夜の市場・いろいろな魔物、野獣たちが徘徊するところ
その夜、すみれの血は200cc売れた。それでおしまいだった。
猫少女は、すみれの腕に刺さったままの針を抜く。止血をしてテープで止めてくれた。看護師役だ。
そして温かいスープとリンゴジュースをくれた。それらを摂取して、また明日の晩までに回復しておけってことだろう。
うっそうとしていた森の向こうが白んできていた。朝が近いらしい。それと同時に霧が発生する。
そうなるとあちこちの木の下で、見世終いが始まった。
猫少女は、檻の中にすみれが寝るための布団のような敷物と枕、毛布を入れてくれた。さらに足にかけられた鎖を外してくれた。そして檻はきちんと鍵がかけられた。
ブラッケンがやってきた。
上機嫌だ。重そうな金貨がいっぱい入った袋を持っている。
「大人気だったらしいな。なんて貴重なモノが手に入ったんだろう」
ニタニタ笑っている。キモイ。
そのブラッケンが、厳しい目をしてレオンを見た。
「お前もいい加減に言うことをきいたらどうだ。このまま金を稼がないと食い物はあたえない。弱って死ぬだけだ」
それはレオンに言った言葉だ。
レオンは知らん顔をしている。ブラッケンは舌打ちをして、地下への扉を開けて姿を消した。
霧が立ち込めてくるとかなり冷える。すみれは布団に入り、毛布にくるまっても寒くて震えていた。このままでは眠れない。
≪すみれ、僕のところへきてごらん。僕は暖かくはないけど、風よけにはなるかもしれない≫
レオンはその長い体をぐるぐると巻く。すみれはその体の真ん中に入り、体を任せる。少しは暖かい感じがする。こんな状況で眠れやしないなんて思ったけど、いろいろなことがありすぎて疲れ果てていた。
すぐにすみれは寝入っていた。龍というあり得ないほど恐ろしい存在に体を寄せて眠っていた。
どのくらい寝たのかわからないが、すみれが目覚めた時、まだ辺りは真っ白で霧がかなり濃かった。すみれが動いたから、寝ていたレオンも起きてしまったらしい。
≪どうしたの?≫
≪うん、お腹が空いた。そして・・・・お手洗いに行きたい≫
≪ああ、それならもう猫少女がやってくる。たぶん、地下に下りてまたあの薬草の湯に入るんだろう。そして食事。大丈夫だよ。もうワインを勧められることはないからね≫
ここへ来て二回目の夜が来ようとしていた。悪夢としか思えないこの夜の市場。一体いつまでこんな生活が続くのか。まさか、一生? 冗談じゃない。
すみれは再び、沼の湯につかりながら、そんなことを思い、涙を流す。
全く昨日と同じだ。レオンと同じ檻の中で、すみれの血を買いに来る客を待つ。そして20ccづつ、10人までが終わるとすみれは解放された。
そして朝方になるとレオンと寄り添い、眠った。
これでは神経をやんでしまう。翌日もその次の日も同じことの繰り返しだだろう。来る客は恐ろし気な魔女だったり、どう見ても人間のような女性もいた。毎日のようにすみれの血を買いに通っている魔女もいた。
いっそのこと、全部の血を買い取ってもらって、もうすべてをお終いにしてもらった方がどれだけいいか、なんてことも考え始めていた。
≪レオンは強いよ。こんなところでずっと一人でひと月もいたなんてさ≫
≪ん、僕たちには時間はたっぷりあるからね。人間は急いでいろいろやらないとすぐに寿命が来ちゃうから、不便だよね≫
≪不便とかの問題じゃないと思うけど≫
レオンがいてくれるから、レオンがいろんなことを教えてくれるから、かろうじてすみれの精神は落ち着いていられるのだろう。
今夜ももう五人目の魔女が、すみれの血を買っていった。あと5人で今夜の業務は終了する。ここには休みはないのか。こんなことがずっと続いたら、いつか、すみれの体は血を作るのに間に合わなくなるだろう。干からびて、ふらふらになる自分の姿を想像していた。いやだ。こんなところで、そんなふうに死にたくない。
でも、でもね。お姉ちゃんだってそう思ってる、そう、きっと。頭を強く打って、そのまま意識が戻らないのだ。自分がどんな立場にいて、これからどうなるのか、そんなことを考える余地もない。
すみれは椅子に腰かけながら、檻の外を眺めていた。今夜もいろいろな魔物たちが歩いていた。家族で来ているような野獣たち、それにどうみても怪しげな妖魔が小さな花の苗を大事そうに抱えている様子も見えた。
みんなそれぞれ、この夜の市場に目的を持って訪れているのだ。
