クレープ屋を見つけた。看板には『The Earth』にしかない果物を用いたとある。「ヴィーネイチゴ」「サンディラメロン」……果物の名の前置詞はどれもこの『The Earth』内の地名や町名だ。恐らく、そこの特産品なのだろう。
「ここでいいか?」
「はい」
クレープの焼き上がりを待ち、二つ出来上がったところで片方をセシウスへ渡す。それを食べ歩きながら、小舟の方へ戻った。シャリシャリとした甘酸っぱい味。リンゴの酸味を強くしたような味だが、生クリームの甘みが強いため、結果的に程良くまとまっている。聞くところによると、こちらでいくら飲み食いしてもリアルの肉体にはほとんど影響はないため、濃いめの味が好まれるという。
パクパクと景気よくクレープにかぶりつきつつ、セシウスの様子を見る。まだちょっとぎこちなさが残るが、食べるのには苦労していないようだ。
「もうだいぶ体の方も慣れてきたみたいだな」
「あ……そういえばそうですね。ありがとうございます」
自然と食べれていたことに自分でも気づいたか、手足をぱたぱた動かし、動きを見ている。完璧ではないようだが、それでもだいぶ小慣れてきているのは見ていてもわかる。
「じゃあ……そうだな。腹ごしらえの後は、運動でもするか」
腹ごしらえとは言っても実際に腹が膨れたわけではない。いわゆる演技だ。
「運動……ですか?」
「そう。まあさっきは好きになれないかもなんて言ってたけど、せっかくなんだから一度くらい、戦闘に出てもいいだろ?」
「それは……確かに、そうですけど……」
戦闘と聞いて、楽しげだったシウスの表情が曇る。確かに、いくらゲームとはいえ、いきなりモンスターと戦えと言われれば怖くもなる。とはいえ、食わず嫌いで一切戦わないと言うのももったいない。
「このゲーム、戦闘エリアに出れば痛覚はほとんどないからさ。それに、案外モンスター退治にハマるかもしれない」
五感のすべてを再現しているゲームにおいて重要なのが、痛覚の扱いだ。戦いになれば、当然プレイヤーは攻撃を受けることになる。そこで痛みを感じるかどうかは、各々のゲームの調整次第となっている。例えば、戦争系のあるゲームは、戦場での痛みを再現という触れ込みで、一定の客層を獲得している。痛覚がある、という方向性が成功した例だ。
一方で、あるSF系列のゲームでは、痛覚の有無の切り替えができる。これはプレイヤーごとに好みがあるだろうという考えによるものだが、それだけではなく、未来風の世界観を利用し、『無痛薬を投与された兵士がいる』という設定にしている。出来る限り世界に入り込めるようにという配慮だ。しかし、この『The Earth』はというと、そう言った細かい設定などはなく、とにかく一律で痛覚はなしだ。考えなしというわけではなく、痛覚のあるゲームは良くも悪くもコアな層向けになってしまう。このゲームは大衆向けであるべき、という製作者の意向である。
フィアレスはこの考えは間違っていない、と思っている。なにせ世界中で大人気のゲームだ。下手にこだわっても邪魔なだけだろう。だが、この一年、ファンの間で議論されている部分でもある。魔法の効果でも何でも、何かしら設定が欲しい、という意見も多い。
しばらく悩んでいる様だったセシウスは、一つ意を決したように頷くと、フィアレスの方へ視線を向けた。
「それじゃあ、少しだけ……頑張ってみようと思います」
ぐっ、と拳を握りしめる。
「よし、じゃあ行くか」
舟着場へと戻り、街の中央、流れる川の最後の行き先へ舟を進める。それがこの街から戦闘エリアに出るために必要な場所。ヴィーネ王城だ。
戦闘エリアは大きく分けて二つ。一つは、その街ごとに決められた場所から魔法陣でワープ移動する、冒険エリアだ。草原、荒野、洞窟など、設定された空間やダンジョンを進む形式で、最奥の宝箱の入手やボスを撃破するとクリアとなる。
