第一話-出会い-
第一章
インストール――完了。起動――アカウント確認――ログイン――完了。キャラクターメイクへ。自分の分身を作り上げるキャラメイク。この『The Earth』では、コピーされた精神データにテクスチャーを貼り付けることで、それをアバターとして完成させる。作り上げたアバターは、まさしく自分の手足、肉体そのものとなり、ゲームの世界を闊歩する身体となる。
取り込まれた精神データに沿った初期アバターが作成される。その姿は、デジタイズされた自分自身だ。ここから、身長・体型、髪色、顔のパーツを選び出していく。だが、亮はそれらを必要以上にいじるつもりはなかった。あくまでも自分の分身であり、あまり変更してしまうと、自分であるような気がしなくなってしまうと思っていた。とは言っても、理想の自分を作り上げるのも醍醐味である。理想と現実のいい塩梅を見つけるように、楽しくメイクする。
身長・体型はそのままにし、髪と眼の色は変更する。それぞれ、銀と青。今までキャラメイクが出来るゲームはいくつもプレイしてきたが、この組み合わせは変わらない。その他、細かなところを調整。職業は剣士。オーソドックスだが、やはりこれが一番だ。剣と盾。かっこいいものだ。初期服は軽装の鎧と、革の装備。剣は腰に佩いている。
メイクが終了し、ついにこの世界へと足を踏み出す瞬間がやってくる。心の中のワクワクが抑えられない。ついに、その時が来た。キャラクター作成――完了。
ようこそ、『The Earth』へ――……。
まぶたを開けると、飛び込んできたのは巨大な門だった。巨人でも通るのかという大きさだ。10メートル弱はあるだろう。その両脇には鉄の鎧に身を包んだ兵士のような人物がいた。フルフェイスの奥の顔は見えないが、どうもこちらを見ているようだ。
その迫力に驚き、思わず一歩後ずさる。舗装された石畳を踏む感覚と、細かな砂を踏む音。そして、鼻孔をくすぐる野草の匂い。そう、匂いだ。今までは不可能だった、嗅覚と味覚の再現。これは、人間の嗅覚のメカニズムが未だ完全には判明していなかったことによるのだが、それはTVRによって完全に解決した。なぜならば、物理的に匂いや味を再現しなければいけない従来のVRとは異なり、これならば様々なデータを用意し、それらを組み合わせることで、野草なら野草の、土なら土の匂いを作り、それをアバターに送信すればいいだけだからだ。これにより、VR系統のゲームにおいて、世界の現実味が格段に増した。
この草の匂いを感じたことで、亮は改めて、自分はこの世界に降り立ったのだと実感した。革の手袋を握りしめ、腰の剣の重みを感じながら、フィアレスは扉へ近づいた。すると、両脇の兵士が片方ずつ扉へ手をやった。なるほど、と思い、さらに歩くと、兵士が徐々に扉を押してくれる。こんな巨大な扉を、片手で開けるとはどんな怪力だと思ったが、魔法のある世界観であるので、そこのところは深く考えないようにした。
扉をくぐったフィアレスを出迎えたのは、美しく揺れる水面と、その上を進む数隻の小舟だった。ここは「水都ヴィーネ」。街の中央を流れる大きな川と、そこから分水された小川にて行き来する特徴的な街だ。
扉の閉まる重厚な音を背に、フィアレスは街を歩き出す。本来なら、ゲームに必ず存在するはずのBGMは、この『The Earth』には存在しない。なぜなら、普段自分が生きている世界にも当然、そんなものは存在しないからだ。流れる水のせせらぎが、待ちゆく人々の声が、この街の音だ。
「確か、舟に乗らないと移動できないんだったな……」
プレイできない悔しさから、公式サイトや攻略サイトは何度も見漁った。特に、最初に必ず訪れるこの街のページは何度も何度も読み返した。
移動に関してだが、正確に言えば、街の各所に配置された魔法陣でワープ移動ができる。だが、急いでいるならともかく、初めて降り立った地でそんな行為は無粋なだけだ。スピードよりも、今は風情を楽しもう。そう思い、近くの桟橋で待機している小舟の主のNPCへ話しかけようとした、その時だった。
後ろから、何か重たいものがぶち当たり、足元にあった水が突然、眼前に迫ってきた。あとは、避けようもなく。綺麗な川へ、頭から突っ込んだのだった。
「だ、大丈夫ですか?」
誰かの声が水越しに聞こえてくる。だが生憎、このゲームは鼻の穴から水が入ってくる嫌な感覚まで再現されている。その声に応じる余裕はなかった。
桟橋へ手を掛け、上体を引き上げる。髪や服が水に濡れて重たい。視線を上げると、地面へしゃがみ込んだ女の子が一人、心配そうにこちらを覗きこんでいる。どうやら自分は、この少女に追突されたらしい。
こちらに伸ばした助けの手をやんわりと断り、フィアレスは川から全身を引き上げ、地面へ転がった。立ち上がろうとするが、たっぷりと水を吸った全身が重くて一苦労だ。
「あの、すいませんでした。あの、まだ動きに慣れてなくて……」
そう言う女の子もすっと立ち上がれず、よろめきながらようやくといった風だ。横に転がっているのは初期装備の杖。服装も、魔導士の初期服だ。やや裾は短いが、いかにもと言ったローブ風で、初期の物だけあって味気ない。
今更だが、このゲームでは普通のテレビゲームのような操作は殆ど無い。メニュー画面はNTICのような脳波操作で、メニューに触れての操作も出来るが、あまり使うことはない。ゲームの中へ精神を移している状態では、PCのボディが自分の体そのものだ。手を動かしたいのなら、現実で手を動かすのと同様、そう思えばそう動く。
だが、それがうまく行かないことがまれにある。
「あんた、TVRは初めてか?」
「……はい」
TVRで初めて精神を移した時、まれにではあるが体をうまく動かせない者がいる。こればかりは本人がどうしようとも、慣れるしかない。要は、精神が不器用なのだ。その逆、TVRでのみ、現実以上の精神性を発揮できる者もいる。人それぞれということだ。
「名前は?」
「……え?」
「あんたの名前。……こっちのな」
細かいようだが、念を押す。きっとこの女の子はMMOの常識など知るはずもないだろう。名前はと聞かれて、本名を言いかねない。
「ああ、あのえっと……せ、セシウスと言います」
「セシウス、ね。俺はフィアレス。……俺も、今日からこのゲーム始めたんだ」
「そ、そうなんですか……」
いまいち会話が弾まない。川へ突き落としたことが後ろめたいのか、そもそもあまり人との会話が得意ではないのか。視線を合わせようとせず、声も小さい。
ふと、フィアレスの脳裏に過去の自分の姿が浮かんだ。数年前、初めてVRゲームを体験した時、自分もいろいろと教えてもらったことがある。見知らぬ人とのコミュニケーションの取り方などわからず、右往左往することも出来なかったあの頃。
「……なあ、セシウス」
「は、はい」
おどおどと怯えているようだ。こじんまりとして、頼りない。
「これも何かの縁、お節介かもしれないけど、ちょっとだけ付き合ってくれ」
セシウスは怯えた表情を崩さぬまま、小さく頷いた。
今度は、自分の番だ。この子に、『The Earth』を楽しさを教える。それが、今日この時に、この子と出会った自分の義務だ。