ふとすみれが気づいた。今夜はオスとメスの二人連れが多い。そして皆、にこにこ顔で小さい西瓜を一個ぶら下げていた。大事そうに抱きかかえている野獣もいる。一体なんだろう。
≪ねえ、今夜はなんでみんなが西瓜を買っていくの? 大売出し?≫
野獣たちも西瓜を食べることが意外に思う。
≪ああ、今夜は西瓜の日だった。だから、結婚したカップルが多い≫
≪西瓜の日って、西瓜を食べる日ってこと? 変わった日だね≫
≪え、知らねえのか。西瓜って言えば、赤ん坊だろう≫
すみれは首をかしげる。
≪意味、わかんない≫
桃太郎は桃から生まれたけど、西瓜から生まれたおとぎ話なんて合ったかなと考えてみた。しかし、浮かばない。
≪人間界じゃ、知らねえけど、魔界の方じゃ、メスとオスが一緒に子宝西瓜を食うと赤ん坊が授かるっていう言い伝えがある。だから、カップルが多いんだ≫
≪え~、変なの。コウノトリが赤ちゃんを運んでくるって言うのは聞いたことあるけど≫
すると、レオンの思い切りバカにした思考が入ってきた。
≪人間って、バッカじゃねえのか。鳥なんかがどうやって赤ちゃんを運ぶんだよ。精々、どっかからさらってくるくらいだろう。それか怪鳥か≫
思い切りバカにされていた。コウノトリが怪鳥だなんて、むっとしてしまう。だって、だって、アニメのダンボに、コウノトリが運ぶシーンだってあった。すみれはその由来は知らないけど、そう言うんだもん、とばかりにふくれっ面をする。
レオンはそれを感じ取ったのか、めんどくさい女とばかりに大きなため息をついた。
≪そう怒るなよ。今日は月一度の、子宝西瓜の日なんだ。この日に、その言い伝えを信じてここへ買いにくる野獣、魔物も多い。つがいとしての契約(結婚)をするときにもプレゼントされたりするかな。あの小さい西瓜を二人で切って食べるんだって≫
≪へえ、魔物たちも結構ロマンティックなんだね。子宝西瓜っていうんだ≫
≪あれって食べにくいんだ。ものすごく種が入ってるらしい≫
すみれもその種がたくさん入っているという所に納得していた。そんな言い伝えを知ってて教えてくれる、そういうこと信じているようだ。レオンって案外かわいいかも。
≪ねえ、レオンっていくつなの?≫
≪百六十歳≫
ヒッと息を飲む。即座に返事ができなかった。けど、レオンには読まれていた。
≪人間と一緒にするなよ。これでも龍の世界では子供なんだ。まあ、すみれと同じような年齢かな≫
ふ~んと感心していた。だから、レオンって意外にいろいろ知っているんだ。それに百六十歳、人間の一年が龍の十年って計算でいいのかな。
その夜、十人目の魔女が檻の前にならんだところで、猫少女がSold Out(完売)の看板を出した。その直後にそこへ来た髪の真っ白な魔法使いが罵った。
「なんだとっ。ここで生娘の生き血を売ってくれるって聞いたから、遥か向こうの山を八つも越えてきたのだぞっ」
怒り狂っていた。低い声が恐ろしい響きに聞こえる。
猫少女が血液を採取して、その小瓶を九人目の魔女に手渡した。不安げな視線をちらりとその魔法使いに向けた。檻の外では、まだ騒いでいた。十人目の魔女が迷惑そうに見ている。
「こんなに苦労してやってきたというのに、完売だとっ。冗談じゃない」
一人芝居のように、大声で叫んでいるから、そこを通り過ぎようとした野獣たちが集まってきた。野次馬根性だ。みんな面白そうに見ている。なにが始まるのかという好奇心に満ちた顔。
猫少女は毅然とした態度で、一度、檻の外へ出た。
「申し訳ございません。今夜はこちらの方で十人目、それでおしまいです」
「なんとかしてもらえないかね。こっちはこのために、この老体に鞭打って、山を越えてきたのだよ。なあ、今夜だけ、わしのために、ねえ」
気持ち悪い声を出していた。しわくちゃの顔がもっとクシャッとなる。猫少女は戸惑いの表情を見せたが、口調は変わらない。
「本当に申し訳ございません」
その猫少女の態度に、豹変した魔法使い。さっきよりももっと大声で言った。
「そんなこと、わかってらあ。そこをちょいと曲げて欲しいって頼んでんだよっ。本当に申し訳ないって思ってたら、オレにその血を売ってくれ。それが客に対する誠意ってもんだろう。なっ、なっ」
猫少女が青ざめる。なにも言えない。怖いのだろう。