もう一つは、街の外、フィールドエリアだ。現時点で実装されている街は五つ。街から街へ移動するには、往来のRPGのように徒歩移動が必要だ。フィールドでは当然モンスターが出て、それを倒しつつ次の街へ移動する。フィールドモンスターは手強く、ゲーム開始直後では手も足も出ないため、レベル上げや装備を整えるため、まずは冒険エリアに出る必要がある。
王城へ入ると大広間に出る。その中央には、プレイヤーを冒険エリアに飛ばす大きな魔法装置が設置してあった。両脇には冒険者たち用のアイテムショップや武具屋が並んでいて、ここで準備して出発しろ、ということだ。
「何か買わなくていいんですか?」
ショップを無視して装置へ近づくフィアレスに、セシウスは声をかける。
「ああ。回復アイテムは最初から何個か所持してるみたいだからな」
メニューのアイテム欄を出すと、回復薬が数個と蘇生薬が一つ、はじめから入っている。これだけあれば最初のエリア程度突破可能だろう、という判断だ。無理そうなら途中帰還もできる。心配はない。
「セシウスは魔術師だろ? 回復術を使えるから、危ないと思ったらそれ使ってくれ」
「は、はい。が、頑張ります……!」
気合を入れているようだが、なんとも頼りない。何事も最初はこんなもの、今後に期待だ、となんだか保護者の気分だ。
「ほら、やってみ」
ずっとフィアレスの後ろでまごついていたセシウスの背を押し、装置の中へ入らせる。急にメニュー画面が開いたか、わたわたする姿を見ると、なんだかおかしくて笑ってしまう。
「ど、どうすれば……」
困ったように視線を送られる。少し意地悪だったかな、と反省し、隣に立って操作を教える。
個人のアイテム欄等、いくつかの物を除いて、一定の距離まで近づけばメニューウィンドウは共有できる。だが、相手のウィンドウはさすがに操作まではできない。あくまでも共に見ることが出来るだけだ。
「まあ、本当ならここの……ほら、この三つ、ここで色々と入力するんだけど」
セシウスのウィンドウの各所を指さし、操作を教える。
エリアを構築する要素は三つ。一つはモンスターの属性を決め、一つはそのエリアの種類を決め、そして最後に、モンスターの強さを決める。と言っても直接決められる訳ではない。属性に関しては精霊石というわかりやすいもので決められるが、残る二つは、二つのワードを入れることで決定される。
「でも、最初は扱い難しいから、こっちの、スタンダードエリアってとこでいいかな」
「スタンダード……?」
「要するに、最初から用意されたおすすめエリアってこと」
初心者用のほか、イベント専用エリアや、日毎に異なる特殊エリアなどもここに置かれる。今回の行き先は当然、初心者用の場所だ。言うとおりにセシウスがそれを選ぶと、空欄だった要素が一気に挿入される。水の精霊石、ワードは『始まりの』『大地』だ。
モンスターの実際の強さなどは普通、入ってみなければわからないが、スタンダードエリアの場合はある程度の指針は表示される。水の『始まりの大地』は、ランク1……つまりは最低難易度ということだ。
「あとは転送を待つだけ」
決定ボタンを押す。すると、装置が動き出し、足下で魔法陣の輝きが二人を包み込んだ。そのまばゆさに思わず目を閉じる。数秒後、次に眼を開けた時には、二人は城中ではなく、草原の中にいた。風が吹き抜け、草と、何かの甘い香りが運ばれてくる。この香りは。
「花の香り……」
セシウスがつぶやく。過去のゲームでは感じられなかった「匂い」。再三味わう、この魅力的な感覚。ゲームなのに、まるで本当にここにいるような――いや。
「俺達は今、ここにいるんだ……」
今の自分は高校生の佐久間亮ではない。
「え……?」
「いや。さあ、目標はエリア最奥の宝箱だ。進もう」
この『The Earth』に立つ、戦士――フィアレスなのだ。