「本当に品切れだったら、オレもあきらめるよ。けどな、そこにいるんだ。あと一人の客の分くらい採ったってその生娘が死ぬわけじゃない。穢れるわけでもない。明日、十人のところを九人でおしまいにすればいいんだ。なあ、そうだろう」
魔法使いは、凄んでみたり、猫なで声を出したりして、売れと催促していた。
「なあ、みんなもそう思うだろう。こんなに苦労して駆けつけてきたこの老いぼれを、完売だと言って追い返す。今夜くらい、十一人目に売ってくれてもいいだろう。明日、九人にすればいいんだ」
野次馬の野獣たちが、そうだそうだとうなづく。
しかし、猫少女はぼそぼそとそんなことはできないという。
「えっ、なんだって? 聞こえないぞ。ええっ、売れないって、客だぞ。客に対して売れないとは何だっ」
まだ大騒ぎをしている。
そっとレオンが教えてくれた。
≪あいつ、年取った魔法使いのふりをしているけど、違う≫
≪え、そうなの?≫
≪うん、山を八つ越えてきたっていうのも嘘。すみれの生き血の情報を聞きつけて、一儲けしようって企んでいる転売屋だよ≫
≪転売屋・・・・・・。それってなに≫
聞きなれない言葉だった。
≪ここですみれの血、二十ccを金貨一枚で買うだろう。それを、本当に山を八つも越えてやってきて買い損ねた魔女たちに、売るんだよ。それも金貨五枚とかの高値ををつけてね。悪どい奴だろう≫
≪それって・・・・そんなこと、してもいいの?≫
≪夜の市場としたら、違法になる。ここで売り買いするには、きちんと許可を取って金を払うんだ。誤魔化すことのないように、証文も書く≫
≪じゃあ、あの転売屋は違法なことをしようとしているのね≫
≪そう、見つかったら、ここではもう商売はできない。それどころか、足も踏み入れられないだろうね。あいつが十一人目だったからそれがわかったけど、そうじゃなくて、血を買っていたら、僕にもわからなかった≫
≪ねえ、でもさ、明日になったらあの人、また並ぶんじゃない? そうしたら、誰も知らないところで売るかもしれない≫
≪たぶん、そうするだろうね。買えなかった魔女たちはとんでもない高値で買うから、そんな転売屋がいるんだろう≫
≪そうだけど・・・・・・≫
そうだろうか。どうしても欲しいという人が正規の値段よりも高いお金を出して買うということ。それは本当に買う方に責任があるのか。絶対に売る方が悪いと思う。買ったけど、それほど必要じゃなかったから売るということならわかる。けど、転売して自分の儲けにしようと企むのは、許せない。
そう、それはすみれの大好きなアイドルグループのコンサートチケットでも同じようなことが起こっていた。買い損ねた人が、行けなくなった人のチケットを買う。それはいい。しかし、転売目的で購入する輩もいる。そういうところから、買うなというが、ファンの心を見越して転売しようとするそんな人たち、許せないと思う。
レオンがすみれの怒りを感じていた。
≪大丈夫。そういうあこぎな商売をする奴らには、それなりに報いを受けるようになってるから≫
≪本当?≫
≪うん、お金にも心があるんだ。一生懸命に、正直に働いた人の元にはずっと一緒にいたいと思う。けど、人を騙したり、簡単に手に入ったお金って、すぐに出ていく。そんなもんだ≫
≪へえ≫
見世の前での大騒ぎを聞きつけて、ブラッケンが出てきた。白髪頭の魔法使いに大声で、十人までだとまくしたてていた。もし、今夜、その男の言う通りに、十一人目に売っていたら、今度は十二人目の客が騒ぎだろう。キリがないのだ。
≪大丈夫。ブラッケンがなんとかおさめてくれる。すみれには絶対に無理をさせない。金づるだからね。そういう所はかなりしたたかっていうか、律儀っていうか。まあ、頼りにはなるね≫
ほっとした。しかし、まだ、魔法使いはしぶとく交渉していた。話し合いは続いていた。
子宝西瓜でした。誰かがご利益があると吹聴すれば、いずれはそうなるかも。
コウノトリが赤ちゃんを運んでくるという言い伝えは、ドイツが発祥のようです。長年子供がいない夫婦の家の煙突に、シュバシコウという鳥が巣を作り、卵を産んで雛を育てたら、その後で、その夫婦にも赤ちゃんができたということです。その話が日本にきたとき、コウノトリになったそうです。
ディスニーの「ダンボ」にもそういうシーンがあり、北アメリカでのクリスマスライトのディスプレイにも、屋根の上に大きな鳥が卵を温め、さらに赤ちゃんを届けるようなものを見たことがあるので、この言い伝えは世界各地に広まっているのでしょう。